私は昔から、「新しいもの好き」&「飽き性」な男です。
でもそのくせ、あんまり流行に敏感ではありません。
・・・・・・わけがわかりませんね。
先ほど、ジャニーズアイドルの「キング&プリンス」を観ていました。良いですね。平野紫耀くん、才能しか感じないというか、イケメンって遺伝子レベルから違うんだろうな、という感じがします。
いいっすねー。
誰の話なのかわからない人は、デビュー当時の長瀬智也くんを思い出して下さい。わかりやすい図抜けたイケメンって感じです。世の中いますよね、わかりやすいイケメン、わかりやすい美女って。世間が才能を放っておかないレベルの人です。人生を迷わないで済む人たち。悪く言えば、道が固定してしまう人たち。
私は、人生のピークは10代後半〜20代前半説を唱えています。それは、別に他人がどうこうではなくて、自分の中で感じることです。自分の中での基準です。明らかに体力などはピークアウトしていきますからね。スポーツ界とかでは常識。プロゲーマーとかも、反射神経がやっぱり落ちるらしいです。
ただ、私が言っているのはフィジカルどうこうではありません。
その本人がどうというよりも、周りとの兼ね合いの部分が大きいです。
ティーンエイジャーというのは、その半分か1/3くらいは子供です。しかし、10代後半〜20代前半というのは、立派な大人ですよね。
- 10代
- 20代
- 30代
- 40代
- 50代
- 60代
というような、世代を表す言葉がありますが、10代・20代は特殊です。
なぜかというと、10代の大半はまだ、一部の天才を除いて学校に閉じ込められているからです。そして、20代は、下にいる年代が、そんなにボリュームがありません。
30代になってようやく、下にたっぷりと層がいるのです。
「若い」ということは、歳をとるということがどういうことかわからない(未経験だから)ってことですけれども、歳をとったことが無いからわからない(余裕をこいている)と思うのですが、30歳を迎えた人たちがこれまでと決定的に違う点は、
下の年代に十分な層がいる、才能の原石、実力者たちがいる
という点です。
婚活するにしても同じね。
人口動態とか、時間の流れとか、歳をとると世代構成がどうなるとか、こういうことは確定的な未来です。歳をとる、というのは、自分の視点を捨てて俯瞰すると・・・・・・「下の世代がどんどん出てくる」ということです。
何事も若いにこしたことは無いですし、若い方が選択肢も可能性もあります。ですから、ポテンシャルとか体力とか、チャレンジ精神、既成概念にとらわれない(GAFAだって、創業者はみんな若かった)、そういった面で、明らかにアドバンテージのある人たちが自分の後ろに控えている、という状況になっていくわけです。
案外、これは盲点です。ハタチとミソジの決定的な点です。
残念な人だと、「加齢するだけでも成長する」「歳上は無条件に偉い」ということを信じがちなので、つい見逃しがちですが、「ハタチ」と「ミソジ」の決定的な違いというのは、下に控えている層の厚さです。
自分がどう、とかはどうでもいい。
下の世代に、たくさん人がいる。
・・・・・考えてみたら。
世の中って、自分より若い人、歳上の人、いっぱいいるわけです。あちこちパンパンなわけです。
下の世代は、下の世代で、必死に世の中に出ようともがいている。
上の世代は、上の世代で、しがみつこうと必死である。
同じ世代は、必死に競い合っている。
考えてみたら、上下左右、あちこちパンパン。
満席御礼、って感じです。
人はたくさんいる。
何より、若いエネルギーは凄まじいですから。
貪欲です。
エネルギッシュです。
どんどん上がってきます。
ハタチの下にいるのは、せいぜい、大学生とか高校生です。大学生・高校生は、時間的にも、物理的にも、思想的にも、法的にも縛られています。忙しい。なんかやらないといけない無駄なことが多いのです。親に縛られている人も多いのです。選択の自由すらない人も多い。
高校生の中には、突出した人を除けば社会的に跋扈している人はいません。繰り返しますが、学校教育に色々、時間や労力を奪われますから。ところが、ミソジの場合は全然違います。下に、10年分、12年分の「各世代」がガッツリと層を成しているわけですね。
下の世代や同世代の活躍に焦る人たち
人はだいたい、同世代というのを意識します。
私も昔は少しだけ意識していましたが、人生の長きにわたって、同世代を意識しなくなりました。普通は、同世代の活躍に焦ったり、下の世代の台頭に危機感を覚えたりするそうです。
私の場合、少し違います。
なぜか、希望を感じるのです。
楽しみを感じる。
例えば、ハタチぐらいで社会にインパクトを与えたカリスマ女性アーティストが、加齢に連れてうまく路線変更できないまま、老化し、劣化していく。そして、過去の才能が見る影も無くなり、落ちぶれていくのを見ると悲しくなります。
しかし、そうなると大抵、また新しい世代からスターが生まれて来るのです!
例えば、ジャニーズアイドルなども、ある程度地位を築いていった人たちは、マンネリズムを抱えているでしょうし、見る側にもそれを与えます。そして、彼らにもどんどん、プライドやこだわりが出て来る。そのうち、音楽性を理由に脱退していったり、流れに乗って次々と解散するグループが出て来る。しかし、そこでまた、王道のジャニーズアイドルが新しい世代から出て来る。そこにはまた、新しい息吹と、「コレコレ!」という何かを感じます。
簡単に言うと、フレッシュなのです。
もう、誰もが人生を楽しんでいるであろう10代の早い頃から「生き辛さ」「つまらなさ」「絶望」を抱えていた私にとって、少し、心が楽になる存在が歳下の人たちなのです。
この世界に何か面白い新しい「世界」は無いのか?
と考えて、みんな、若いうちにいろんなことを考えるでしょう。海外に目を向けたり、必死に仕事の種類を探したり、資格を漁ってみたり、いろんな本を読んでみたりするはずです。そして、自分の未来に焦り、歳を取ることに焦るはず。
しかし、確実に存在する「新しい世界」というのがあるのです。それは、新しい世代です。若いマーケットです。
これは、若い時にはわからない気持ちでした。
昔から、いつも歳の離れた上の人たちと交流して、揉まれて、学んでいたからでしょうか。思っていたことは「得るものはあるけれど、絶望してしまう」という感じでした。自分の眼がどんどん濁っていくような気がしていたのです。
しかし、下の世代のマーケットが広がっていくにつれて、「やばい、新しい世界がどんどん広がっていく」と感じるのです。そこには未知の可能性というか、常識をひっくり返すファンキーさを感じます。
私が16歳ぐらいの時、かなりファンキーな思考をしていて、今振り返ると相当頭おかしかったなーーとか思うのですけれど、例えばそれぐらいの歳の人と交流すると、めちゃめちゃ懐かしい感じというか、「そうだった!!」みたいな感覚が蘇って来るわけです。
まぁ正直、今のハタチとか21歳の人とかと話してても、そんなに離れてないので差は感じませんが、15歳とか14歳相手なら確実に感じます。
明日があるさ、ではなく、次世代がいるさ
「明日があるさ」「どんな暗い夜にも夜明けは来る」といったフレーズが使われますよね。どんな辛い状況でもNEXTがあるということです。次の世界、新しい世界があるということ、物事が変わっていくということは、実はとても希望があることなのです。
自分より歳が下ということで、すぐに嫌悪感を示したり、嫉妬したり、見下したりみたいなことをする人がいますが、自分より上の世代の方がタチが悪いでしょ。どう考えても。そこに何か希望があるのか?って感じです。何か変化だったり、面白いものは下からグイグイとやってくる。
この世界には希望が無い、絶望しかない・・・・
みたいなことを思いがちな時、ついつい自分にばかりベクトルが向いてしまいますが、顔を上げると、「現実的な希望」が確実にあるのです。それは、明日が来るということ。次が来るということ。新しい何かがやって来るということ。つまり新しい世代がいる。
よく、書店で「10年後の仕事」みたいなものを手に取っている人がいます。人間は、誰もが未来に希望を見出そうとしているんだと思います。見えない未来を見通そうとしているのだと思います。
でもね、私から言わせたら、「10年後の仕事」とか「10年後の技術」なんてものは、実感が湧かない。あんまりリアリティを持ってワクワクしない。そんなにワクワクしない。でも、確実に、未来を感じられる場面があります。確実にワクワクするものがあります。
ドラッカーの言う、すでに起こった未来です。
若い人たちです。
若い人と話せば、確実にジェネレーションギャップは存在し、それを認めざるを得なくなりますし、自分の進化なのか老化なのか何かはわからないが、未知の世界があることを認めざるを得なくなります。そして、それが面白い。新しい感覚がある。新しい文化がある。
未来の技術は見えなくても、未来の人間は、そこらへんにいるのです。
今の15歳は、5年後のハタチなのです。今の10歳は、10年後のハタチなのです。意外と見逃しがちな盲点です。
人生の先輩として何かを教えるのではなくて、まず「何かオカシイこと考えてないの?」と取り敢えず聞く
歳下で、面白そうな人を見つけると、まず、「何かオカシイこと考えてないだろうか」ということを聞くようにしています。なぜなら、若いほど、オカシイことを考えている可能性があるからです。
そして、もしかすると、その人はめちゃめちゃおかしくて、私はその人の世界観に引き込まれたり、その人のリーダーシップに引っ張られたり、その人に希望を与えられたり、特別な感情をもらえるかもしれないからです。
人生の転機になるかもしれない。
正直、こちらから、何かを教えるというのはしたくありません。
なるべく聞き出そうとしています。
え、だって面白い方が良いでしょ。
教えてお金取れる人なので、なんで教えてやらねーといけねーんだ、というスタンスですから、聞かれないと話しません。笑。ただし、若い人に聞かれたら色々話してしまいます。ただし、その瞬間に残念な気もしてしまいます。教えることは、つまらないです。つまらないからお金を取りたい。
先輩か、後輩か、どうでもいい。
先輩とか後輩みたいな概念にこだわる理由が、昔からよくわかりません。
「おー、お前もあの学校の出かー、俺の後輩だなー!」みたいな感じで、嬉しいみたいな、同属感情みたいなものを普通の人なら抱えるはずなのですが、そういうものがわかりません。
多分あんまり、集団的なアイデンティティーが無いのです。
自分の所属みたいなものが、昔から無かったのです。
ずっと、なんとなく孤独感を感じて生きてきて、「うわ、自分居場所ねーじゃん、生きづらいじゃん」みたいなものを抱えて生きてきて、最終的には寂しさとかそういうものを乗り越えてしまったので、あんまり、ここが私のエリアだ、みたいなものが無い。
根無し草といえば、そうなのです。
だからこそ、「身内と他人」みたいな線の引き方もよくわからないし、親族にも本当に合わない・嫌なタイプの人もいますし、身内よりも平気で他人を優先していたりします。「親の死に目に会えないこと」の悪さみたいなものもよくわかりません。
高須院長の言葉で、
自分の身内にしたくないと思うことは他人にするな
っていう言葉があるんですが、まさにその通りと思うわけで、私はこの言葉がめちゃくちゃ好きなんです。
多分、「地元」とか「友達」とか「生まれ持った家族」とか「自分の家庭」みたいなものに強いコミットしていたり、生きがいがそこにシフトしすぎると、明確に線が引かれはじめると思うんですよね。
でも、そうじゃなくて、世の中にある才能とか、素晴らしい作品とか、芸術とか、天才的な人に対して関心が向いていると、いい意味で、赤の他人に対してすごく心理的にシンクロするわけです。
何かしらのファンになったことがある人はわかると思います。
特別な感情を、その対象に抱くということ。
自分の友達、自分の恋人、自分の家族・・・・みたいなものを「自分のもの」みたいな感じにしすぎたり、「自分の居場所」とか「自分の安全地帯」「自分を養ってくれる場所、守ってくれる場所」みたいな風にしすぎると、かえって、よそとの間に線が引かれます。どんどん引かれます。外の世界が嫌になってくるのです。
あんまり、家族概念とか、地元意識とか、同族感情とか、友達意識みたいに囚われず、普通に外の世界に関心を開く。
全ての人に興味があるわけではありません
と言っても、例えば、下の世代の全ての人に興味があるか、と言ったらそうではありません。矢沢永吉さんが、「いつの時代もやらない奴はやらない」という面白い言葉を言っていて、まさにその通りだと思います。
どんな世代にも、同じことが繰り返されている。
大抵、いつの世も、だいたい同じことを繰り返しているのが人間です。ただ、確実に、何かが変わっている。その変化を感じられる何かを見た時、感動する。「年代だけ」で区切るのはナンセンスだと思います。上澄みに興味があるのです。時代が生んだ才能とか、時代が生んだアートとか、時代が生んだ作品とか、時代が生んだ技術、みたいなものに興味があるわけです。
どんな世代にも、上に上がって来る人たちっているじゃないですか。光り輝く人たち。そういうのって、人材の競争の中で、ふわっと浮上して来る人たちな訳です。「次世代のスター」みたいな人を見ていると、明らかに、時代の変化みたいなものを感じるのです。
ワクワクする。
ドキドキする。
ただ、そういうものは常に、若い人たちからやってきます。
あるいは、他所からやってきます。
はっきり言って、30代後半以降の人たちに、何かドキドキ・ワクワクさせてもらうことを期待することは、間違ってるのです。無意味なのです。ほとんどいません。30代後半の以降の関心ごとは、保身とか、家庭とか、そういうものばかりですから。彼らに期待することが間違っている。
もちろん、世間的には、その年代というのは働き盛りです。むしろ40代が一番脂が乗ってる、ぐらいの勢いでしょう。しかし、普通に、1消費者として、1国民として、「スパーーーン!!!」と「ドッカーーーン!!」と、心に衝撃を与えてくれるものをそういう世代以上の人に期待することは難しい。私一個人の自己満の話ですけれど。
時代と世の中と、そして自分の心を湧かせるもの
10代前半の時というのは、世の中の面白いものは全部、歳上が作っているわけです。ですから、純粋に歳上に対する憧れ、敬意があるものなのです。
これが、だんだん歳を重ねていくたびに、嫌な奴も視界に入って来るようになります。「生きることへの絶望そのものみたいな大人」も視野に入って来るわけですね。
そして、それと同時に、どんどん自分の下の世代が増えて、自分の上の世代が減る、つまり加齢をしていくにつれて、面白いものが自分より下の世代にあったりするわけです。敬意の対象が下の世代に移ったりするわけです。問題なのは、敬意の対象が下の世代に移っているのに、上の世代が「年齢が上だという理由」だけで気持ち悪いこと言ってきたら、嫌悪感がどんどん増していって、余計に敬意が減っていくわけです。
新しいものは新しい世代からもたらされる。イノベーションは、外部か、若い世代か、もしくは「異質な人間・天才」が巻き起こすのです。当然、異質・天才人間は、時代を席巻してしまう。探さなくても出てきます。目につきます。すると、後は外の世界とか若い世代に関心がいくわけです。
基本的に、「学ぶ」って前例を学ぶことであり、上の世代から学ぶことでもあり、学問も=で歴史とか過去みたいなところがあります。だからこそ、ついつい見逃しがちなのですが、「天才・異質」はもうそれはそれとして、後は若い世代とか外を見る必要があるわけです。
希望を得つつ、何か新しい世界を拓いてもらう。
刺激をもらう。
そのためには、あえて、外を見たり、新しい世代を見たりすると面白い。どうしても人は、上の世代に認めてもらおう(≒世間に広く見てもらう、権力・権威に認めてもらう)として、古きを辿ってしまいます。
でもやっぱり、新しいもの、これからのもの、未知のもの、こういうものにワクワクさせられるし、ドキドキさせられるし、チャンスがあるのが現実です。
25を過ぎた人の悩みを聞いた時、「人生終わってるからだよ」って、それ、ゾッとする
たまに、25歳を過ぎた人の悩みを聞いた時、すっごく色々悩んでいたりするのですが、その悩みの理由自体が、「実はもう、いろんなことが終わっちゃってる」ってことだったりしてて、外から見ればわかるんだけれど、本人がそれに気付いていないパターンが一番悲しすぎる。
私はそう思うわけです。
もちろん、人生はたかだか25年では終わらないのだけれど、「これじゃ不満だ!」って言っている人たちの不満だ、という気持ちの背景には、「こうなってほしい」「こうあるべきだ」みたいな水準がある。でも、それ自体がもし、手遅れだとしたら・・・・?
この前、とあるラジオで、
30歳で人生詰んだやつの打破の仕方
みたいなテーマで話がされていたんだけれど、結論として、「もう手遅れだよね」的な話がされていた。それは、人生を諦めろとかそういうことではなくて、考えていることの全ての大前提にある「時間の認識」とか「年齢観」みたいなものが狂ってたらどうする?みたいな話。
人間って、誰もが物事を捉える、考えるにあたって、前提としているものがあるんだけれど、これが根っこから違ったら、ゾッとするよね、みたいな。例えば、人生って80年だよなー、みたいな感じでボーッと考えている人に、
実は26歳ぐらいで脈は打ち終えてるんです
みたいな話をしたら、サーーッと青冷めるだろうと思う。40歳からでも、50歳からでも、60歳からでも、何かを始めるには遅くない。でも、例えば今現在、28歳の人が、当たり前のように期待していること、求めていること、そして自分がそのために差し出そうとしていること、これらの基準値がぜーんぶズレていたとしたら、いろんなことが手詰まりになるのもそりゃあ、当然だ、って話。
例えば、
「なんで起業できないんだろう・・・・」
みたいな感じで悩んでいる28歳が、
「もはや脳みそが古いです・・・・」
みたいなことを言われたら、それはショッキングだと思う。青天の霹靂だと思う。だって、当人はもっと、前例を学ばなければならない、先人から学ばなければならない、学問を掘り下げなければならないと思っているかもしれない。自分の頭がすでにオヤジだなんて、1ミリも思ってもないかもしれない。
どうする?
すでに、世の中の関心は、下の世代に移っていたら。
世の中の関心が、下の世代に移り、下の世代が牽引し、世の中を変えていたら。
同じ年代の中で、頭角を現すことができないまま、いつの間にか下の世代が台頭してきて、下の世代がどんどんルールを書き換えていく。新しいものが生まれていく。同じ世代の人は守りに入っているかもしれない。上の世代はすでに枯れてしまっているかもしれない。いつの間にか、四面楚歌。
三十路以降に課せられる問いとは、その下に分厚い層が控えてるのにもかかわらず、『なぜあなたを取るんだ?』というもの、
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。