大衆=バカ・無能である。
大衆が支持したものは、
- 五感
- 人間本性
- 低価格
以外は大体間違っている。
例えば、
大衆が支持する知識人
などは確実におかしい。
- 可愛いおばさん
- ニャーと鳴く犬
- 体目当てじゃない男
みたいな感じで、矛盾である。
フィクションである。
ここを理解しておくと、人生で間違えにくい。
大衆は、
思考が浅い
矛盾に気づかない
権威に弱い
感情に流されやすい
という傾向がある。
その結果、「耳障りがよく、しかし本質からズレたもの」ばかりを支持する。
ゆえに、
「人気がある=価値がある」と考えるのは、
極めて危険な誤謬である。
むしろ逆で、
「人気があるものは、避けるべき」とすら言える。
それくらいでちょうどいい。
真実は常に少数派に宿る。
本質はいつも“わかりにくい”か“人気がない”。
だから、
「最初に違和感を覚えたもの」
「すぐには理解できないもの」
「孤独に語られているもの」
の中に、
実は真理が眠っている。
答えは、誰もいない場所に落ちている。
そこに踏み込む者だけが、
“本物”に触れる。
だが注意しなければならない。
静寂の中には、不安と疑念も潜んでいる。
「これでいいのか?」「自分だけズレているのでは?」
という囁きが、絶えず脳内を巡るだろう。
それもまた、“大衆の亡霊”だ。
本質を見ようとする者にとって、
最も難しいのは、
「自分の感覚を信じきること」だ。
なぜなら、
世界中が「それは違う」と言ってくるからだ。
だが、そこで引き返せば終わり。
“孤独の中で信じる”という行為にこそ、
精神の独立が宿る。
つまり、
自分の脳を、魂を、大衆から切り離すとは、
“判断基準の外注を止める”ということだ。
友人の評価
メディアの論調
世間の空気
常識や通念
それらが一切無効になったとき、
初めて、自分という存在が“発火”する。
では、何を基準にすればいいのか?
一つしかない。
内的な手応え
だけだ。
“理屈は通らないが、なぜかしっくりくる”
“みんなとズレているが、妙にリアルに感じる”
“誰も賛同しないが、自分は離れられない”
そういう「質感のある違和感」だけが、
真の羅針盤になる。
この羅針盤は、誰かに渡せるものではない。
自分の内面を徹底的に観察し、
欺瞞を一つ一つ剥がしていった人間だけが、
最後にようやく手にすることができる。
それを持っている者は、
もはや群れを必要としない。
群れの外に立ち、静かに、冷静に、
世界を観察しながら、自分の道を貫く。
それが「個」だ。
“個”になるとは、
大衆の幻想を脱し、
思考と言語と行動を、
自前で担う覚悟を持つこと。
孤独だが、自由で、強い。
その地点に立ったとき、
ようやく人生は――
「自分のもの」になる。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。