AIには教えられない人生講座 25歳の自分に向けて人生を語ろう 「犯罪者は生まれた後も、生まれる前も、殺せ。結婚と子育てと、中絶と死刑」

 

犯罪者は殺せ

は多くの人が賛同しているから死刑制度があるだろう。

これは、生まれた後の話。

 

しかし、生まれる前に殺せ、もエビデンスが支持している。

凄まじいエビデンスがある。

 

90年代、アメリカにおいて、犯罪が激減した最たる理由は、

中絶の合法化

という話。

 

犯罪者が減ったのは、赤ちゃんを殺せるようになったから。

妊娠中絶できるようになったから。

 

(こう考えると中国の一人っ子政策は案外筋が良い)

 

要するに、世の中には、生まれながら犯罪者コースになるしかないような運命の赤ちゃんというのがいて、中絶が許されない場合、それが将来の犯罪者になってしまうということ。

 

やれ取り締まりだ、

やれ刑罰だ、

やれ治安維持策だ、じゃないのだ。

 

犯罪をやる奴らだって、やりたくてやったわけじゃない。

そいつらだって、裕福で都会のエリート家庭に育てば、グレなかっただろう。

犯罪者の家庭事情は悲惨だ。

 

つまり、今の社会は、ガチでどうしようもない奴は殺せ、死刑にしろがまかり通っている。

これは生まれた後だ。

しかし、エビデンスは、「生まれる前に殺せ」も支持している。

 

さらにここから、もっと凄まじいエビデンスがある。

  • 子供がまともに育つか
  • 子供が優秀になるか

は、「親が子供に何をしたか」ではない。

親が何者か

なのだ。

 

要するに、極悪で親が頑張って一人で育てて、その苦しい中で、一生懸命、子供が良い方向にいくようにあれこれやったところで、高が知れている。

なぜなら、雑魚の子供だからだ。

雑魚家庭の子供だからだ。

 

以上の話は強烈である。

 

 

多くの人は、適齢期になると、こう考える。

いつ結婚しようか。

誰と結婚しようか。

子供がいるか。いらないか。

いつ産むか。

 

これについて、

エビデンスは、

  • お前が何者か
  • 結婚相手が何者か
  • 産むか/産まないか

で家庭、その子息の末路は大半が決まることを支持している。

 

つまり、世の中、甘くない。

 

典型的な雑魚社畜にありがちだが、仕事はそこそこ、癒しを求めて異性に縋り、家庭を築き、そこで子供を作り、家庭を生きがいにして生きる。それは完全に自身のエゴであり、自分がどういう運命を子息に背負わせるかは、

「そいつのスペック」

で決まるのであり、おそらく、結婚する10年前にそいつが何をしていたか、くらいの次元からもはや決まっている。

 

 

どうしようもない奴はどうしようもないから殺せ

これは多くの人が支持している。

 

一方、

それが成立するなら、どうしようもない奴も生まれる前から殺せ

とか

お前は産むな

みたいな次元の話は、多くの人が目を背ける。

 

わかりやすい悲劇、たとえばガッツリ障がい者の夫婦が、障がい者同士で結ばれて、障がい者を産むようなのはネットで批判される。まぁ、それですら、ネットのような偏った空間での批判で、世間一般では違うのかもしれないが。

 

だが、身も蓋もない事実として、

親が何者かで子がどうなるかは決まる

というのは、多くの人がうすうすわかってるのではないか。

 

孫正義の親は経営者だ。柳井正は2代目だ。

前の総理大臣である石破茂の親は政治家。

今の防衛大臣、小泉進次郎の親は元首相。

例はいくらでも挙げられるが、社会で「偉い」「すごい」とされているのがほとんど、世襲ではないか。

 

 

多くの人は、人生の安寧や、完成や、休息を、家庭に求める。結婚に求める。出産育児に求める。

これは完全なる親のエゴで、道連れである。

特に、女の場合は「人生が他責」であり、人生イージーゲームで生きてこれたから、「人生楽勝」と思っている感が男より強い。

 

これは、ある女性の兄や弟を見ればわかるが、女としてチヤホヤされてイージー人生を送っている女の兄や弟は、

  • チー牛
  • 非モテ
  • 引きこもり

だったりする。

男に生まれたらそうなる運命だったというわけだ。

女というのはギフトである。

 

めちゃくちゃな家庭でも、一人っ子で、女に生まれると当たりくじであり、その子は比較的、イージーに育つ。こういう連中の言説も、子育て観念を歪ませる。

女二人が生まれ育つのと、男二人が生まれ育つのは話が違う。

 

 

男親が、結婚する、子供を産むという選択をすることで、かなり、その後の家庭や子供がどうなるかは、

「最初にシナリオが決まっている」

ということなのだ。

誰と結婚するかで大きく変わる、ぐらいは意識できてたとしても、子供の将来がどうなるかはさらにそのはるか前から決まっている。

 

 

これから、二人で、明るい家庭を築いていきたいと思います

じゃないのだ。

どう築くか、作るかは、少数ファクターなのだ。

過半数は、誰と誰のペアなのか、そいつらは何者なのかで決まるのだ。

 

 

よって、

  • 仕事が嫌だ
  • 人生が嫌だ
  • キャリアが嫌だ
  • なんとなく不満だ
  • 鬱屈している

みたいなことの逃げ道、吐口を、

「家庭」

「パートナー」

に向けると大変なことになる。

そして多くの人が、結婚について、このような勘違いをしている。

 

この答え合わせは、10年後、20年後、かなり複利となって返ってくる。

間違えたことによる罪、罰は重い。

 

しかも、

  • パートナー
  • 子息

を救済と考えたり、生きがいと考えたり、すがる対象として考えた人物ほど、「愛情、愛着」を注ぎながら、悲惨な末路が待っている。

皮肉な話だが、恋愛も家庭も、もともと「人生がうまくいってるやつが片手間でやった副業」みたいなケースがうまくいくのだ。

生物は本来、生殖・子孫繁栄のために生きているはずで、それが本筋であるはずだが、高度な現代社会ではそれを「メインディッシュ」と勘違いした人間は、スイーツ・フルーツを主食にした人間と同じような不健康末路が待っている。

 

 

25歳くらいの頃の自分は、

まさにそういうことに、

着々と気づきはじめる。

 

人間というのは、不思議なもので、「下の階層にいるほど」、元気である。なんでもできる気がする。

しかし、「上の階層」にいくほど、とんでもない奴らを見ていくことになる。

地元のお金持ちの友人、とかいうレベルじゃないお金持ちとか、血筋勝ちみたいなのを知る。圧倒的理不尽を知る。単に、「親ガチャにあたった」という事実で、そのほか数百万、数千万、数億の人間を凌ぎ、ただ悠々自適に暮らし、遊び、豪遊し、人生を舐めていて、全てを得て、苦労も知らない、みたいな連中がいるのだ。

 

 

例えば、美容整形にしても、骨格削りみたいなことをやった人は、痛み、ダウンタイム、費用をかけて、悲惨な思いをして、

これだけしか変わらないのか

みたいな体験を通して、「いかに遺伝勝ち組が素晴らしいものなのか」を知る。同時に、自分の生まれながらにして誇れるポイント、気に入ってるポイントのありがたみも知り、それを手放すことの痛みも知る。

結果、「不細工と結婚して不細工遺伝子を残したくない」とか、「格上イケメンと結ばれたい」みたいな思いが強くなる。

これは致し方ないことだ。

ある意味、そうやって、現実を知ることによって、マインドが変わってしまう。

 

ヘラヘラ生きていた学生も、幸せになるための労働で疲弊して、お金を稼ぐ大変さを知り、やがて恋愛観も焼かれてしまい、経済力がある異性が魅力的に思えるようになったりする。全てが変わってしまう。これを売女精神と批判する男もいるが、男だって結局、給料の多寡で、やりたい仕事・好きな仕事が変動する。会社に対する気持ちも変わっていく。そんなものだ。そして、そうやって色々葛藤しているうちに、そういう難問に生まれながら向き合わずに住むような星の下に生まれている人たち、生きる世界が違う人たちに対して、強烈な気持ちを感じる。頑張った人ほど、葛藤した人ほど。

つまり、真剣に生きるほど、バカを見るみたいな構図が結構ある。

 

 

努力して手に入れたものは、

努力せずに手に入れたものに劣る。

 

生まれながら手に入っているものは、

生まれた後に手に入れたものに勝る。

 

皮肉なことに、

努力して人生を変えた人間、

自力でもぎ取った人間、

勝ち上がった人間ほど、強烈な理不尽を前にして、脳が焼かれる。

 

 

実際、マジで成り上がった人間は、そういう人間ほど、自分の子息に対して徹底的な英才教育を施したりするようになる。現実を知るからだ。

福沢諭吉は下層階級からの成り上がりだが、自分が成り上がった後、自分の娘が結婚相手として連れてきた人間に対して、

お前みたいなところの奴に娘はやれるか!

と反対したという。

門閥制度は親の敵

がモットーだった福沢諭吉が設立した慶應義塾大学は、今となってはエスタブリッシュメントの権化のような存在となっている。

 

彼もまた、どこかで、現実を知ったのかもしれない。

 

諭吉が残した、

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

も実際はかなり誤解された切り取りであり、「そう言われるけど、実際の世の中は違うよね?ってか、教育は格差固定・拡大マシーンだよん♪」みたいなことを言っているし、当人は「国立大学なんかくそだろ!全部私立にしろ!公金使うな!そもそも貧乏人が教育で身分を変えられると勘違いすると社会の安寧を損ねる!安定性が失われる!教育は親の私情だ!金がある奴が教育を行い、強くなり、雑魚は雑魚階級でそのままでいい!その方が社会のためにいい!」みたいなことを言っていた人物である。

もともと、不遇を恨み、出自を呪って、成り上がった人間は、最後はそうなった。

 

やはり、現実というものが世の中にはある。

 

 

子供を持つことは素晴らしい。

子供を持ったことを後悔しているなんて、表では言えない。

 

だが、エビデンスは残酷だ。

ネットの検索データを分析すると、「子どもを持たなかったことを後悔している人」よりも、「子どもを持ったことを後悔している人」のほうが【3.6倍】も多いという衝撃的な事実が明らかになっている。

アンケートなどの公的な調査では、世間体や道徳心から「子どもを産んで後悔している」とは絶対に言えない(=嘘をつく)人が多いが、Googleの検索窓という「誰にも見られない告解室」では、本音が剥き出しになっていることを示している。

これはインターネット時代が明らかにしたエビデンスだ。

 

パートナーへの愚痴についても、私たちがSNSやカウンセリングで口にする内容と、実際の検索ワードには16倍以上の開きがある。

例えば、表向きは「夫が会話に応じてくれない」という不満が多く語られる、実際のGoogle検索データでは「夫がセックスに応じてくれない」というセックスレスに関する切実な検索のほうが圧倒的に多い

まぁ、当たり前だが、妻なんて飽きる。

ましてや、老けた妻なんて。

ヤリモクを嫌う女性さん、抱いてもらえるのは30歳までと知らない😐

 

どうして、アシュレイマディソンのような、「やばいサービス」が意外にも伸びているのかを考えた方が良い。

結局、「青少年保護条例」だのなんだの言おうと、ジュニアアイドル、高校生グラドルはアテンションを集めて、中高生の陸上動画にはスケベな閲覧が集まる。

 

 

どうして、人は、10代の頃は綺麗なことを言って、綺麗な考えを持てていたのに、20代、30代、40代・・・となると汚れているのか。

それは社会が厳しいからだ。

現実のトレードオフ、交換は厳しいからだ。

偽りのモチベーション、綺麗事なんて、たいていの場合は持たない。

弾け飛ぶ。

理想論や、綺麗事で頑張れない。

動かない。動けない。

 

どうこうしたって、どう足掻いたって、どうにもならないことがたくさんある。世の中にはそういう残酷な話がたくさんある。

 

とはいえ、

もうだめだ

と開き直っても、

27歳、30歳、32歳、35歳・・・となるにつれ、

体は弱り、筋肉は落ち、内臓機能が落ち、反射神経が落ち、

異性にモテなくなり、求人・採用で厳しくなり、・・・・

というように、人生の可能性はどんどん閉じていく。

 

つまり、未来は、もっと悪くなる。

どんどん悪くなる。

 

皮肉な話だけれど、

「未来は悪くなる」

なるからこそ、相対的に今がベストなのだ。

綺麗に言い換えれば、

「人生で一番若い日は今」

である。

 

 

25歳ともなれば、名実ともに、若者ではなくなる。

若者とは、24歳までのことだ。

24歳までなら、誰もが、異論を唱えない。

25歳はアラサーだ。若者かどうか、怪しい。第二新卒でもギリ。

27歳にもなると、未経験採用も弾かれるようになっていく。

明らかに可能性が閉じていること、若くないことを実感していく。

人生で、初めて、明確に下り坂を感じる。上り坂が終わったことを感じる。

 

 

それでも生きていかねばならない。

 

そして、人生というのは、常に、

「25歳の自分にとって、15歳の自分の悩みはイージーだったな、もっとやれることがあったな」

と思うものだ。

どうしてそう思うか?

後天的に賢くなったからか?それもあるだろうが、決定的なのは、

もっと難しく厳しくなるから

である。

 

後になるほど、「あの頃、甘かった」と思うようになる。

 

 

人生は、いろんな意味で、甘くない。

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。