
東京大学を出ているのに貧しい人がいる。
早稲田慶應を出ているのに貧しい人がいる。
それは、「学術・学問的教育」の【ペーパーテスト対策】だけに優れているからである。
この世界を攻略する自由なお金持ちになるには、
- 学術・学問的教育
- 職業的教育
- ファイナンシャルリテラシー教育
の3つが必要である。
仮に、「学術・学問」を極める博士、教授などになったとしても、意外と金銭的には潤わない。
それは、やはり「1完」で終わってしまっているからだ。
職業的教育というのは、その職業をやることで身につくものである。
これは実践経験が必要だ。
「サラリーマン」という、なんらエキスパート性がないものについても、大体30歳前後で一人前になると言われている。
(逆にいうとそれ以上は歳を重ねても老いてるだけ)
専門性が高い職業だと、
40歳あたりが成熟して働き盛り
という認識が強いと思う。
例えば、30歳の医師より、40歳の医師の方が安心するのではないか。
まず、職業的教育を受けていないと、シンプルに稼げない。
労働の時給単価が上がらない。
仕事がない。
だから、職業的教育は必須である。
一方で、職業的教育というのは、ある程度受けると、頭打ちになってくる。
ビジネス書を読んでも得るものは無くなってくる。
そういった時、最終的に差がつくのは
学術・学問的教養のベース
だったりする。
ファイナンシャルリテラシー教育というのは、端的に言えば、B/S、P/Lのことである。自分がどのような資産を持ち、どのようにして収益を得るか。サラリーマンの場合、エリート街道を極めていても、結局は
「労働者」
という枠で働いていて、自分の時間と肉体を契約によって捧げて、収入を得ていることに変わりはない。またこの状態でマイホームローン、カーローンなどを組んでいくのだから、負債が積み上がる。
この負債を積み上げることで、良いライフスタイルが実現できてるのは間違いない。一方でこの状況を俯瞰できないと、どれだけ高給取りであっても、抜け出せない。
一方で自由なお金持ちは、家を買う、車を買うはずの借金を、資産のために行い、資産を構築して、資産に借金を払わせている。もちろん、最初は大変である。しかし、長くやればやるほど、借金は払い終わり、人生の中盤〜後半になると、自分の体を切り売りしなくても稼いでくれる資産が手に入っているという状態になる。
ファイナンシャルリテラシーとは、
自己を経営する感覚
と言えるだろうか。
例えば、
- 学術・学問的教育
- 職業的教育
- ファイナンシャルリテラシー教育
のうち、1と2しかない人間のやりがちな行動は、メガバンクなどに就職して、出世街道を目指してしまう、というものだ。
途中、30歳前後で年収1000万円を超える高所得者になり、買いたいものが買えて、やがていい家に住むようになる。タワマンを買ったりするかもしれない。結婚して子供ができるかもしれない。
しかし、だんだん、行き詰まる。
出世競争は上にいくほど辛い。残っているのは強者ばかりだ。
また、出世が停滞した人間になっているのは、役職定年・定年。
そうやって、気がつけば、年を老いている。
高給に目が眩んでいるうちに、人生が過ぎてしまっている。
メガバンクで稼いだ稼ぎは、メガバンクの仕組みの中で実現できたもの。そこから出ると、自分は何もできない。同じ業態を独立して再現することもできない。そもそもメガバンクは日本に3行しかない。同じ銀行に年寄りが転職することはできない。下から優秀な若い人たちが入ってきている。
だから、現役時代の稼ぎの賜物である年金を握りしめて、払い終えたマイホームローンに助けられながら、余生を静かに過ごす・・・。
こういうことになる。
ファイナンスとは、
基本的に、
- 時間
- お金
をめぐるゲームである。
持たざる者として生まれ育ったものは、基本的に、会社に頭を下げて入れてもらい、指揮命令系統に組み込まれながら、会社の言うことを聞いて働くことで、いわゆる最低限の生活が担保される。
その中に趣味の喜びがある。
ビール飲んだり、映画観たり、旅行したり。
そして、結婚生活や恋愛があったり。
いわば、これらを若いうちに充実させようとすると、どうしても会社員になることや、その中で高給を目指すことが総合的にハッピーに思える。
だからみんなそうする。
しかし、誰もがいずれ、老いていく。
あの頃ときめいたパートナーにはもうときめかない。
色々買い物もしたから物欲もない。
年を取ればファッションを気にかけてもおじさん・おばさんなのは変わらないから意味がない。
子供がいて、家庭があって、ハッピーであればそれでいいが、
気がつけば、借金の督促状、支払いの明細に追われる毎日。
ラットレース・・・。
気がつけば、抜け出せない滑車の中で回っている自分に気づくのだ。
もちろんそれでも、
年収2000万円以上の労働者クラス
に振り切れば、開ける道はあるだろう。
だが、ゴールドマンサックスでMD以上のクラスをやっている人ですら、「自分の人生に自分なりの裁量が欲しい」と考えて、会社を飛び出したりする。やはり、雇われて会社員をやる、そこの中で踊ると言うことには、それなりの不自由がある。
もちろん、会社を辞めて自立したからといって、自由とは限らない。弱いままだとむしろ不自由だ。貧乏なフリーランスなんてあちこちにいる。
以上の問題を、自分で解決するためには、
- 学術・学問的教育
- 職業的教育
- ファイナンシャルリテラシー教育
の3つが必要になってくる。
逆にいうと、
貧乏な人というのは間違いなくこの3つが乏しい。弱い。
全てのレベルが高い人は、
事業を起こすということを20回やれば人生で1度は当たる確率が高く、それは宝くじよりもうんと確率が良い
ということを考えていたりする。
実際、世の中にあるあらゆるイベントで、確率が最も高いのは事業を起こすことだ。
もし、「1度しか勝負できない」という場合は、医師になった方が期待値が高い。
(医学部に受かる、医師免許が必ず取れるなら)
一方で、何度かチャレンジする目算があるのであれば、事業を繰り返し起こせば、いつかお金持ちになれる。
そして、そのために職業選択を行う。もちろん、職業的能力は高い方が後の独立につながる何かを手にできる可能性が上がるし、そもそも年収が上がる。職業的に優れていた方が、「最終目的に向かう途中で遊べる余裕、実験する余裕」が出てくる。お金がカツカツだとそうはいかないだろう。
まず、金銭的にカツカツだという人は、職業的教育をきちんと受けた方が良い。
それは職歴という形で結実するもの、転職市場で評価されるもの。
学問・学術的教育は、職業でも、ファイナンシャルリテラシーでも、どっちでも効いてくる。その人の基礎的なセンスになる。
あの人の判断は筋が良い
と呼ばれる人になれる。
学問・学術的教育が足りていないと、森岡毅のような人物に簡単に騙される大人になってしまう。
金融庁や金融業界がタッグを組んで、「資産運用しましょう!」みたいな時に出してくる複利曲線の話とか、長期投資の有用性とかに簡単に騙されてしまう。
いわば、途中で道を間違えてしまう。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



