人生のどん底。とことん落ち切る。それによって、救われる。

こうあるべきだ。

こうしなければならない。

そういうものに縛られる理由は?きっと、置いていかれたくないから、負けたくないから。自分が馬鹿にされるのが嫌だし、負け組になるのが嫌だから。

 

働きたいのか?働きたく無いのか?

勉強したいのか?したくないのか?

自分の可能性に賭けてみたいのか?否なのか?

 

何がしたいのか、どうしたいのか。そこもはっきりしないから、所詮レールに乗せられた人生を走ってただけだから、わからない。

でも、そんなものを忘れて手放してみる。とことん、底に落ち切ってみる。すると、開き直りの境地なのかしらないけれど、案外、心地よかった。

底辺は、気持ちいい。

底は冷たいけれど、何も無いけれど、心が軽くなった気がした。そのとき、自由とは何かを、はじめて、体感的に味わえたかもしれない。

 

そして、自分の人生、終わったと思った。

 

希望みたいなものがシャットダウンされる感覚。みんな、一生懸命、一つ一つを積み上げて生きている。ブロックを積み上げるように人生を生きてる。だから、みんな、走り続けてる。止まらない。止まれない。むちでしごかれて、人参ぶら下げられてる馬のように、走り続ける。

そのレースから降りる。

 

自分は、積み上げることをやめてしまった。

ぜんぶ崩してしまった。

 

中途半端な自分が変われたのは、一度とことん、底に落ちたからじゃないかと思ってる。それって要するに、振り切るってことだよね。きっと、中途半端じゃ何も見えてこないシーンってのがあるはずなんだ。

とことん落ち切った。

 

そこからはじめて自分の人生が始まったと思う。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。