『貴方の言葉に救われました』 俺は自分の才能から逃げていた。涙を流して喜んでくれるなんて。

カウンセリングとか、メンタルケアみたいなものがあんまり好きじゃない。

でもよく、『そーゆーお仕事されてるんですか?』って聞かれる。

相談に乗ってあげたら、泣かれたり、『もらったLINEスクショした』って言われたり、『話すと元気が出る』って言われていた。でも、私はそういうのをスルーしていた気がする。自分の中で、それを特に気にかけていなかった。

最近も言われちゃったよ。

貴方の言葉に救われた

って。

俺はノウハウに救われるのならわかるんだけど、言葉に救われるという感覚がよくわからない。

 

それは多分、比較的語彙力と表現力があるからだと思う。

でも最近気づいた。

世の中には、自分の悩みや想いを言語化できずに苦しんでいる人たちで溢れかえっている。

 

私はもっと、人の悩みに対しては

いや、もっとこの問題を解決するために抜本的なアプローチを、、、こういう戦略で、、、

とか思うのだけれど、意外と鈍い反応が返ってきたりして、カウンセリングとかメンタルケア的なコミュニケーションの方が世の中には需要があるのだなということを思い知らされる。

 

でも、考えてみたらそうかもしれない。

世の中は、モチベーターを求めている。

 

どうやら、世の中にはそーゆー需要があるらしい。

自分がメッセンジャーアプリで送った文章を、『ノートパソコンに書き写した』って言われたり、『紙に書いた』って言われたりして、ちょっと、自分でも何それ?って。

もしかすると、女子特有なのかもしれないけれど、『自分の気持ちをわかってほしい』という人がかなり多い。

いや、男もある。

そーゆーのはある。

でも多分、男はガサツな人生を送る中である程度、感覚麻痺してると思う。不感症になってる。

若い人ほど、そして女性ほど、暴走する感情に苦しんでいる。ああ、でも俺も若い頃、暴走する性欲に苦しめられたわ。コンビニで少年誌グラビアとか、あとは路上を歩く胸と脚を露出した女性を見るたび。

なんか多分、

抑えきれない想い

みたいなものは確実に存在すると思う。

そしてそれを汲み取ってあげられる人は、神的な存在に見えるらしい。

そうか。

意外と、この世界は、誰も神になろうとしない。

そして、意外なほどに神が求められている。

でもそれは宗教的な意味ではなくて。

コミュニケーションにはレベルがある。表面的な関係、本音の関係って言い方があるけれど、もっと段階がある。昔読んだ本には、高め合うコミュニケーションはさらに上にあると。

コミュニケーションの最上級はなんだろう。

 

好きの反対にあるのは、嫌いだという。嫌いなものにヒントがあるという。私は、コミュニケーションが嫌いだと思う。でも、結局、コミュニケーションを褒められたことが多いかもしれない。

えっ、たった、こんなことでいいんですか?

そう思っちゃうことほど、感謝されることかもしれない。

 

最近、思いやりが嬉しい。

若い時ほど、花なんかもらっても嬉しく無いけれど、それが嬉しいものに変わっていくのは、『物より心』の価値が高まっていくからかもしれない。

重たくなった心に響くものは、少ないのかもしれない。

 

人に最も影響を与える方法は何か。

人に最も幸福を与える方法は何か。

割と難しく考えがちだけれど、丁寧に過去を検証して、フィードバックを洗い出すと、やたら喜ばれたことが見つかる。

そして、そこに突き進めば進むほど、人生は好転していく。逆に、そこから離れていくといろんなことがうまく回らなくなる。

 

サプライズがある人生は楽しい。

特に自分が見つかるサプライズはすごく楽しい。なんなら、それでびっくりするほどのリアクションが返ってくるのは余計に嬉しい。

 

うんうん。

いや、でもそうだよな。

俺だって、気がつけばヘッドホンを手に取り、音楽を聴いているもの。

 

どうやら、Writingを腐るほどやってきたのにも関わらず、一番言葉を舐めていたのは私だったようだ。

人は、言葉か、数学か、イメージか、音楽で考えるんだ。

 

神の道具は足元に落ちている。

 

『思ったことをそのまま素直に言えばいいや』も、建前が無い率直さゆえにモテるけど、

『立ち止まって考えて言葉を紡ぎ出す』を実践すれば2倍モテる。

 

でも、それは脳に負荷がかかる。

何より、心に余裕がないとできない。

 

その余裕さは、傍若無人な言葉遣いと、ブルドーザーばりの振り切り力でガツガツ生きてた時代の上に成り立つから、なんとも言えない。

とりあえず私は、少し大人になった。

何が明日の礎になるかわからない。

 

止まる事だけはやめようと思う。

それだけで、100点満点だ。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。