人生の正解。キャリア志向は大体病む むかつくエリートに対する心の常備薬

底辺成り上がり、NO学歴の西園寺さんが良いこと教えましょう。世の中には素晴らしいエリートもいればむかつくエリートもいるわけです。むかつくエリートの代表格というのは、『おい、この底辺ども、せいぜい這いつくばってなんとかかんとか…..』とかを言っちゃうような人です。まぁ、別に大したセリフではないと思いますが、こーゆーのにいちいち激昂してしまうってことはある意味、下であることを認めてるってことです。

生きてりゃ、そんな感じの人を見かける場面はあるでしょう。そーゆー人見たことありますか?そーゆー人に対する心の常備薬が欲しいですか?

まぁまぁまぁ、西園寺さんもいろいろね、コンプレックスみたいなのは一通り味わってきたんで、そしてガツーンと人生に変化を起こしてきたので、いろいろ言えることがあるんですよ。

だいたいのエリートの時給なんてスパーンと抜いたことある西園寺さん(西園寺さんの時給に張り合えるのはビルゲイツくらい?ぷぷぷ)から言わせりゃ、キャリア至上主義は大体病みます。見事に病みます。こう、世の中には高年収のスーパーキャリアがありますけど、ああいうの、大体病むんですよ。大体病む。続けられないっていうか。本当に、一部だけが生き残る。書店で見るような、輝かしい経歴の人が書いた本とかには、彼らのキャリアは載っていても、なぜ彼らがキャリアシフトをしたのかは書かれてない。で、言説を辿っていくと、彼らはやっぱりキャリア至上主義の儚さを知ってる。どっかで悟ってる。

だからキャリアシフトするし、太っ腹にノウハウのシェアもするんです。

たまにね、お金持ちとかノウハウ持ち、ティーチャーに対して、『なんで金儲けのチャンスをシェアするの?』とか『なんでノウハウのシェアするの?』『なんで自分でやらないの?』って懐疑主義を向ける人がいますが、経済学を履修してないのだと思われます。経済や売買を搾取の場と考えてるのでしょう。それちゃいますから。

その疑いの前提には、世の中のすべての人間が、キャリアにおけるアドバンテージや、上を目指すこと、手当たり次第金銭的機会や成功を追うことを主たる動機と考えてる視野の狭さが見て取れます。万能や完全への幻想があります。そんなものは神にしか与えられてません。万能や完全は存在しない、絶対的完全性はありえない。みんな取引したいのです。

経済の基本はすべての人間には限界があって、役割分担と取引こそが全体効用の上昇につながる、です。肉体、時間、注意力、才能、能力、金銭資本、経験、情報、、、、それらはそれぞれの人により固有性、特異性、差異性が存在し、有限で、そして何よりすべての人間は価値観や考え、感性がバラバラなのです。だから取引の余地が生まれます。

人それぞれ、大切にしてるもの、追ってるもの、重要にしてるものは違うから。

年収600万円、週休2日、定時で帰れて特にストレスはなく安定した仕事、都内勤務、、、、、、って求人に価値を見出すかは人それぞれです。西園寺さんは魅力感じません。まぁ、そーゆーこと。

で、話戻るけど、ハイキャリア志向の街道で、生き残ってる人ってのは一体なんのために金稼いでるのかわかんない人生になってる人とか結構おるんですね。

だいたい、賢い人は激烈ハイキャリア人生の早晩で『あれ、これ、ちょっと意味なくね?』ってなってきます。金やキャリアの成功から引き出せる幸福感とかってたかだか知れてるので。飽きるし慣れるし。高キャリア人生の一番可哀想な点は、ハイクラスの生活に慣れて生活水準引き上がってしまったまま、そしてそこから幸福感を大して得られないまま、ただそこから落ちたくないという気持ちだけで重い身体をひきづること。こーゆー人、あるとき、突発的に充電切れして会社にいけなくなったりします。人間、無理しすぎるとあるタイミングで身体が動かなくなるんです。ほんとに。身体が言うことをきかなくなる。そーゆーとき、ある。そのまま退職する、とかケッコー多いんですよ。別に、激烈ハイキャリアの人だけじゃなくて、銀行員とか証券会社の人とかにも多いです、こーゆー人。みんなから良い職業だね、高給だね、安泰だね、すごい会社だね、って言われてる人たちって、古今東西、実は苦悩を抱えてる。ドロップアウト組も多い。やたら社会的に持ち上げられてる職業、良いとされてる職業に、みーんな『自分が何を求めてるかわからないまま』突っ込んで、そして時間が経って蓄積した疲弊が爆発するんです。モチベは皆無の人生になりやすいってこと。幸せが無いってやつ?プライドだけ膨らんでそれだけで生きる。

本当の勝ち組ってのは、自分が何を欲しいのかがよーくわかってて、それを満たせてる人。そーゆー人を、幸せな人と言います。

幸せになることが大事なんです。

なんか、女の子は親から『幸せになってね!』って言われたり、配偶者に『幸せにするね!』って言われたり、友達同士で『幸せになってね!幸せになろうね!』って言い合ってるのに、男にはなかなかそーゆー人がいません。

男は金とセックスしか考えてない、まじで。

西園寺さんはその点優秀です。若いうちから酒、ギャンブル、女、金、堕落、友達とダラダラ、勉強、といろんなものに溺れた結果、なんとなーく、自分の人生や欲しいものを昔から延々と哲学してました。

そもそも何がしたいか?どうなりたいか?をよーく考えてたんですね。

だから、そーゆーことを考えずにキャリア選択してきた人、ある意味不幸です。だから、人生、そーゆー意味で平等なんじゃないか、とマジで思います。寄り道してきた人、喜んでください。ニートは中世的に言えば哲学者です。ニートにも効用はあります。忙しい学校生活、社畜生活の中では哲学できる暇すら与えられませんからね。ニートやるとじっくり考えられます。そして、社会的にやたらと持ち上げられてる価値指標を疑ったり、『自分は自分、他人は他人』マインド、孤独耐性が強くなります。しかし、やりすぎると社会復帰困難、社会不適合をこじらせます。

ニートのあなた。さんざん自分の人生を哲学したでしょ。そろそろ実学してください。そして、現実社会で実学ばっかりしてきた人はそろそろ哲学してください。

そして雑学ばっかりしてきた人はクイズ番組に出てください。

親や先生に言われるがままに上を目指しまくった人が世の中にはたくさんいて、アラサー年代になって『これは自分が望んでいたものとは違かった』っつって、自分の人生全体に対する自己否定や懐疑モードに入ったら、鬱になるでしょ。そーゆー人たくさんおるってまじで。ハイキャリアの人たちって、自分よりローキャリアの人の前ではプライドがあるから本音は言いません。でも、西園寺さんは、医者とか会計士に、『実は自分のこれまでのキャリアについて、これで良かったのかってすごく考えるんですよね…..』って苦しい胸の内を吐露されたことはあります。たいへんですね。まぁ、どんな仕事やってても大変ですよ、みんな弱みを見せないだけで。

世の中で一生懸命、フリーターやニートをdisってる人いますが、それはマーケティング上やってるか、ジョークでやってるか、『俺はこんなに頑張ってるのにお前らも働け!!』という変化球的な嫉妬を向けてるか、、、、ってよーなアルアルなパターンを除き、本当に人生の酸いも甘いも経験してきた人間は、割と、

『別にそれで良くね?』

って寛容だったりするんですよ。意外に。西園寺さんはニート寛容派です。自分が高い税金とられておきながら、『生活保護でもなんでも使えば?』って思うし。自分もニートだったことあるし、煽ったりすることはありますけど、それはマーケティング上わざとってのと、ニートがどうのこうのってより、個人問題としてキモい思想持ってるなと思うことがたまにあるからです。ってか、別にどんな年齢だろうと、どんな職業だろうと、どこに住んでいようと、すべては個人問題で、キモいと思う人もいればそー思わない人もいるってだけの話。あと、相性問題。カテゴリーで指してるのはただただ便宜上ですね。

西園寺さんもぶっちゃけ、常に思ってるのは『別になんでもどーでも良くね?どれでも良くね?』ってことです。ただし、そんなこと言ってしまっては意見として成立しないのであれこれ偏ったこと言いますが。まぁ、私自身、偏った思想に基づいてエッジの効いたポジションを選択し、ポジショントークをあちこちで繰り広げてるわけです。自分自身の思想や信条についての、一番の実践者は私です。

高学歴、ハイキャリアがハッピーだと思って見上げてる人にはわかんないでしょうが、彼らも彼らで病んでるわけですよ、いろいろ。

そもそも、22、23で人生決めろ、みたいなのは無理ゲーです。ドラッカーも最初の職業選択はくじ引きだっつってるぐらい。引かれたレールに沿うようにして生きてきた人が、20代後半ぐらいに『あれ?俺の人生これでええの?』ってなるのは必然です。この点、若いうちに散々ブラブラしまくった人にはアドバンテージがありますね。自分が何が欲しいのか、ってのがよくわかってんだから。ブラブラすると責められるもんですけどね。何がしたいかを考えることってそんな悪いことかね?

ジョブズも言ってる。何がしたいのかわかんないならウェイターでもしてろ!って。

タワマン住んでりゃハッピー、高級車に乗ってりゃハッピーってのは、貧乏人の単なる妄想です。経済的豊かさと心の豊かさはノットイコールであるということですわね。こーゆーことは、まぁ、人生、一通りいろんなことをしたら気づきます。

なので、別にムカつく人を見かけてもいちいちカッカする必要は無いですね。実は、案外、そーやって煽ってるタイプは内心不幸だったりするのです。それか、マーケターみたいに意地汚い職業か。あ、それ、私のことです。ぷぅ。

人生は何でもいい、どれでも良いんです。

正解はない。

ただし、個人的には、正解がないってのを免罪符にして自分の幸福から逃げるのはしたくねーなー、不幸せを甘受するのはやりたくねーなーって思ってきました。私にとって、『教育』とか『勉強』ってのは、目的に資するものであるべきと考えてます。なので、学歴とかは完全にお粗末ですけど、いろいろ自分の人生を哲学した後に、目的もバチっと決めて、それを達成させるために色々とお勉強をしました。そして、目的達成能力を獲得しました。で、幸せです。ちゃんちゃん。

若いうちに彷徨うって、全然良いことだと思うぜ。刹那的に生きないと何も見出せないってのはあると思うけどなぁ。

あのね、

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何がしたいのかどうなりたいのか(あるいは何がしたくない、何が嫌、どうなりたくないのか)がわかる、プライオリティがつけられる

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ってのがファーストステージで、セカンドステージでようやく、

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若いうちは苦労しろ!

20代で年収は決まる!

金稼げ!

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みたいな話を受け取る用意ができると思うんですよ。算数できない段階から、数学やってどーすんのって話で。

質問ですけど、大阪駅に行きたい、ってなったとき、あなたが三ノ宮駅にいるのか、京都駅にいるのかで話は違ってくると思いません?あなたが渋谷駅に行きたいって思ってるときに、あなたが新宿駅にいるのと、東京駅にいるのとでは話は違ってくると思いませんか。

自分がどこにいるのか、どの段階にいるのかをよーく考えることです。

あなたが欲してるのって何ですか?何が欲しい、何が嬉しい、何が悲しいのですか。そしてそれは、若いうちにいろいろお金と時間を使って、彷徨わないとわかりませんよ。セックス足りてる?恋愛足りてる?フラフラ足りてる?バイト経験足りてる?

目標達成してる人って、みーーーんな10代の時に、人生に『あそび』を持ってた人、無駄を許容してた人だと思う。だから変なことたくさんしてるし、だから欲しいものがわかるし、だから頑張れるんだよ。

18、ハタチぐらいまで勉強ばっかしてた人間たちに自分の何がわかるとゆーのでしょうか。何がしたいのかわかんなかったら、ダラダラしたり、プラプラしたらいいじゃないですか。もちろんリスクはあるでしょう、置いてかれてるっていう焦りもあるでしょう。

でもね、どーせ、中途半端な動機で何かに突っ込んでも途中で、『コレジャナイ、、、』とかなって逃げるから。そしたらさ、経験や能力の転用ができないなら、また、無意味ってかdisアドバンテージじゃないの、ってね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。