第一次世界大戦後の荒廃した環境でアディダスは誕生する

アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争

1936年8月に首都ベルリンで開催されるオリンピックは、たとえ賛否両論を呼ぶことになるとしても、ダスラー兄弟の名をさらに広める格好の場だった。ダスラー兄弟商会のスパイクシューズを有名選手に履いてもらえれば、宣伝効果は抜群である。アディ・ダスラーには、それを誰に頼むのがいいか、すでに心づもりもあった。ーp14

ヴェルサイユ条約で、戦勝国に資源を抑えられて、厳しい環境下のドイツ。当時のドイツでは国民は飢えと飢餓に苦しんでいた。怒りと失意の中、国民はサッカーに注目を向けていった。そんな中で、アディダスの初期はスタートしているんだね。後のプーマになったビジネスを作ったルドルフとアドルフのダスラー兄弟のビジネス。

ヒトラーがドイツを牛耳るようになった後、宣伝上手で知られるヒトラーはスポーツの重要性をわかっていて、アディダスを絡め取る。ナチズムの熱狂と、同胞意識を高めるためにスポーツはプロパガンダに利用され、実際、多くのドイツ国民はスポーツにも熱を上げた。その中でアディダスは順調に伸びていく。

これは、ラッキーやね。他国なら時の政権で潰されるビジネスもあるけれど、ドイツにせよ、アメリカにせよ、後にどうなったにせよ、政治のトップが経済センスある人間だった国では、2度の戦禍を通して、何やかんや今に残るビジネスになってるわ。ヒトラーはシャネルとも、フォルクスワーゲンとも、ポルシェとも絡んでいるしな。

さすがに第二次世界大戦の時はきつそうだけど。

80年ぐらいはかかってるんだな、日本であの地位を築くまで。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。