神奈川に川崎駅というところがあって、どデカイ駅なんだけれど、そこのエスカレーターを淡々と登りながら眺めていたあの景色。
それを、また、別の心境で眺める心境はどこか不思議な気持ちだった。
いつから自分に意識が芽生え、自分の判断が芽生え、善悪や美醜の感覚が身についたのかわからない。でも、「常識を捨てなければならない」「成功するためには学校教育に染まっていてはいけない」「親や先生の言うことを聞いていてはならない」系の言説に染まりまくってから、どこかおかしい。
なんとなく、嘘に騙されているような気がしていた。
フットサル場を横切る。
ちょっと正確な場所は忘れたけれど、神奈川のどっかにあるんだ。密集した都会的なエリアに、ポツンとフットサル場が。そこを通りながら、「いつから、自分の思考を始まったのだろう」と丁寧に検証していくと、やっぱり、完全に親にやられている。学校の先生にやられている。それがわかった。
多分、本気で、そこからテコ入れしていかないと何も変わらない。
幼稚園の先生は、俺に「優しいね」って言って褒めてくれたし、小学校2年生の時も「優しいから」という理由でバレンタインデーチョコを3個ぐらいもらったのだけれど、そういう経験から来る嬉しさみたいなものが、自分の性格みたいなものの方向づけを補強していったに違いない。
アイデンティティーを否定してまで、何かをやりたいと思う人はいないと思う。
でも、15歳の俺は違った。幸か不幸か、なんとなく「社畜の悲劇」を疑似体験できるような機会に恵まれていたからね。12歳ぐらいから真剣に、「将来どうなるんだろう」と悩み続けていたから。ヤバイヤバイ、という意識ばかりが巡っていた。ある意味、先のことばかり考えていた気がする。先のことを考えすぎて、今のことも未来のことも疎かになり、結局、四面楚歌になっていた気がする。
一番ダメなパターン。
うだうだ悩んだり、考えたりしてるように見えるけれど、何もしてないっていう。
「お金ってなんだろう」
この問いは、昔から延々としていた気がする。昔は、「どこかで働いたらもらえるもの」という意識があった。それがそのうち、「どうやら働く場所によってもらえる額が違うらしいぞ」とか、「持っている資格によって稼げる額が違うらしいぞ」ということに気付き始める。
小学生とか、中学生とかは、RPG的な世界観に害されているせいか、
「良い大学に行こう」
「良い資格を取ろう」
「良い会社に入ろう」
という安直な思考をしてしまう。多分これは、22歳ぐらいまで続くものなんだと思う。
もしかしたら今は、「お金の天才」になりやすい時代かもしれない。当たり前のようにYoutuberのエンタメで育ってきた小学生。投げ銭でお金を得る実況者。SNSで自由な生き方を宣伝する人たち。電子マネー。仮想通貨。書店に行けば、怪しげな人たちがいろんなことを謳っている。なんていうか、俺が小学生の頃は、もうちょっと、株で儲けよう系の話が多かった気がする。・・・・曖昧な記憶だけれど。
今でもたまに、夢を見る。
時給何百円で働いていた頃の夢だ。
はっ、とあの時のことを思い出すのである。
・・・・・今、そういうものとは無縁の世界にいる。
ふと考えてみたら、不思議である。なぜ、出勤時間に追われていないのだろう。なぜ、働かないでもお金があるのだろう。なぜ、食べたいものを食べれて、好きなところに行けるのだろう。
友人や知人と電話で話せば、その中には「普通」の暮らしをしている人たちがたくさんいて、彼らは部下のマネジメントや、新人の教育、上司の問題、会社の体質の問題、給料・・・・・・と、いろんなことで頭を悩ませている。それこそ、パワハラだとか、セクハラだとか、残業だとか、世間を悩ませているような概念がまさに当てはまる世界だ。
でも、俺はどうだろう?
どこか、無縁の暮らしをしている気がする。
起きると、目の前にオーシャンビューが広がっていたり。何も考えずに片道切符で電車に乗り、中国地方を横断していたり。ノリで韓国・台湾に行ったり。
夜の六本木で、電車を見逃した。
I missed the train at night in Roppongi.
英語の教科書に出てきそうな状態。夜道を歩いていると、横から高級車が爆走して行った。爆音にもイラついたのだけれど、そいつが横に女を乗っけていたことと、若かったことが更にキツかった。なんというか、そのシーンを見て、怨念のように、「カネホシイ、カネホシイ、カネホシイ・・・・・」という気持ちが湧き上がっていた。
(・・・・・続く)
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。