世代間の溝がある。でもジェネレーションギャップは本当はあんま無い。

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街歩きマーケティングリサーチレポート。バブルの頃と比べて、宝飾品等やファッションの売上って変わってると思う。

我々20代30代は物心ついた時からパソコンもケータイもあった。Geekな野郎たちは、スマホ世代がアプリ上で始めた異性交遊みたいなものの先駆けをPCでやってたはずなんだよね。昔はチャットとかあったし。ケータイ以前の世代とかもポケベルとかに浸ってたはず。

コンピュータの初期、デジタルコンテンツの初期は、ゲームはゲームという感じ、デジタルはデジタルという感じだった。

しかし、レベルが上がるにつれて、リアルな人生との境界線がぼやけてきた。オンラインゲームで知り合って結婚に至ったカップルが、オンライン上で協力プレイして親睦を深めてた、みたいなのってすごい話だと思う。

だいたい、今の50代と40代の間にあるのが、コンテンツビジネスの変化とそれに伴う感性ギャップだと思う。50代と40代って若い世代には感覚掴みづらいだろうけど。ちなみに嵐はアラフォーな。だいたいあのぐらいの年代がアラフォー。とんねるずが50代半ばぐらい。

40代以下の脳みそや感覚はデジタルデバイスやコンテンツビジネスに害されている。この年代以降のデジタルコンテンツは、受動的ってよりも能動的に参加できてそのクオリティが高く、人生と交わるものが多いと思う。ある意味、現実と仮想の区別がつきづらいものが多い。害されてるってのはキャッチーな言葉だから言っただけ、正確には浸ってる。もちろん私も。

生きてるのがつまらない。

生きるのが面白くない。

生き方がわからない。

幸せになりにくい。

40以下の世代にある感覚。就職氷河期とか、バブルを知らないとか、長いデフレとか、年功序列制度の崩壊とかそーゆーのもあって、現実世界が面白くない。右肩上がりの世の中でも無い。飽食の時代で基礎生活は満たされて当たり前だけど、表の実社会がなかなかおもろくない。

なぜか。

実は、その代わりに面白いものが出てきたからである。不幸感と幸福感は隣り合わせ。

何かしらの幸福を知ることは、その反動としての不幸を食らうことになる。幸福と不幸は表裏一体だ。

生きてて面白くない。

楽しくない。

だけれど、それに対応するようにデジタルデバイス、コンテンツビジネス、インターネットが発展してきた。たぶん、おじさん世代でも、ここに足をつけて仕事してた人たちは、むしろ超好景気でバブリーだったはず。アラフィフの大金持ちたちはこの界隈に浸ってた人が多い。

いつの世も若い世代や新しいものから変革が起こる。旧来のパラダイムで出世しきれてないのに、新しいもの・若いものに乗っからないのはただの損である。旧来のパラダイムで突き抜けたいなら東大行けって話。

リアルに対して、新しく芽生えてきたものを総括してバーチャルと呼ぶのなら、40代以下のバーチャル世代はバーチャルが面白すぎてリアルが面白くない。きっとそう。映画みたいなコンテンツにも同じことは言えるけれど、新しい世代のコンテンツは視聴者参加型なのが特徴であり、参加型になってくるといよいよリアルとバーチャルの区別がつかなくなってくる。バーチャルが人生に置換される。マトリックスの世界観だ。実際、少し前にセカンドライフというバーチャルビジネスが生まれて、バーチャル空間でバーチャル空間における土地や車の売買が行われるようなものが生まれた。2000年代だったかな。でも、あれは時代の先を行き過ぎたと思う。画期的だと思ったけど、あんまり話題にならなかった。早過ぎた。たぶん、まだまだネットインフラが完全に普及してないタイミングだったことが敗因だと思う。

ただし、スマホが出てきてネット普及はほぼ9割レベルになったと思う。デジタル空間への滞在時間も飛躍的に伸びた。本来、ネットにアクセスしないとか、PCを嫌う層がネットを使い始めた。完全にデジタルインフラが整った。実際、その後におけるゲーム課金ビジネスなどは成功している。これは、コンテンツ空間が人生空間に代替され始めている証である。今の十代、二十代は、恋愛、友情、職探し、車探し、出会い、こーゆーライフイベントを全部、デジタル空間に乗っけてきていること、そしてそれに特化した感性を持っていることを忘れてはいけない。

逆に言えば、60代以上がネットを通して、保険や金融商品、車など重要性が高いものの購入や情報収集に本腰を入れるとは考えづらい。

最近流行りのIotも、裕福なこの世代を半ば無理やりデジタルの世界に取り込もうという感じがしないでも無い。彼らの中に富裕な割合は多いため、日本郵便、ゆうちょなどの既存の緻密かつ高範囲なネットワーク、信頼やブランド力があるところは、強い。こういう旧来のビジネスは、文字通り商品やサービスを並べるだけで売上が上がることも多いはず。

それから老舗や社歴、学位・学歴、地域文化と歴史への理解、地域社会における評判などのアドバンテージはなかなか覆らない。比較的富裕な高齢層を攻めるには、ラジオやテレビ、それから孫や息子を落とす間接攻撃、ダイレクトメールなどが有効であろう。

(還暦を過ぎた人間相手にアフィリエイトを教えるとかいうサイトをたまに見るが、あーゆーことをしたいのなら新聞広告や郵便DMを打たないと特定層に十分なリーチが出来ない可能性が高い)

小学生の頃からドラクエとかFFとかポケモンとかユーチューブ、スマホアプリがあった世代と、そうじゃない世代の感覚は違って当たり前。ポケモン世代は、ポケモンがないと友達関係にヒビが入るぐらいだった。遊戯王カードなどもそう。

だから、50以上の年代が大好きな夜の街散財とか、服飾宝飾散財の醍醐味が、若い世代はわからない。西園寺みたいに、若い頃に年上に連れ回されて、飲み会とかカラオケで騒ぐとか、キャバで楽しむみたいなものをインストールされなければ普通はわからない。実際、夜の街で遊ぶ系の話は同年代に通じない。どちらかというと10個上、20個上と通じる楽しみ。実際、そーゆー人たちに連れ回されてたのだから仕方ない。

実際、お客さんにバッグやら何やらをプレゼントして欲しいと考えてるキャバ嬢は50代以上をターゲティングしてる。実際、知人と話をしてて思った。

考えてみてほしい。成人するまで公衆電話で、エロサイトもなく、ケータイも無くてゲームの進化も一定の年齢から、、、みたいな世代なら、買い物とか食事とか女が楽しいに決まってる。たぶん、若い世代でも豊かになった人はそーゆー世界に浸るはずだけど、一般的にはそうじゃない。

(というか、古今東西、こーゆー悪い遊びは年上から刷り込まれるものだから、年上にそーゆー遊びに浸ってない人が多ければまったく無縁のままが普通)

実際、若者世代も、ゲームやデジタルデバイス買ってもらえないような貧しい家庭の子はヤンキーになり、CBRをカッコいいだとか、女を連れて歩いて楽しいみたいな感覚に早期から開花する。

売れない、に悩んでる人たちは、今の世の中はバーチャルに浸ってきた人間が多いことに気付く必要がある。

逆に、何をやってても面白くない、生きてて楽しくないと思う人たちは、バーチャルの感性に浸ってきたからだと気付く必要がある。ナンパとかも、古典的な遊びといえばそうだ。

西園寺がバーチャルでもリアルでも、楽しみを感じつつも楽しく無かったりするのは、いろんな遊びがMIXされてるから。オフラインでひたひたになってたらあまりにも人間臭い場面を見て疲れたり辟易してくるし、逆にバーチャルにい過ぎると人間味や血肉踊る生々しい感じが無くて物足りなくなる。

きっと、風俗なんかの売り上げも、エロコンテンツに影響を受けてるハズだし、VRコンテンツが進化してロボットとセックスできるようになれば被害は甚大だ。というか少子化が半端なく加速しそうではある。

考えてみれば、昔は自宅にいても一切つまらなかった時代である。家で何するの?という時代。きっと、その時代に全盛を極めたビジネスや、その頃に創業したビジネスは煽りを受ける。創業30年以上のビジネスが苦境にあり、創業20年ぽっちや20年以内のビジネスが急速に伸びてるのは訳がある。当然だ。車離れとかもその文脈で読み込まないといけない。

やることなかったら女に向かい、その過程で車、レストラン、ファッション、宝飾品などの売上は伸びて当然。それはちょうど、結婚が女性にとっての経済基盤獲得戦略だった時代の価値観ともフィットする。

一時期全盛を極めたY氏のセミナーに来てたのは、なんと、ほとんどが中高年だったというから驚きである。高級車、女、レストラン、タワマンみたいなラグジュアリー信号はもはや、若い世代に刺さってないのである。

今の若い世代はキャバクラでは無く、ユーチューブで働く。アプリでライブ中継する。チャットレディする。それに男たちは課金する。あるいはアイドルの握手会に行く。パチスロ屋や競馬場、雀荘、競艇場に浸っている歯のガタガタなおじいちゃんたち、これは50代以下では株やFX取引で置換されている。デジタルギャンブラーである。新聞片手に、ラジオに刺したイヤホン片耳にして、レースの状況を聴きながらイライラしてるような、昔の両津勘吉のような人間たちは、若い世代だと株やFX、仮想通貨に流れている。馬の銘柄を調べる、、、馬の血統を調べる、、、馬の実績を調べる、、、確率を考える、、、大穴を探す、、、あ!全部同じ!笑笑

現代は博打打ちもファッショナブルに、というのがトレンドであろう。PCにデザインが求められる時代。経済が成熟していき、物資が満たされると精神次元での充足を求めるのは自然な流れで、何事もファッショナブルなものが求められるようになったりする。

異性との文通は電話になり、自宅の電話のコードを極限にまで引っ張って家族に聞かれないよう彼氏とコソコソ電話していたのが、そのうち子機になり、ポケベルになり、PCになり、ケータイになり、スマホになり、アプリになった。最近のハタチ以下はアプリでのテキストコミュニケーションに浸りすぎて電話が至極苦手だという。実際、そーゆー子は本当に多い。

PS

今の十代はあいのり、たまごっち、学校へ行こう、小室ファミリー、なめねこを知らない。こっくりさんを知らない。ルービックキューブやスペースインベーダーもやったことないらしい。いや、知ってる人もいるけどね。

PPS

世代間ギャップって、言うほど存在してない。10代から50代くらいまでの間に大して違いがない。ただし、時間とお金を投じてる媒介が違う。ただそれだけ。たった40年の期間でガチで脳みそレベルで何かが変わることはない。

というか、生きてる人間たちの間に本当は世代間ギャップなんてない。

人間は昔から同じことしかしてない。やり方が違うだけ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。