間違った生き方・正しくない生き方をしています。世の中って騙し合いなのか?正しさとは?

母親にこんなことを言われたことがあります。

「将来は公務員になりなさい。」

理由はなんだっけ。安定して稼げて、人に誇れる生き方で、プライベートが充実するからだったっけな。

公益に貢献する正しい生き方だからだったかな。

 

 

「商売と良心の呵責」というテーマではじめて苦しんだのは、15歳の時だったと思う。はじめて働いていた飲食店で見た光景は衝撃だった。コカ・コーラのミニ缶(160ml)を氷が入ったグラスに注いで、それを380円ぐらいで売っているのを見た時。

「あれ、これ原価、50円くらいじゃん・・・・」

 

でも、そんなこと考えてられない。

とめどなく流れてくるオーダーに従って、「悪事」にせっせといそしまないと、怖いバイトリーダーに怒られてしまう。

言われるがままに、50円のコーラを380円で売る詐欺にシコシコと加担した。一体どれだけの人を騙したことだろう。概算で、10万人くらいの人を騙した計算になると思う。

「遊ぶ金が欲しい」という自分の不純な動機を満たすためだけに、一生懸命悪事に勤しんでしまった。

君もやったことあるよね?高校生か大学生くらいの時に、そういう悪事。

 

 

マクドナルドのハンバーガーも、広告通りのハンバーガーなんて「1個たりとも」存在しないんだけれど、日本全国の高校生が、人生のどこかでその詐欺に加担したことがあると思う。

(ねぇねぇ。念のために言っておくけど、ここで言っている「詐欺」って、比喩的な、ジョークとしての扇動的表現だからね。苦笑。つまり、本当の詐欺じゃないよ。ぷぅ。)

 

ピュアすぎたあの頃は、自分が消費者として接するしかない商売の裏側(生産者側)に立って、仕事に接する中、毎日が驚きの連続だった。

そのうち、職場の先輩の影響を受けて、「悪い人間が乗る乗り物」と思っていたバイクに乗り出し、「アホな大人がやる行為」と思っていた喫煙に手を出し、「ダメな人間の溜まり場」と思っていた夜の産業にだいぶ浸り、パチンコとかにもよく行くような大人になった。

それだけじゃない、今までの人生経験、つまり「学校・親・親戚・先生・友達」以外の大人がたくさんいる環境の中でいろんな影響を受けた。

自分が正しくないと思っていたことを散々やって、世界観が変わったりした。

 

そして大人になった西園寺は、いつの間にか、「商売」という世界で、主体的に身を立てて「悪事」に手を染める立場になった。

(本当の悪事じゃないよ 笑)

今、何を思うか。

 

自分が長年苦しんできた、「良心の呵責」。

これに対し、「ある書籍(後で紹介するね)」を通し、ありがたいお言葉を頂いたことがある。

ズバリこれだ。

 

良心の呵責は真っ先に捨てるべし。

 

 

ある時から、金儲けと精神性は全く関係がないことに気づいた。世の中の人間は、大なり小なりダークサイドを持っている。そして、誰もがきっと、なんらかのダークサイドに加担している。お金に良心なんかはなくて、坊さんのもとにも、宗教指導者のもとにも、風俗ライターの元にも、お金は入ってくる。どれが善いとか悪いとかの話じゃない。日本の一般的価値観では「ホワイト」とされている商売、例えば士業なんかにもダークサイドは存在する。

皮肉なもので、警察は悪事に手を染める人間がいるから存在意義があるし、公務員の食い扶持源泉である徴税は、グレー産業や際どい産業からも広く行われている(ってか、ホワイト産業ってなに?)。

お金と善悪議論を混同したら、混乱してしまう。

 

 

お金と道義は無関係であって、あくまで中立な市場原理によって分配されているものに過ぎない。そして、お金の流れは人間の意思と欲望の反映だ。お金の流れがあるという時点で、そこには誰かの「意思と欲望」が確実に投影されている。

昔の西園寺が、お金欲しさに「軽いノリ」でバイトを始めたように、多くの人だってお金欲しさに何らかの商売にジョインして、ダークサイドに加担している。単に、末端構成員だからあまりそういう意識がないだけであってね。

専業主婦だって、「今の旦那さんと出会った時、彼がホームレスだったら結婚しましたか?」と問われたら回答に窮するだろう。旦那さんは、何かしらダークサイドと戦いながら、家にお金を運んできているかもしれない。

ってか・・・・ねぇ、待って待って。そもそもね、ホームレスでも、イケメンで、心優しくて、包容力があって、たくましい人だって・・・・・たくさんいるんだけど!?好きでしょ?そういうタイプ?

 

 

誠実・勤勉に働き、お年寄りに親切で、ペットに愛情を注いでいるからといって、それが経済的に報われるということは一切ない。貧しい人に対してボランティア活動をしているからとか、寄付をしているからとか、そんなことは一切関係がない。それとお金の動きには、全く持って関係がない。

お金には良心などない。ただ、人間の意思と欲望が反映されているだけ。そして、お金そのものはただ紙にインクで印刷がなされているだけ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、世の中を飛び回っているだけだ。

(日本の税金は面白い。たとえ、その人がどんな悪事を手にして手に入れた金であろうと、一定の所得にはきちんと税金がかかり、それを納める義務が生じる。それが犯罪であろうと。)

 

そもそも、正しいって何だろうか。

公営ギャンブルはほとんど、日本の省庁に管理される利権産業である。宝くじもスポーツくじも競艇もみんなそうだ。若かりし頃の西園寺が、熱を上げたパチンコだって、警察との癒着はあちこちで言われているように存在する(らしい)。

 

そして恐ろしいことに、人は自分のことを「ホワイト」だとか「正しい」とか「善である」と思っていればいるほど、その対極にいる人を責める傾向にある。責めることで自分を正当化したいのだ。

西園寺のようなマーケターやメディア関係者はもっと腹黒くて、「東京VS大阪」とか「高学歴VS低学歴」みたいな対立構造を煽れば、コンテンツユーザーから反応が取れてしまうことをよくわかっていて、意図的にそういうコンテンツを世に撒き散らしたりする。

 

 

でも・・・・・・、考えてみてほしい。どんな人間にもダークサイドがあって(ライトサイドもあって)、どんな人間もどっかで何かのダークサイドの一端を担っているもの。

自分が「ホワイト」「正しい」「善」だと思っていることが思い込みであったことを知った時、人間は一気に精神バランスを崩してしまう。怪しいカルトにハマっていた人が、自分の信奉していたものの「ブラックさ」に気づき、これまでの人生は何だったんだ、と感じるように。

自分のことを「正しい」「善」だと思い込んできていた人間は、過去、他人に対して自分の正義を押し付けてきた経験があればあるほど、自分の過ちに気付いた時に激しい自責の念に囚われる。

 

「正しさ」を追って生きるってコワイーネー。

心理バランスを崩したその状態は、心理学的に「認知的不協和」と呼ぶんだけれど、喫煙者が

「タバコ吸ってても長生きしているおじいちゃんだっているし!!」

と言って自分を正当化するかのごとく、あるいはアメリカ国民の過半数が「日本に原爆を落としたのは正しかった!」と思うかのごとく、人間はご都合主義で自己を正当化する。自己と自己の関係者を正当化する。

 

そうだ。

所詮、みんなご都合主義でしかない。

 

ご都合主義を地で行っているにしか過ぎない。

 

アメリカが戦争をすればするほど、兵士の制服を縫っている片田舎のパートのおばちゃんには、仕事が増える。戦後の日本が焼け野原から急速に立ち上がったのは、お隣の国で起こった朝鮮戦争によって日本全体が漁夫の利を得たから(当時の日本のGDPの、数倍の仕事が舞い込んだとかどっかで見聞きしたことがある)。

中東のテロリストに言わせると、日本人は「巨悪であるアメリカに対して思いやり予算と基地に当てる土地を献上している、いわばスネ夫」だそうで、ごもっともと言うほかないと思う。

「フェアトレード」って知っている?発展途上国で作られた製品や作物を適正価格で買ってあげよう、という運動で、普通より少し高いプライシングがされているんだけど、日本のような先進国ではそれだけ、途上国で搾取的につくりあげられた製品や作物が出回っているってこと。その安さのおかげで、多くの日本人の生活って成り立っていたりする。

うわー、どうよこれ。どうよこの話。

 

 

そもそも、人間が「あいつは悪いやつだ」とか「あいつは間違っている」とか思っている対象は、実際にその人と会って話して見ると、自分の見方を変えさせられるような経験をする。わかりやすい卑近な例を持ち出せば、風俗を毛嫌いしている人は、風俗に行ったらいかに自分が偏見と思い込みで生きているかに気づくだろう。本当に普通の女の子ばっかりなのだから(そもそもあなたの祖先に、売春で生計を立てていた女がいない保証はどこにもない)。

こういう思い込みと実際の違いというのは至る場面に存在していて、西園寺が思うに、北朝鮮のトップと会って話してみても、刑務所に投獄されている人と会って話してみても、中東のテロリストと会って話してみても、意外と「普通」なんだと思う。普通、と言ったら語弊があるかもしれないけれど、ぶっちゃけ、悪いように膨らんだイメージと実際とのギャップに驚くと思う。

実際、北朝鮮と敵対している国家の代表格であるアメリカの「スター」でも、個人的にキムジョンウンと仲良い奴だっているんだ。

 

だからこそ、世の中の人は、「洗脳」という言葉を持ち出して、自分とは相容れないカテゴリーと接すると危ない!と語る。怪しげなカテゴリーに対して、「シャットアウト」「ブラインドアウト」するのが常だ。会ったら洗脳される、話せば洗脳される・・・・という風に。

 

でも、西園寺が思うに、洗脳なんてものは存在しない。

理由は単純だ、この世界には「それぞれの正義」が存在するから。だから、たとえどんなカテゴリーの人間と触れて接しても、その世界には、そこに生きる人間にはそれなりに理にかなった正義が存在するし、普通にそれは論理的整合性が保たれているから、話を聞けば、普通に納得して影響されてしまうってことだ。これは洗脳じゃない。話を聞いて、普通に納得してしまうってこと。

「あはー」っつってね。

 

日本では「終戦記念日」として厳粛な雰囲気に包まれている中、どこかの国では「あの憎き日本と戦争を終わらせた記念日だ!」って喜んでいる連中が大勢いることだろう。

日本ではヒトラーの話題とか軽いノリで出せるけど、ヨーロッパでやったらなかなかやばい。

 

わかるかな、この、いろんなものが歪んでいく感覚・・・・。

 

 

戦後、日本の国体を揺るがす危機として国民に強く記憶されている、新興宗教が起こした大事件があったけど、あの組織には世の中の高学歴がめちゃめちゃジョインしていた。そして、一般大衆はそれを見て怪訝に思う。なんで、エリートたちがあんなことをしたんだ、と。

理由は単純。

その世界にはその世界の正義があって、それなりに論理的整合性が保たれているパラダイムが存在するから、である。だから、そこにジョインして話を聞けば、頭が良い人はフツーに納得してしまう。西園寺は詳しい内情は知らないけど、多分、高度な論法がそこに存在する。

 

西園寺が言っていることがよくわかんない人は、漫画、ONEPIECEでも読めばいい。あれを読めば、西園寺が言っていることがもっと、ポップに理解できるはずだ。

あの漫画が大ヒットした理由は、おそらく、「正義」をテーマにしているからだと思う。ポップなノリで、深遠なテーマに切り込んでいるから、人を魅了して止まない。あの漫画に登場してくる組織、登場人物には、それぞれのストーリーや正義があって、それが激しく交錯する。

主人公が「海賊」ってのもミソだ。

海賊って知っているかい?海の強盗だよ、強盗。

犯罪者が主人公なんだ。

(尾田栄一郎って天才だよね。だから年収40億ぐらい稼ぐんだよね。海軍に「絶対的正義」ってのを繰り返し喋らせてるところとかもう、天才。あ、個人的な話ですが、エースが死んだ後の展開は知りません。あしからず。)

 

ドキュメンタリーなどで、事件を起こした新興宗教の、元信者を追っかけた映像があったりする。その信者が未だに教祖を信仰していて、それを見て世の中の人は「洗脳って怖い・・・・」とつぶやくが、その考えは西園寺から言わせれば「危ない」と思う。「洗脳」とは何たるかを正しく捉えられていない人間こそ、場合によっちゃ一瞬で洗脳されるからね。

はい、あなた洗脳被害者予備軍ですよ、って感じ。

あれは西園寺から言わせりゃ、洗脳じゃない。洗脳されているように見える人間たちは、各々の独自意思と考えを持っている。思考がフリーズしているわけではない。脳がバグっているわけでない。ちゃんと脳みそは機能している。その上で、その世界・界隈に根付いている、広がっているパラダイムに、彼ら・彼女ら自身の、自分の頭で読み解いて納得した結果、賛同しただけだ。ただそれだけだ。

 

だから、西園寺は常日頃からこう思っている。

「正しさなんて、ない。」

正しさなんてものを追った瞬間、ぶっちゃけ、危ない。

 

人生のどこかで、「人を殺せば犯罪なのに、戦時、敵国の兵士を殺害すればなぜヒーロー扱いなのか」と考えたことはないだろうか。この辺も、正しさを追求する人間は頭を抱えやすいテーマ。

何か答えがあると思っていると、答えを探す旅に出てしまって、帰ってこれなくなる。そして、それなりにそれなりの答えを示す世界に、容易にハマりこんで抜け出せなくなってしまう。

 

西園寺は、「正しさなんてものはない」と思って生きている。

世の中にはそれぞれの正義が存在するから、所詮主観論が世の中に渦巻いているわけでしかないから、「多様性」「思想・信条、言論の自由」というのを常にベースに置きながら、世の中を見ている。

人と意見が違えば、思うのはこれだ。

 

We agree to disagree.

(私たちは分かり合えないことが分かり合えたね。)

 

そして、「好きか嫌いか」「ノリと勢い」「なんとなく」で生きている。

だって、それしか方法がないだろ、っつってね。

(この前、西園寺くんは猫みたいだね、って言われました)

個人的な経験からも、「正しい」って言葉が口癖の人、何かを客観的なものさしで測る癖が強い人、物事を普遍の方向性に開いていく形で捉えたりする人は、割と平気でコロコロ変わったり、風見鶏的だったりする。

つまり、こういうこと。

「鬼畜米英!」って言われている社会情勢下では、竹槍持って「ワーッ」って藁人形に突っ込むし、「アメリカンドリーム!!」みたいなものが喧伝されている社会情勢下では、「アメリカバンザーイ!」的なノリになる。

そのご時世で正しいもの、正しいっぽいものをずっと追いかけていて自分の感性に基づく判断は皆無だから。

正義は人を平気で殺すからね。

何が正しいのかわからない状況では、自分の直感を信じるしかなくて、最終的に頼りになる判断基準は「好き・嫌い」でしかないんだ。

これは、高学歴の人間とかにはなかなか信じてもらえないんだけど、先の新興宗教の例とかも思い出して、よく考えてみてほしい。

西園寺は割と、自分の中にある「正しさ」を覆される経験が多い人生だったから、一体何が正しいのか・正しくないのかがわからない状況に巻き込まれることが多い人生だったから、大いにマジョリティに外れてきた人生だから、

「世の中、最終的には、直感(好き・嫌い)しか当てにならない」

って思っている。

 

「好き」「嫌い」

で生きている人間は、意外とブレないし、人からも信頼されるよ。多分ね。

それと、「正しい」「間違ってる」はJudgeだから、必ず人と揉めるよ。特に、高学歴とか、権威に近い世界にいた人とか、自分の賢さに自信があるインテリタイプな人とかは、自分の中にある「正しさ」の感覚に自信があって、人に押し付けがちだからね。

でも、お互いが「正しい」「あいつは間違っている」って思い合っているわけだから。世界から戦争が無くならない一因もそれです。西園寺が論理的思考は当てにならないと繰り返し言っている理由もソレです。

 

好き・嫌いで生きてたら結構人と揉めません。

「お前が嫌いだからあっち行け」は、一見、人を刺激するようでしません。あくまで、主観的スタンスからNOを突きつけただけだから。

それはある意味、「俺は君が嫌いだけど、他の人は君が好きかもよ」という優しい含みを残しています。

(感情的になるのとはまた、別の話です)

 

余談ですけど、人の評価が二転三転することを体験してきて、人からの評価が当てにならないと思って生きてきた私が、女の子に「好きだよ」って言われた際。なんで「好きなの?」って聞いて、それなりに理由を返す女の子にはあまり心が揺さぶられません。

でも、

「わかんないけど好きだよ」

「理由なんてないよ、好きだよ」

「全体的に!好き!」

って言われると、「あー、本当に好きなんだー」って思ってしまいます。

ハイ、完全な余談でした。

 

 

仮に他者と意見が食い違ったとしても、いちいち議論に熱を上げたりしない。私は哲学者でもなければ、立法者でもない。

あるのは「好き」か「嫌い」かだけだ。そこには、世の中の複雑さと、「正しさ」を確定することへの畏怖の念がある。

弁護士に対して、「金さえ積めばどっち側にも付きやがって」と思っている人間は多そうだけど、きっと彼らも、思慮深い層はこう思っているはず。「正しさなんて・・・・ない」ってね。多分、ああいう仕事は、社会正義論とか倫理を持ち込んだら、繊細な人ほど病むんじゃないかな。仕事と自分を同化するほど病むんじゃないかな。

医者・弁護士・パイロットって、昔から「儲かる三大職業」扱いだけど、医者は「人の命を救う」っていう絶対倫理に根付く仕事だからその辺での葛藤・苦悩は無いはず。でも、精神的なプレッシャー、肉体的な疲労、時間コストは大きいよね。パイロットは、身体リスク、肉体的疲労、精神的プレッシャー、それから何か不祥事になったら100%で社会的な関心を寄せるから社会的なプレッシャーも大きい。でも、人の命を乗せて人が行きたいところに無事人を運ぶというこれまた、倫理性に疑いの余地がない仕事。

ところが、弁護士に関しては、各種コスト・プレッシャーもそうだけど、「今やっていることは果たして正しいことか?」と自分の倫理感や正義感と戦う部分、精神性と金儲けの間で揺れる部分がありそう。ある意味、「事件屋」みたいなところがあるし。サイコパス性の高い人が多い職業って言われるのにもワケがあると思う。企業CEOもサイコパス性が高い人が多いらしいです。感情を排除して、仕事せなあかんところがあるしね。西園寺が弁護士だったら離婚分野で仕事したら100%病みそうです。

ケースバイケースで、そのゲームに合った意見を法的ロジックに当てはめて主張しているだけで、個人的には「うーん?」って思うことだってあるだろう。だから、「社会正義」とか崇高な理念を掲げたり、そういうものに酔って志望して行った人たちは、少なくとも「金銭面」では苦労しているんじゃないかな。折り合いつけれなかったり。良心の呵責に苦しんだりね。

ああいう高貴な職業と、マーケターみたいな卑俗な職業を比較したら失礼だけど、西園寺も「これってどうなんだろう?」って思った健康系の広告案件をたくさん売りさばいたことは全然ある。マーケターはぶっちゃけ、「売る人」に徹して、依頼された案件をひたすら売りさばくことに精を出す場合がある。

でも、その時も思ってた。

「正しさなんてない」って。

それなりに、調査分析を巡らせた後に、最終的には自分が、個人的な主観・体験から良い感じ、って思ったのを案件として扱ってたりしてたしね。

そういう意味で、「このブログ」は実にやりやすい。「西園寺ワールド」でほとんどが完結しているし、「メーカー」も兼ねてるから。

 

 

どんな職業でも、何が正しいのかわからなくて苦しんでいる人っているよ。

どんな職業でも、良心の呵責に苦しんでいる人っているよ。

 

昔読んだ本に、こんな面白い話が載っていた。うろ覚えだから、表現は違うはずだけど内容的にはこんなことが載ってた。

「前職は・・・本当にやってて苦しくて、精神的に追い詰められました。自分がやっていることの正しさを常に疑っていました。未来ある学生たちに、パンフレットを見せたり、勧誘したりするのが本当に辛くて。あの頃の年代の子たちって、資格ってものにすごい希望を抱いていて、だからこそ彼ら・彼女らはとても執着するんですけど、実際はそこまで、その先の世界が良いものじゃないのもわかってましたからね。だから、長年勤めていた資格試験予備校業界をやめて、MLMの世界に移ってこれて本当に幸せです。一気に心が軽くなりました。」

 

西園寺はそれ読んだ時、いろんな意味でコーヒーフラペチーノを吹き出しそうになった。

人間がどこで良心の呵責に苦しむのかって人それぞれなんだな、って。

 

 

 

 

P.S

西園寺さんは間違った生き方をしています。良い子は真似しないでください。

私はノリと勢い、なんとなくの直感で生きています。

 

P.P.S

今回の記事で紹介した、「良心の呵責は真っ先に捨てるべし」「お金儲けと精神性を一緒にしない」「ご都合主義を地で行けば良い」っていうような考え方を教えてくれたのはこの本です。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。