自分には生きてる価値が無い、死にたい、と思ってる人って、賢いのに、その賢い人が『劣ってる』と認識されて馬鹿に上から目線でズレた諭しを受けるパターンがある。
同スペックで生きるAとBがいて、Aはすでに人生を読みきっていて、絶望も見え切っていて、それで死にたいと思ってるのに、バカゆえにポジティブで何も見えてないBには、Aは死にたいとか言ってる時点で超格下に見えてしまって、そこになんか上から目線で諭しとかしてしまう。でもそれはAには響かない。
ハイスペならこの世を謳歌できるとすれば、同スペで生きる人間、死ぬ人間を分けるのは、『人生が見え切っているかどうか』の違いだったりする。
頭が良いと変に既視感があるのだ。物語が見え切っていて茶番感がある。
こう考えると、生存を善だとするならば、やはり、適度なバカさは必要なのだ。
生きることを前提に最適戦略を考えるならば、あまりに賢すぎる人間は、それ以上賢くなろうとするのではなく、バカになることを目指した方が良い。
ベクトルが逆である。
実際、この世界には馬鹿にならないととてもじゃないけどやってられない、達成できない物事で溢れかえっている。
人生や地球や宇宙を知り過ぎてはいけない。
宇宙から地球を眺めるとボーダーがないことを感じ、戦争の愚かさを知るとか言うけれど、それはある意味で生命や人生のくだらなさを知ることであり、時空間的にでかいスケールで捉えると大体のことはどうでもよくなってしまう。
ところが私たちの毎日は、瑣末なことで溢れかえっている。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。