利益の定義は、売上−費用である。
ただし、これは素人寄りの考えで、もうちょい簿記会計的に正確に言うと、利益は『期間計算』であることに注意が必要で、
『期間性』
が定義に盛り込まれていることに注意が必要である。
固定資産の場合、残存価額を差し引いた分を減価償却というプロセスを通して期間損益計算に割り振っていく必要がある。
有名どころが定額法。
たとえば、20年使える固定資産の場合、残存価額を差し引いた数字を20年で割ることによって一年あたりの費用に落とし込んでいく。
これに対して棚卸資産の場合、
- 年初残高
- 当期仕入れ
- 年末残高
のデータが必要になる。すなわち、年初にあった棚卸資産の記録分に当期仕入れ分を足して、そこから年末残高分を引けば、当期吐き出された棚卸資産がわかる。これは今期の売上に化けている。そもそも資産として計上されていた棚卸資産の金額は原価であるため、これで、棚卸資産の費用化計算(売上に化けていった分)ができ、これが簿記会計上は売上原価となる。
(昔、棚卸作業とか一人でやらされたなぁ、、笑)
資産というものを考えた時、会計というフォーマットの世界では、
『細かく刻まれていく』
かのようにして費用に転化されていくプロセスが描かれていることがわかる。棚卸資産にせよ、固定資産にせよ、細かく刻まれて売上に化けていくプロセスなのだ。
売上にも、費用にも、そして利益にも『期間性』という概念は欠かせない。アカウンティング・ファイナンスの世界は、『お金と時間』がセットになっている世界なのである。
資産の定義は将来キャッシュフローに貢献するものであるが、将来キャッシュフローに貢献するというのはすなわち、将来キャッシュフローに貢献するコストが積み上げられているまとまりのようなものであると言える。
単式簿記である家計簿にはB/Sが無いが、企業の家計簿にはB/Sがある。この違いは結局のところ、将来のキャッシュフローのために積み上げがあるかどうか、すなわち未来を見ているかどうかである。
結局、『儲ける』という行為は、タイムギャップがなせる技なのである。
経営者の能力とは、将来を予見した上でそのためにお金を使う能力と、タイムギャップを利用する力、そのための負債レバレッジをかける能力と言えるかもしれない。
では、未来を予見することは、できるのか。
これは、YESである。
一口に未来を予想するといっても、やり方はいろいろあって、別に純粋に未来を予想しなくても良い。すでに発生している未来に着目して、タイムラグを先んじて埋めるかのような動きをするだけでも立派な未来予測と言えるのだ。
未来がわからなくても、たとえばライバルが過去に生きている業界で、業界慣行に流されず『今の水準』をやり続けるだけでも、先を行くカンパニーになることはできる。
つまり、未来というのは、『世の中がどう変化していくのか』のベクトルであって、これは資本主義経済における世の中の動き方を理解することと=でもあるかもしれない。たとえば、世の中がより『資源効率を求めて変化していく』のであれば、非効率な領域にメスを入れるだけで未来人になることができるのである。
経営文脈における未来予測とはその程度のことで、純粋な占いでも、魔術でも無い。メカニズムが見えて、どの方向に動いていくのかというダイナミクスが読めさえすれば造作無いのである。
PS
シンプルであればあるほど運が向いてくるのは、そういうことなのかもしれない。
PPS
資源の有効活用のためのアウトプット/インプット比率の創意工夫や抜本的なディレクション、そして効率を飛躍的に向上させるテクノロジーイノベーションの誕生をひたすら繰り返す歴史を人類は歩んできた。
つまり、Doing more with lessの精神である。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。