貴方の欲しいものは全て手に入る。そんな時代。なぜなら・・・・

貴方の欲しいものは何ですか。

端的に言えば、金、時間、自由、やりがいではないでしょうか。これら全てが手に入る方法があります。それは、「自己所有(自己資本)のビジネスで成功すること」です。これさえできれば、全てが手に入ります。もちろん、設計には多少なり配慮が要ります。

なぜ、自分の人生を自分の思い通りにできないのか。

それは、他人のせいです。他人の邪魔、他人の恩、他人の要請・要求、他人からの拘束、・・・・・こういうものがあるからです。

 

だから、貴方は自己所有のビジネスで成功する必要があるのです。

サラリーマンでも楽しくやることは可能でしょうし、サラリーマンでもそこそこ稼ぐことは可能でしょうが、「自由気ままなライフスタイル」とか「思い通りにやる」とか「やりたいことをやる」のは、組織人では、無理です。

 

「あっ、お金欲しい」と思った時に、市場から、ダイレクトにマネーを掴んで来れるスキル、センス、経験は大事だと思います。商売力、生きる力ですね。

 

もちろん、自家発電的に、ビジネスを生み出し、回していきたいという願望は誰にでもあるでしょう。

そして、自由に生きたいという希望も、誰にでもあるでしょう。

 

しかし、ここで人は、リスクやコストを考えるわけですね。大人しく、会社にしがみついていた方が良いのでは無いか、とか、無茶な賭けはしない方が良いのでは無いか、とか、面倒くさそうなことは避けて楽に生きよう、とか。

そういう、いわば、無難で楽な選択肢と、天秤に賭けてしまう。

楽な逃げ道があるのなら、そこに走ってしまうのも人間の性です。

 

 

しかし、幸か不幸か、楽な道というのは、必ず、長期的に見れば潰されるのです。

自分の中にある何かに根ざしたものでないのなら、ただ見つけただけの黄金卿にはライバルが押し寄せてきて、そのうち、渋滞で混雑し、北極になっていくことでしょう。あるいは環境変化が起こるでしょう。厳しい、極寒の地に変わっていく。

だったら、最初から難しい賭けに出た方が良い。

 

遅かれ早かれの問題なら、若いうちから賭けに出た方が良い。

安全な道、安泰な道、無難な道・・・・・・・・・。

その選択肢が、「ある」から悪いわけです。そして、そういう選択肢は、長期的に見れば自分を殺していきます。甘やかしすぎてしまうからです。

ラッキーなことに、そうやって天秤にかける選択肢自体が、なくなりつつあるのです。コンサル会社が企業の上層部に入れ知恵をするにせよ、会社が自分で気づくにせよ、人事コストの最適化というのは、これからどんどん進むでしょう。

いろんな著名人の本を読んでみてもわかると思いますが、これから、会社というハコの中に残って、旧来型の働き方ができるのは一部の人になるのでは無いか、と予想されています。非正規型の働き方がどんどん増え、最近はサービス業人員の、フリーランス化も進んでいるそうですね。

 

・・・・・なんていうか、要するに、ハコの中にいるのか、外にいるか、どちらにせよ、「自分の力」が問われる時代です。

具体的に言えば、自分自身がどれだけ、事業に貢献できるか、が問われる時代です。

 

もうどっちみち、リスクを背負わないといけないのです。

人間の寿命は長くなる一方で、企業の寿命は短くなっていますし、これからは人材の流動化が進んで、降格とか降給も普通に行われるようになるでしょう。ベース給に手をつけられるようになったり、ボーナス給が主体となった働き方に変わってもおかしくありません。

コンサルとか、求人市場とか、経営層とか、そこらへんから情報を仕入れたりしていれば、世の中の動きというのは見えてくるはずです。

 

これからは、わがままに生きていい。わがままに生きたもん勝ち。

やりたいことを求めていい。いや、求めなければならない。

 

有吉先生の言葉を借りるなら、1億総芸人時代な訳です。芸がいるのです。

 

先がわからない勝負に出ましょう。

結局、逃げて逃げて逃げて、経験値を獲得する機会を逃せば逃すほど、まわりまわって自分を追い詰めることになる。どんどん不安になる。頼れるものがお金だけになって、無目的な貯金をするようになる。怖くてお金が使えなくなる。人生が面白くなくなる。

悪循環です。

 

お金は、稼げないことに問題があるのであって、それに貯金や節約で対応しようとしたって、無理です。書店にある貯金ハック系の本も、気休めでしかありません。

幸い、今の時代は、昔の常識では考えられない形で、ビジネスをスタートすることができます。これはチャンスです。千載一遇のチャンスです。

さて。

資本主義社会下で生きている以上、お金が無いと生きていけませんが、そのお金を「稼ぐ」ということにあたって、自分以外の関係者が多くなればなるほど、大変です。

社長であっても同様ですよ。

他力を借りられるチャンスも増える一方で拘束も増えていきます。

結局、この社会で生きている以上は、他人との関わりや縛りは避けられませんが、その度合いには大きな差があって、がんじがらめになればなるほど、辛い部分は増えるでしょう。

 

  1. 縛りがどれだけ多いか?
  2. その縛りがどれだけ嫌いか?

というのは重要な視点です。

 

まず、大切なのは、「仕事」は他者に対する貢献であることを理解し、まずこれ自体を好きになる必要があります。好きになれそうな仕事を見つける、創る必要があります。でなければ、その大義を持って他人と繋がることができなくなるからです。特に、組織人として働くのであれば、大義の共有は欠かせません。

その点で、ジョブズが大好きで、アップルとかで働ける人はラッキーでしょうね。ハッピーだと思います。

もちろん、仕事なんて嫌いだ、と思っていて結構です。私も仕事は嫌いです。しかし、瞬間風速的に大好きな場面もやってくるのが仕事の憎めないところです。私の中では、「どうだ!」と他人に対して価値をぶつけた時は喜びですが、その下準備であれこれしている時は本当に辛い。

とにかく、「他者に対する貢献」が仕事であることを抑えつつ、そのアウトプット、およびそこに至るプロセスの中で、どこか、愛着のようなものが無いと仕事は続けられないのでは無いでしょうか。

仕事の大義である他者貢献という部分で、パーフェクトに嫌気が指す仕事は、私ならやめます。鬱になります。病むからです。

 

自分のことばかり、自分のためばかりを考えていては、他人と一緒に良い仕事なんかできるわけがありません。また、他人に対して大きな価値貢献もできるわけがありません。

その仕事自体を、プロセスを、楽しむということは欠かせないと思います。ここに辛さや嫌気が指すのであれば、いずれ、挫折するでしょう。やめたくなると思います。逃げたくなると思います。

 

「面白そうなこと」「楽しそうなこと」というフワッとした動機で、仕事を探すのは悪く無いと思います。ただ、「地位」とか「空気」とかで、好きになったりすると苦労するのでは無いでしょうか。ステータス意識というか、位置に対する憧れというか、そういうものだと苦労する気がする。そういうものではなく、「動き」としての仕事、つまり「働く」という行為にフォーカスして、面白いと思えるものを探す。これが大事だと思います。

面白そうな働き方を探すわけです。

 

私の場合、「市場」に向けて面白いものを送り出して、それが市場から「面白い」とレスポンスが返ってくる、そんなやり取りの中で、当事者として中核にいれれば面白いです。

逆に、それが予定調和・ルーチン化されていて、その末端で部品として組み込まれ、決まり切った日常を回すのはすごく面白く無い。

 

自分の裁量を増やそうとしていけばいくほど、自分一人で仕事をしないといけない領域は増えていくことになります。ここで、仕事の本質的な側面である、「他者貢献」という部分に重心を置いて、壮大な何かをしたいというのであれば、チームが要ります。たくさんの関係者と一緒に、手を組んで動いていく必要があるのです。

私の場合、これは後に回しています。

他者貢献という軸はズラさないままで、なるべく、自己裁量がほとんどを占める働き方ができないものか。それによって、自分の自由なライフスタイルを維持できる方法は無いものか。そうやって色々と考えてきました。もちろん、自分の手元からビジネスを手放して、自由を謳歌する方法もあるでしょう。

でも、それだと仕事しなさすぎてしまいます。

 

時代は、進みます。

生きている限り、どんどん老化は進みます。

新しい技術、新しい産業が生まれてきます。若い世代がどんどんと躍進してきます。若い世代であればあるほど、過去から学べます。10年、20年という単位で見れば、どこの世界も進化しているわけです。進化した世界の中で、繊細な感覚をチューニングしてきた人たちがどんどん、追い上げてきます。

 

人生が破綻した人というのは、往々にして、あぐらをかいていた人です。

人は、人生が破綻した人を見て、「要らぬ賭けをしたんだな」とか「この人は相当バカなんだな」というように、勝手な理由づけをして、そしてその対象と自分は「違う」と線を引くことで、安心します。

よく言うことですが、「ホームレス」などを見て、共感して「明日は我が身」と考えられるようなタイプほど、そういう状況には陥らず、逆に、「自分とは無縁」と考えて対象を徹底的にこきおろすようなタイプほど、明日のホームレスだったりするという話ですね。

この基準で行くと、危ない人なんてのは、本当にゴロゴロいます。

 

労力がかかりそうだ。

時間がかかりそうだ。

リスクがありそうだ。

面倒臭そうだ。

 

人はそうやって、現状に安住することを考えます。しかし、それは奥行きのある思考なのでしょうか。長い目で見たときにどうなのでしょうか。本当に、自分は自分が思っている以上に大丈夫な人間なのでしょうか。

私が見る限りですが、一部の天才を除けば、多くの人の間に違いはありません。微差しかありません。ほんの少しの差ですよ。言い方を変えれば、誰もが危ないということです。

 

だからこそ、積極果敢に、チャレンジをするのです。素晴らしいじゃないですか。自分が望むことを全て手に入れるためのチャレンジをする。そこから何かを学ぶ。得る。それが自分のためになる。自己保身、保険に繋がる。

私は、そういう視点で見て、常識では「無理だろう」と思われていることに、チャレンジしたいと思いますし、実際に、チャレンジしてきました。今も、新しいチャレンジのために動いていたりします。

日々、何かしら、チャレンジしています。

 

結局、「面倒臭そう」とか「危なそう」とか「疲れそう」と思えば、足は止まるのかもしれませんが、そうやって感じるリスクやコストというのは、どの視点で捉えるか、でしか無いと思います。

私は、経験上、それがすごくわかるのです。

表面的なところからは見えないというんですかね。めぐりめぐって楽になること、めぐりめぐって面倒なことってありますからね・・・・。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。