人生を変えられた俺と、変えられなかったその他の違い (3) このまま私はどこへ向かうのか、という感覚

 

大学生あたりの人間にとって、

一番聞きたいであろうが、誰も教えてくれない話

をしよう。

 

例えばお前が、アカデミアで生きていきたいとする。

そうしたら、大学を出たら修士課程に行き、次に博士課程に行かないと行けないだろう。

 

学部(4年)+ 修士課程(2年)+ 博士課程(3年)= 計9年

 

こういう、

「決められた枠組み」

というのがどこの世界にも存在する。

 

パイロットもそうだ。医師もそうだ。弁護士だってそう。

弁護士の場合、司法修習の際にはバイトができないので、実家が細いと貧乏生活をすることになり、このときにも、「実力主義のはずのペーパーテストで、結局は親が弁護士のような奴らが得するんかい」という現実を見ることになろう。

 

ここで言いたいのは、

もしお前が、そういった手順・枠組みをなぞるのが好き・得意なら、もうそれをやっている

ということだ。

そして、18歳には成果が出ている。つまり、東大か京大に入っている。パイロットコースにしても、18歳くらいからもう進路を決めて動かないといけない。

 

そして、若者にとって、

  • 輝かしい世界
  • 成功した世界

は、そういったものばかりだ。そういったものばかりが視野に入る。

 

多少現実に妥協して、就活戦線に出るとしても、用意されたレールというか、レギュレーションというか、そういうものを色々守って、みんなが憧れるような会社に入っていくことになる。

そして、U-25までは、常松広太朗みたいなのが、羨望の目を浴びまくる。

U-25にとって、嫉妬で狂いそうになるほどの大正解を歩む、同世代のトップカーストみたいな人間だ。

 

慶應に受かり、甲子園に出て、ゴールドマンに内定する。そして20代前半で美女と婚約する。

美しいほどに形をなぞっている。あらゆる器を揃い集めている。

はっきり言っておくと、思い悩んでいる時点で、そっち側にはいない。

だから焦っている。

若さゆえに、将来の期待が大きく、可能性の重圧がのしかかる。しくじれば、ダメなおじさんたちみたいになる。未来が重たい。

人生がまだ固定化されていないからこそ、必死になってもがく。

 

せめて、せめて、

トップティアのキラキラじゃなくても、

どこか、自分がすべりこめそうな、

これまでの「ハンディ」が悪影響しなさそうな何かレールはないか、

そんな世界はないか・・・

 

そうやって、アラツーは右往左往する。

 

 

最近、探偵ナイトスクープをみた。

山陰から大阪に出てきて、大学生をやっているが、人生を迷っている若者。

 

人生に迷い、大阪万博のバイトをして、そこで出会ったおじさんと一緒に住むようになった。

そのおじさんは、若い頃、バックパッカーをしていたという。その経験から出てくる話に魅了されたのだという。おそらく、同じ属性だったのだろう。

こういうおじさんは、上から目線で

  • 就職しろ!
  • 働け!
  • キャリアを考えろ!

などとは言ってこない。

 

こういう話は、いつの時代もあるのだ。

いつだってある。

 

その悩みを本やメディアと対話する場合もあるし、リゾートバイトでする場合もあるし、旅に出てどうにかしようとする場合もある。

 

これ系の人間は、

「いい大学を出て、いい企業に入り・・・」

「●●試験を受けて・・・」

みたいな決まったレールが見つかってるなら、好き・得意なら、できるなら、もうやっている。やっていないから、迷っている。迷っているから、やっていない。

 

つまり、世の中に用意された、定型的な器に答えを見出せない。

そもそも、18年、22年の人生経験で、その器の種類すら、探しきれない。そもそもそれらもディティールを知るのに限界がある。

 

 

私の場合、弁護士になる気もないのに、弁護士の資格について、そして試験内容について、調べた。そもそも法学の単位は取ってたし、内容は理解できた。会計士についてもそうだ。簿記会計もわかっていたから、資格やその試験内容についても目を通していた。

そのほか、あらゆる自己啓発書を読んだり、異業種交流会に出たり、とにかくあちこち調べた。私の若き彷徨い時代の話である。私の場合は、「私以上に、あらゆる可能性を調べてる人は、この国にはいない」というくらい調べた。おかげで、この世界のあらゆる「器」「形」に大変詳しい。いろいろなインタビューもしてまわったからだ。

 

社会、先生、親は、

「形」

を求める。

何になりたいのと聞いてくる。自分は、なんとか、自分を形に当てはめようとする。そうじゃないと、「学生」という身分が失われたあと、アイデンティティクライシスに直面する。

まだ若くて多感で、不安がいっぱいだから、

  • ニート
  • 無職

みたいな社会的にニュートラルな状態になることを過剰に怖がる。

形に飢える。

 

 

で、それを踏まえてだが、あの頃には無かった視点がある。

 

それは、誰もが教えてくれなかったこと。

そして、今の時代の若者も、きっと、見えていないであろうこと。

 

 

色々あったが、私は、

「最高に気持ちいい状態」

で生きている。

 

あの右往左往していた過去がまるで無かったかのように、最高に気持ち良い風を感じながら、自分の人生を歩めている。

 

おっと。

引っ張りすぎだろうか。

 

答えを言おう。

 

典型的な形をなぞれない、それを自分にあてはめられない、自分の居場所や器が見つからない、かといって自分を社会に無理やり嵌め込められない、みたいな人間にとって必要なのは、

ああ、このままどこへ行くのだろう

という感覚だ。

 

ああ、このまま私は、どこへ行ってしまうのだろう、という感覚だ。

 

よくよく考えればわかることだが、見通しが良いということは、前例があるということ。形が既にあるということ。そこには先人がいるということ。しきたり・掟があるということ。キャリアの行列があるということ。

それらをなぞれない、見つからない、決められない、なんかフィットしない・・・・

という人間は、残念ながら、

 

「多分、自分は終わりかもしれない、やばいかもしれない」

みたいな不安と同居しながら、

よくわからない道を進むしかない。

 

つまり、見慣れた道に囲まれて、知り尽くしていて、そこに退屈したり嫌気がさしていて、そこで骨を埋めるのも嫌で、みたいな人間は、どっかに遠出しないといけない。

「でも財布を無くしたらどうしよう」

「でも襲われたらどうしよう」

「でも迷子になったらどうしよう」

「その先、何も無かったらどうしよう」

とか言っていても、始まらないというか、もはや、それなのだ。メリットデメリットあるとかいう話ではなくて、それなのだ。それを求めているのだ。

彷徨っている、迷っている時点で、それを求めている。本当はわかっているのだ。だが、自分でその現実を否認しているのでいる。

 

ちゃんとした自分でなければならない。

ちゃんとした自分でありたい。

ちゃんと賞賛されたゴールデンルート、キャリアA、メインストリームを歩みたい。

 

でもそれができてない、やってない、そんな現実と認知的不協和を起こしながら、

「公認会計士なら逆転か?」

とか右往左往しているのだ。

 

 

結局のところ、

人は、

自分が何を欲しているのか、何がしたいのかわからない

ことが全ての本質なのである。

 

そしてこれは、現状、実際は答えが出てるのに、それを認められていないとか、

周りから見たら決着ついているのに自分は気づいていないとか、

そういう諸々が絡むのである。

 

 

私は過去に、

フラれるとわかっていて、脈がないとわかっていて、それでも告白しにいった

という経験がある。

あの頃は若かった。

 

白黒つけたかった。気持ちを整理したかった。玉砕したかった。

確認作業であった。

 

人生には、頭はわかっているが、心がついていかないとか、目の前の現実を受け入れられないとか、気持ちが整理できないとか、自分でも感情をコントロールできなないとか、「正しいと思ってることができない」「まずいと思ってるのにやめられない」みたいなことがよくある。

よくある。

 

この心について、成長させ、耕し、自分を発見していくプロセスというのは、極めて、論理的でもなければ、機械的でもない。

 

自分のことをおじさん・おばさんだと認められない28歳、29歳が、たまたま通りがかった公園で、転がってきたボールを子供に渡してあげたら、

ありがとう、おじさん/おばさん!

と屈託のない笑顔で言われることで、脳天に衝撃が落ち、寝込み、その機会をきっかけにして自己認識をゆっくり現実に近づけていく・・・・なんてことは、ある。

 

生まれつき、耳が聞こえない人は、どうトレーニングしても自然な喋りにならない。

フィードバックを受けられないからだ。

自分の声も、誰かの声も聞こえない。

一方的に喋るしかできていない。

 

多分、若いうちは、この状態にある。

彷徨っている。

そういうケースが多い。

 

自分と世界の輪郭が見えないのである。

 

 

むしろ、こういう彷徨ってることは、「一見するとよくないことがプラス」になることも多い。

例えば、親から出て行けと言われる。実家を追い出される。もう縋りつける対象がない。親に怒りが湧いてくる。「ああ、なら出ていってやるよ!」と売り言葉に買い言葉になる。プライドがあるから、意地で帰らない。ホームレスをやるわけには行かないからなんとか働く。働くしかない。強制的に変わらないといけない状況が出てくる。親が自動的に与えてくれたものが、必死になって働かないと維持できなくなる。

でもその、一見すると「落ちた」環境変化を通して、きっかけが得られたりする。動かないと行けなくなった。結果、働けるようになった。その生活の中で、心境の変化が生まれた。

ああ、俺が欲しかったのって、もしかして一人暮らしかもしれない

みたいな感じで、何かに気づいたりする。

 

仕方なく、出ていった街。

訪れた街。

それで、「田舎っていいな」「やっぱり都会がいいな」と何か気づいたりする。

 

どうしても、

「その何かが、あらかじめ見えてるように見通しよくしたいんだ」

とか

「失敗したくない」

「遠回りしたら?どうする?」

「奈落の底に落ちたら」

などと若いうちは考えてしまう。そしてコスパ主義・タイパ主義の罠に陥る。

 

でも、上級な話をすると、

結果、何が得られたか、目的は達成されたか、よりも、

時がすぎると、そうやって動いたり、ぶつかったりしてるような過程そのものが、価値があったり、それそのものがまた目的だったな、と振り返って思うようになる。

まるで旅のように。

 

 

そもそも、何がしたいか、何が好きかなんて、最初の段階では決まっていなくて、

  • 嫌なことA
  • できないことB
  • 苦しいことC
  • ムカつくことD

などを体験した結果、

「私の道X」

みたいなのが、後天的に“形成される”なんてことがある。

 

塩辛を食べた結果、ビールが欲しくなる、ビールがうまい、みたいな。

 

自分の人生を安売りしないで!

みたいなことを言う奴がいる。

いや、安売りしろ。

 

綺麗な器・形をなぞって上位にいるわけじゃないから迷ったり彷徨ったりしてるわけで、そもそも高くもなんともないのだ。

最初から安い。

 

あまり自分の命や時間、人生を高く見積すぎると、今度は逆に何もできなくなる。そして腐っていく。腐り落ちていく。

恋愛できない奴全般にも言えることだ。なんとなく、自分を高く見積もっている。相手に妥協するとか、そういうことに限定した話ではなく、なんか、手を出す前から億劫に、臆病になりすぎている。

 

こういう人間に限って、人生追い詰められて、土壇場では闇バイト求人みたいなのにホイホイつられてた

 

 

旅と人生の稽古場 〜生き方がわからないときの処方箋〜


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。