人生を勇気を持って旅するには

平日の昼間から焼肉を食べてるわけだが、向かいの席にもひまそーなおじさんが1人で飯食ってる。いつも思うんだけど、空港とかレストランとかスタバさ、平日の昼間から結構人いるんだけど!!

ニート多すぎ!

さて。キャリア選択について思ったことを。昔の自分に教えてあげたいことについて。自戒の念も込めて。

どーせ、非コモディティ人生を歩んだって得られるのは知れてる。どれだけ勉強して何かの専門家になっても、学歴を積んでも、資格を取ってもコモディティー人材。買い叩れるのは変わりない。どれだけいい大学に行こうが、どこかで専門技術を学ぼうが、資格を取ろうが、職歴を積もうが、コモディティー街道であることには変わらない。これを理解することから勇気を持つことは始まる。

マーケティングをするしろ、イノベーションを起こそうとするにせよ、リーダーシップを発揮するにせよ、投資家的な生き方(注意 投機家ではない)をするにせよ、常に不確実性と向き合わなければならない。結局要は事業の利益責任とリスクテイクにコミットメントしないといけない。何か商売立ち上げて売るってことに参画しないといけない。そこに自分の身を委ねないといけない。

まず、最初の選択肢。

ビジネスドライバーとしてのキャリアか?

それとも否か?

 

否なら、そら、焦らなあかんでしょーね。そーゆー街道ってシコシコと学校の勉強したり、資格や検定のお勉強をしたり、学校行ったり、会社内である程度規定化されたレールに沿って下積みというかそーゆーものを積まないけない。そして、その街道に行けばほぼ間違いなく、そこそこ食える。

そうじゃなくて、ビジネスドライバーとしてのキャリアを歩むと決めた場合。この場合は、開き直っていい。思いっきり遊んだらいいし、思いっきりプラプラしたらいい。私はそう思う。好きなものが見つかるまで、勝負時がやってくるまで、賭けたいものが見つかるまで、好きにしてたらいい。この世界は、本屋でテキスト買ってガリガリやってりゃどーにかなるとかそーゆー世界じゃないから。人に媚びてたり、みんなと同じことしてないとやばいとかそーゆー世界じゃないから。

サラリーマン街道とか、資格街道とかは割と閉鎖的かつ排他的だけど(年齢制限あるし)、商売の世界はよそ者をどんどん受け入れる、いつだって受け入れる。これはビジネスやる人たちが誇れることじゃないかな?どんな世界も、だいたいは新参者が増えると怪訝な顔をするし、新参者がその分野について意見をすると必ず上の人間が叩く。でも、ビジネスの世界はそんなことはない。ビジネスで成功したことが無い人間がいい加減な見立てをしていても、ビジネスで成功してる人たちはそれに関して何も言わない。

あぁ、なんてアメリカ的な自由さ!

自由にやれよ!everyone is differentだぜ!

 

さて。人はこの2つのキャリア選択でまず迷う。決めきれない。ビジネスドライバーとしてのキャリアに生きるって決めたら、世の中の就職界隈の話とか思いっきり無視していい。思いっきりシカトしていい。大いにマジョリティから離れていい。変人として生きていい。私はそうした。

一部のスポットライトを浴びてるスター起業家と違って、自分で業を起こして生きてる人間の大半は、メインストリームでやっていけない人たち。平日の昼間からパチンコやってたり、競馬行ったり、女の子と遊んでたりする。西園寺も昼間から風俗行くよーな人間で、高校生時代は学校を抜け出してパチンコしたり、空を眺めながら延々とエセ哲学してた。独立したビジネスプレーヤーには、タバコをくわえながら、マイスタイルで仕事してる頑固者、変な人も多い。もともとコンプレックスまみれだったり、大きな失敗をしてたり、病気になったとか、普通の道をドロップアウトしたとかね。

世の中の人はあんまり、水商売とかビジネスやってる人とか、ホストとか、ニートとか、フリーターとか無職、つまりアウトサイダーたちを責めない方がいいぜ。みんな訳ありなんだぜ。メインストリームでそこそこやれてる人たちはいろんなものが高次元で手に入ってるんだから、それはそれでええやないのん。

 

さて。まず、このスタンスから決まらない人が多すぎる。当たり前の話だけど、『ビジネスドライバーにならない道を選ぶ』ってのは世の中の90%の選択なんだけど、その界隈の人から言わせりゃ、自己啓発本とかビジネス書買う人は『アホ』『カモ』っていう見方は間違ってないよ。うん。私も散々言われてきたし。

でもええじゃないか。誰だって、宗教か、酒か、女か、自己啓発本か、師匠か、メンターか、資格か、学歴か、何かにすがって生きてるんだぜ。

世の中ね、なんでもそうだけど、過度な一般化とか無理だって思う。西園寺には西園寺の真理があるだけ。なんでもかんでも普遍化の方向で考えるのは無理で、絶対真理とか正解を追い求めてもたぶん、答えはない。個別の特殊解しか存在しない。全ての物事は、目的と手段で考えなければならないけど、目的次第で手段の良し悪しは柔軟に変わる。だから、何事も正解になり得るし、不正解にもなり得る。特殊な個別具体的事例しか存在しない。

もちろん、生きる目的がない人生が浅はかだなんて言うつもりは更々ない。生きることが生きる目的でもいい。何もしたくないことがしたいことでも全然良い。こうあるべきってものは無い。

ただ、臆病な西園寺は、マーケティングの芸を磨き、イノベーションを起こす術を学び、リーダーシップを発揮できるように訓練し、インベスター的発想と行動として、マジョリティに逆行し未来を先取りするよーにしてきただけ。ただそれだけ。

人生の目的は、未だにわからない。ただ、今思うのは、人生は旅だってことだ。目的地はあっても、到達したら実にあっけない。そして結果すらもプロセスでしかない。何より、後から振り返って良かったな、面白かったなって思うのが人生。喉元過ぎれば暑さは忘れる。その最中にいるときは大変だ、苦しいとか思うけど、結局、後になって振り返れば美化される。そのときに残るのはエッジが効いた部分だけ。どうせ何を選んでも後悔するのだし、中庸なことは自分の中にも他人にも刺さらないのだから、振り幅だけを追い求めたい。それへの評価はいつだって移り変わっていく。

明日死ぬとしたら。点と点はつながる。愛する。必ずハンマーで頭を叩かれる。他人の考えに生きない。自分の直感に従う。

ずっとリフレインしてる。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。