アカデミックプーア

A君とB君に共通する特徴は、ぶっちゃけて言えば「知識はあるが論文が書けない」ことと、現代資本主義社会の基準で評価して「どんくさい」ことだ。適当な水準で妥協して論文を量産することができず、加えて自分の研究内容を俗っぽくアレンジしてメディアに売り込むことも、手練手管を使ってコネを広げてアカデミックな就職先を探すことも得意ではない。はっきり言って、研究以外に大量の雑務をこなさなくてはならない大学教員としての適性は高くないタイプである。

https://bunshun.jp/articles/-/11484?page=4

主要、コアとなる部分を膨大な雑務が取り巻いているという構図はあらゆる仕事に共通している話。

文系の高学歴ワープアの話は割と参考になる。

 

でもね、これはちがう。

だが、歌手志望者や漫画家志望者(の大部分)と、大学教授を夢見た若手研究者との最大の違いは、後者は曲がりなりにも最高水準の教育を受けていることだ。彼らは修士号や博士号を授与されたハイレベル人材であり、たとえ研究者としてのポストを得られなくても、本来ならば社会に対してなんらかの知的貢献ができる能力を持っている。

 

完全に間違ってる。

現代の歌手、漫画家の教育水準舐めてる。

やべーな、この人。

尾田栄一郎、長谷川町子とかの年収知ってて言ってるのだろうか?

現代の漫画マーケットがどれだけ実社会を表現してるのか知ってるのだろうか?むしろ歴史なんて、司馬遼太郎が先行してたようにも感じる。

 

今の漫画家なんて教授、研究者レベルのリサーチをしてその上で豊かな表現力プラスしてるんだから、半端なアカデミックプーアがキングダムに勝てるわけねーよ。

 

世の中にはこうやって博士号、修士号を崇めてる勘違いがあるけれども、間違えてる。序列を間違えてる。

 

人生うまくいってない人間は序列を間違えてる。

上下感覚がおかしい。

憧れる対象を間違えてる。

見下す対象を間違えてる。

教授とか学問は偉くない。

 

完全にパラダイムが違う。

 

アカデミックエキスパートは社会にあるあらゆる職業とか人間の中で、かなり低い地位。

記事の中に30代で年収250万とかあったけど、それが何故なのかを考えないといけない。

 

大学に頭突っ込むほど貧乏になる。

教授や教諭と絡むほど貧乏になる。

 

前提がおかしい。

大学で高度な教育を受けたのに、、、、っていうのがおかしい。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。