(2)世にも奇妙なサクセスストーリー

そもそも俺は、優等生だった。・・・12歳ぐらいまで。

ギリ、13歳ぐらいまで。

テストは100点なのが当たり前だったし、満点で当たり前だったからこそ、それを如何にして早く終わらせるのかに熱を上げていたぐらい。

まぁ、それが数年後に見事に落ちこぼれになるのだけれど。

 

今でもハッキリと覚えている。

教室の黒板の色。

時計の形に色。

緑と白だ。

 

コツコツコツ・・・

と秒針が響き渡る中で、サラサラサラ、カリカリカリという小気味の良いみんなの音が聞こえる。

なんとなく、その音が競争心を駆り立てる。

 

この中で、勝つんだ。

早く終えるんだ。

なんとなく、そんな感じでいつもテストに臨んでいた。

 

小学校の時、部活を熱心に頑張っている友達が、「全国大会」とかの話をしてくれていて、自分には未体験のことだから、ボヤッと、想像を膨らませた覚えがある。同級生たちのことを、すごいなぁ、難しいことやってるなぁ、と思いながら。

彼らの口から出るのは、全国の分厚さ。上に上がることの難しさ。

 

「この前の大会でさぁ・・・」

公園かなんかのアスレチックで、だらっとしながら、友達の話に耳を傾けていた。

大会で負けてきたらしい。

ハードだったらしい。

きっと、世の中をトーナメントに例えるのなら、1回戦、2回戦を勝ち抜くのは簡単だとしても、上に行けば行くほど強豪が待ち受けているんだな。だから、そんな世界に頭を突っ込んで努力するのは無駄だな。どうせ、俺なんかには勝てないだろうし。負けて当たり前の世界に、努力をつぎ込んだってどうなると言うのだろう・・・・。

 

なんとなく、そういう思想は漠然と持っていた気がする。

小学生ってどのくらいまでの思考力があるのだろう?

 

「俺はプロスポーツ選手にはなれない」

「俺は総理大臣にはなれない」

このぐらいのことはわかっていた気がする。

「俺の家は金持ちでは無い」

もわかっていた。

いや、もっと言うと、「どうせサラリーマンになるんだろうな、だって大抵の大人もサラリーマンじゃん。サラリーマンの中でも、中の上くらいになるか、あるいは公務員とかその辺になるんだろうな・・・・どうせ・・・・」という感覚ぐらいは、あったのかもしれない。多分、小学校2年生ぐらいでそういう感覚はあった。

だけれど、将来の夢について、みんながサッカー選手とかなんとか書いている中で、一人、「サラリーマン」とか書いたら夢が無いから、とりあえず、「プロスポーツ選手」とか書いておいた。だって、男子はみんなプロスポーツ選手、女子はお花屋さん、ケーキ屋さん、お嫁さんだったからね。

 

みんなに合わせた。

嘘をついた。

 

野球をやっていた同級生、サッカーをやっていた同級生の中で、やたらとマセていて大人っぽい奴がこんなことを言っていた。

「あいつも、あいつも、選抜メンバーだけれど、きっと、将来はプロにはなれない。プロって、そんな世界・・・・。」

 

スポーツが厳しいのはわかっていたけれど、勉強が厳しいのもわかっていた。

なんとなく、全国大会の頂点みたいなものがあって、そこに多分、大学だったら東大みたいなところがあるのだろうな、って思っていた。

 

どう考えても、そこに「行けるわけが無い」と思ってしまう。

頑張っても無理だと思ってしまう。

努力するだけ無駄だと思ってしまう。

 

どう考えてもありえない。

確率というか、そういうことを考えても、ごくごくわずかな人しか栄冠を掴めない。どうせ頑張ったって、「頑張ったね」とか「努力したね」とか「えらかったね」とかテキトウなことを言われるだけ。

 

努力したって無駄。

頑張ったって無駄。

だって、勝った経験が無いのだもの。それを実感した経験が無いのだもの。唯一、お勉強だけは、ちょっとばかしできた。だって、先生の話をちゃんと聞いているのが俺だけだったもんね。話聞いておけば、理解できる。理解できたら、解ける。ただそれだけだ。特別に勉強した覚えはなかったし、しようとも思わなかった。

 

小学生の時、全体朝会みたいなもので、表彰される子達を見ながら、

賞状みたいな紙切れもらったって・・・・

と思っていた。

 

ちなみに、中学3年生になって、「受験」というものが目の前に押し寄せてきたとき、後悔した。学生時代、何かを一心不乱にやってきた実績が評価されて、「面倒な関門」をスルスルと抜けて行く子達。人生で初めて一律に背負わされる人生の重荷。ここから人生は決まっていきますよ、別れていきますよ、という初めての脅し。とっても嫌だった。競争なんてしたく無い。戦いたく無い。逃げたい。でもやるしかない。その時、初めて後悔した気がする。何もやってこなかった自分を。

アァ。何か頑張ってた人は、あとあと、こうやって実績になるんだ。評価されるんだ。これで採用してもらえるんだ。

その時は、少し反省したかもしれない。

でもね、結局、高校になってもそうだったけれど、勉強もスポーツもやった方が良いってわかっていたけれど、でも、目の前のことがこなせない自分がいた。将来の自分のためには、絶対やっておいた方が良いことをやれない自分がいた。1年、2年、3年というのは凄まじい長さだ。先のことを考えて、逆算してやるにはあまりにも長すぎる。耐えるとしたら、辛すぎる。

未来のために、今、じっと耐えてやってみる。これができない。耐えられそうに無い。飛び込む勇気が無い。

結局、人は、

  • 好きなこと
  • 得意なこと
  • 元々の性質

の延長線上にしか未来が無い。

そういうことは、薄々感じていた。

 

だから、必死に探していた。

何か、何か夢中になれるものを。

何か、得意になれるものを。

何か、人生を賭けられるものを。没頭できるものを。

 

自分の道を。

 

*******

 

朝から、優雅にコーヒーを飲んでいる。

出勤前では無い。出勤など無い。

自由で、最高のひとときだ。

 

本当に、コーヒーと自由はセットのような気がしてならない。

 

今、実はコーヒーを飲みながら、水曜日のダウンタウンの映像を観ている。普段、テレビを観ないのだけれど、女の子の家にいるから。まぁ、過去の録画映像だけれどね。

「生涯で一度もホームランを打ったことが無い野球選手、0人説」

というものがあった。

プレゼンターによると、選りすぐり中の選りすぐりがプロに来るのだから、生涯でホームランを打ったことが無い野球選手なんていないだろう、という説。実際、調査を進めていくと、当のプロ野球選手たちも、「プロは野球に関しては何をやらせてもレベル高い人が集まっているので、ホームランを打ったことが無い人はいないと思います・・・・」ということを言っていた。

 

ところだ、だ。

速攻で説が崩れてしまった。その説を崩したのは、なんとあのビッグネーム。菊池雄星選手だ。小学校、中学校、高校・・・プロとホームランを一度も打ったことが無いという。他にも、生涯ホームランなし選手が結構いた。

あの時、上を見上げていた世界の、はるか向こうの彼方にいる。・・・・それがプロ野球選手。あの当時はわからなかったこと。今ならわかることがたくさんある。

 

大人になってから、ありがたいことに、多くの人から「どうやって成功したんですか?」と聞かれることや、「羨ましいです」と言われる機会が増えた。あれ、俺、別に何もやっていないけれどな、と思って、ふと、ipadを見ると、過去のものすごい勉強の履歴が積み上がっている。その時、「あ、そっか、色々頑張ったもんな、俺」と思う。

・・・・・・でもね、ただ努力したわけじゃ無いんだ。

真実を知りたいという、純粋な興味心を持って歩んできただけ。

 

夢を見るとか、

目標を持つとか、

努力するとか、

そういうものとは無縁の世界にいた。

 

でも、そんな自分が。

冷めていた自分が。

諦めていた自分が。

 

まさか、心に火をつけて、人生の賭けに出るようになるとは思わなかった・・・・。

 

今なら、わかる。

プロ野球選手たちの話も、全て、総括してわかる。

誰でも、いつでも、どこからでも成功できる方法がある。

 

それは、「オールラウンダー」にならなくて良い、ということだ。日本の学校教育では、オールラウンダーが自ずと高評価され、自信をつけて、這い上がっていける仕組みになっている。でも、「1点強化タイプ」は、なかなかきっかけが無いと自分の可能性を自覚しづらい。また、「1点強化タイプ」であって、まだまだダイヤの原石である人たちも、それを自覚して、最適な形で磨いていかねばならない。だから、自覚しにくい。

 

努力なんてやるだけ無駄だ。

勝負なんて疲れるからしない方が良い。

高い世界なんて夢見ない方が良い。落胆するだけだから。

人生は諦めた方が良い。

どうせ自分には無理だ。

特別な人たちは違う。

 

そんな考えを一切しなくなった自分がここにいる。

・・・昔と何が違うのか?

 

それは、「自分を発見した」んだ。

 

(・・・・続く)


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。