不動産という名の負債講座(3) 売れない不動産は、ゴミよりタチが悪い 〜不動産と婚活ババアは同じ〜

 

一人暮らしを始めると、大きくて重たいものがいかにうざいかを知る。

 

ベッド、テーブル、本棚、何でも良い。

 

例えば、邪魔だと思って、その辺に捨てると不法投棄だ。罰せられる。

正規の手続きで処分しようと思っても、お金がかかる。手続きも厄介だ。

 

嫁入り道具としての大きなタンスを持っていったり、地方の親の土地をそのまま相続したり、墓を守ったり、、、、という生き方がオワコンなのは理由がある。地方は場所によってはインフラも崩壊してきている。

 

つまり、買って手に入れたは良いものの、捨てたり処分するのも大変だ、ということが身に染みるのである。

そしてその極みが「不動産」と言っていいだろう。

 

捨てようにも捨てられない。

持っていたら、管理費、修繕費、固定資産税がかかり続ける。

 

 

その瞬間に気づくのだ。

不動産とは「所有」ではなく、「拘束」なのだと。

ベッドやタンスの処分が煩わしいレベルでは済まない。土地や建物は、所有するだけで一生涯ついて回る義務を背負わせる。

電気や水道を止めた空き家も、自然に消えてなくなるわけではない。屋根は崩れ、庭は草が生い茂り、近隣から苦情が寄せられる。自治体は所有者に対して「管理せよ」と通知を送り、怠れば「特定空き家」として固定資産税が増額される。捨てることも逃げることもできず、ただコストだけを払い続ける羽目になる。

ここに「所有の罠」がある。

かつては「持つこと」が誇りであり、安心であり、家族の将来を支えると信じられてきた。しかし今は「持つこと」そのものが負担になり、選択肢を奪い、人生の自由を制限する。

モノが小さく、軽く、シンプルになっていく時代に、土地や建物のように「動かせない・捨てられない資産」を抱えることは、時に呪いとなる。

 

 

かといって、シェアリングエコノミーに逃げる、なんてのは浅はかである。

それだけ不動産がリスクということは、不動産を持ってる人たちの希少性が高まるということだ。特に良い場所に不動産を持ってる人たちは強くなる。彼らは入居者に困らない。家賃設定も強きになるかもしれない。

社会全体が「持たない」の方向に流れるほど、「持つ者」として強くなる人が出てくる。

 

つまり、問題は「持つか持たないか」ではなく、どこを持つか、何を持つかに尽きる。

地方の空き家や誰も使わないリゾートマンションを相続しても、それはただの負債にしかならない。だが一方で、都市の中心部、駅近の不動産を持っていれば、それは圧倒的な「武器」となる。需要が集中する場所は、必ず人が住みたがるからだ。
この二極化は今後ますます鮮明になっていく。

「郊外や地方の持ち家」=負債
「都市部の限られた立地」=資産

所有の意味は、もはや普遍的な安心や誇りではなく、選別された人だけが享受できる「戦略的優位」へと変わったのだ。

したがって、軽い家具を選ぶように、人生における所有もまた軽やかであるべきだ。どこにでも持ち運べるもの、すぐに手放せるものを中心に置く。だが、どうしても重たいものを持つなら、それは「圧倒的に価値のある場所」に限る。
不動産が呪いにも、力にもなる。

「持たない自由」と「持つ者の強さ」、そのどちらを選ぶかが、これからの時代を生きる上での分岐点となるのである。

 

 

不動産が厄介なのは、

「このゲームから降りる」

と思ったら早めに降りないといけないことだ。不動産はエントリーもEXITも早くないといけない。早く仕込まないと儲からないし、早く降りないとゲームから抜け出せない。その不動産がただの負債であることが周知の世界では、誰もその不動産を買おうと思わない。

プロやベテランに頼もうが、売れないものは売れない。

 

 

不動産の恐ろしさは、「持ちたい」と思った瞬間は簡単に買えるのに、「もう要らない」と思った瞬間には、ほとんど身動きが取れなくなることだ。
株や投資信託なら、ボタンひとつで売却できる。車ですら、多少値崩れしても業者が買い取ってくれる。しかし不動産はそうはいかない。相手が現れなければ、一生手元に残り続ける。

だからこそ、不動産は「投資」であると同時に「ゲーム」なのだ。しかも、このゲームには撤退の難しさという独特のルールがある。参入は誰でもできるが、EXITは一部の幸運な人にしか許されない。
そして今、人口減少・空き家増加の日本社会において、そのEXITはますます狭き門となっている。

売れるのはごく一部の立地――駅近、都市部、再開発地域。そこを持っている人は勝ち続ける。しかし、それ以外の不動産を「なんとか売りたい」と思ったときには、すでに市場は冷え込み、買い手は一人も現れない。値下げしても、無料にしても、それでも引き取り手がいないケースすらある。

つまり、不動産とは「所有」ではなく「出口戦略」こそがすべてなのだ。

買うときにどんなに夢を見ても、出口を誤れば、その夢は一瞬で呪いへと変わる。
不動産を巡るこの現実は、まるで音楽が止まった瞬間に椅子を奪い合うゲームに似ている。早く立ち回った者は座れるが、遅れた者は立ち尽くすしかない。

問題は――音楽がすでに止まりかけている、ということだ。

 

 

逃げるが勝ちなのだ。

 

売れ残りのババアと同じである。

誰かが興味を示してくれるうちに売らないといけない。

 

35歳を過ぎて婚活しても、売れないものは売れないのだ。

 

 

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。