私は10代の頃から、
40代ぐらいになってお金と自由を手にしてキャバクラで若い女相手に鼻の下伸ばして破廉恥なことができるおじさんになりてぇ
という一風変わった願望を持っていた。
ちなみにまだ全然若い。てへw
普通に考えて、人生は長い。私は、16歳から加齢に対する焦燥感を抱えて生きていた。いつもいつも、時間の流れに恐れていた。私が人生のバイブルとしている本には、常に「人生をどう生きるか」というテーマで書かれていた。執筆者は50代だっただろうか?60代だっただろうか?だから自然と、40代、50代、60代が視野に入っていた。
若さがあるうちは、無条件に楽しい。何でもできる気がする。有り余るパワーがある。それを自分で感じていたから、それが落下することも予見できていたのだ。
確実に、30代以降は絶望する
それが私の、人生観だった。
だから、人生という大きな枠で、考えていた。若いうちにありがちな目先のことばかり考える思考ではなくて、大きな枠で捉えていた。
どうやって頭をひねって考えても、私は、金しかないと思っていた。
40代男性がどうやったら人生を楽しめるだろう。
50代でもいいけど。
色々考えた挙句、やはり、金だと思った。金があると、女が買える。女と遊べる。やはりそこが楽しみになって来ると思う。趣味に呆けてもいいけど、40代で金が無いとどうしようもない。言い訳のしようが無い。若い年代と比べると絶望的な状況に追い込まれる。40代で金が無いというハンデは凄まじいということを知っていた。上の世代を見ていたからだ。20代と比べて、ありとあらゆる可能性が狭まっている中で、どうやってリアルに楽しむか、人生を充実させるか。この点はやはり、お金を抜きにして考えることはできないと思う。
理由は単純で、その世代にはそれなりに稼ぐ人がいるし、若い世代も台頭してくるからだ。下に厚い層がいる。そうやって考えると、40代男性のポジションはどんどんと追いやられてしまう。10代、20代でも金がないとしんどいのに、40代なら尚更である。
もちろん、さっさと結婚してしまうのはアリだ。
きっと、人は40代以降に訪れて来る様々な恐怖から逃げるために結婚する。そのために家庭を形成する。40代からでも全然遅くはない。私が知る限り、女子高生でも、「人によっては40代もあり」と言っている人がいる。
40代男性が独身を謳歌するのなら。やはり、なんらかの向社会活動を充実化させるか、仕事を充実化させるか、金か、とにかくそういうものが必要だと思う。本当に、いろんなものが削ぎ落とされて残るのがそうなって来るような気がする。これは、綺麗事抜きの現実論。
ちなみに、ナイチンゲール、ヘレンケラー、マザーテレサは生涯独身を通したらしいから、人生をかけて取り組むものがあれば、寂しさに耐えられるのだと思う。男性よりも女性の方が寂しさに対しては強烈な不安があるだろうからね。
40代女性が独身を謳歌するのならどうだろう。
男よりハードに見えるだろうか。そんなことは無い。
もちろん、人生の楽しみ方は色々とあるけれど、女として枯れていないというのが極めて重要だと思う。特に、結婚の類を避けているのであれば、せめて40代ぐらいまでは色気というか、性的な魅力を保っている方が楽しく過ごせると思う。男をしっかりと発情させられる力をキープし続けるということ。
20代前半のうちに、「ヤリタイ!」と思われたら凄まじい嫌悪感を抱いていたかもしれないが、「ヤリタイと思わない!」と思われるようになったら、それはそれで凄まじいショックに違いないし、その年代になってはじめて、あの頃は良かったと気づくこともあるのかもしれない。人によるけれど。
40代女性は、若い世代から率直な意見をもらえないかもしれない。対象外とされがちなのかもしれない。40代というだけで、論外扱いされる人がいるかもしれない。しかし、例外はある。
(俺はこの46歳とヤリタイ)
結局、40代〜ぐらいを前提にして人生を謳歌する方法を考えると、男にせよ、女にせよ、異性に対して魅力をキープできているのか、というのが重要になる。
なぜか。
それは、40代という年齢が、「自分には価値がないかもしれない」と思わせる様々な試練に直面させられることが多いから。若くは無い。順調にサクセスできていたら良いけれどくすぶっているとそうはいかない。やり直そうにしても難しいと感じてしまうかもしれない。今あるものを捨てて別の道に行くと、もっと落ちるかもしれない。そんなことが頭を駆け巡る。
これが、30代、20代と年齢を下げていくと、余裕さが出て来る。つまり、何も考えていない。20代だと、まぁそんなにお金が無くても大丈夫そうな気がして来るし、10代なら尚更だ。特に女の場合、20代前半であれば無双である。最も売り時というか、チヤホヤされる時期である。だからこそ、後に控えている落差というものは凄まじい。
ある意味、結婚というものは、そういう後からやってくる自分の人間的な価値の下落を感じる場面、現実に復讐される場面において、安らげるというか、逃げ場所を作る行為なのかもしれない。まぁ、実際の既婚者たちもそれなりに苦労をしているから、むやみやたらに持ち上げることはできないのだけれど。
もちろん、逆でも良い。
女でお金を追う。そして、男で若さとルックスの良さを追う。それでも良いと思う。歳をいっているのに若々しくてカッコいい男性は強い。お金があるおばさんも強い。
人は、若いうちは人生に希望を持っている。
それはニアリーイコールで、自分に価値があると信じられる強さである。しかし、それはある意味、勘違いや思い込みの産物である。若さとは脆さであり、砂上の楼閣の上に、根拠なき自信と未来への希望を積み上げた偽りの自己価値を信じられる余裕から出来上がっている。
ところが、私のように、もともと自分の価値に懐疑的であり、人生をそこまで楽しいと思わず、将来を悲観していたタイプはどうなるか。若いうちから金に走るのである。
お金稼ぎに走るということは、ある意味で、自分に価値がないことを、あるいは将来的に価値が落ちることを認めているということでもあって、非常に謙虚な姿勢である。社会的に価値があると認められている普遍的なものに寄せていこうとしている。これは、人生を楽しく生きるための知恵だ。将来絶望しないための保険でもある。
何のために金を追うのか。
何のために美と若さを追うのか。
それは、「お金なんてどうでもいい」「若さなんてどうでも良い」というのが言い訳がましく聞こえないためだ。本当に興味がなくても良い。ただ、備えておいた方に越したことは無い。同年代、上の年代、若い年代からの見る目が明らかに変わってくるからだ。残念なことに、この世界は、ニートや老人を生産性が無いと切り捨てる。そういう空気がある。非常に残念なことだ。しかし、そういうリアルは確実に存在する。
金なんてどうでもいい。
美なんてどうでもいい。若さなんてどうでもいい。
それでも結構だと思う。
若いうちは、金をおろそかにして、若さや健康へのメンテを怠る。それでいい。それが普通の人間のやることだ。しかし、確実に現実は復讐しにくる。自分のことを特別な人間だと思えるのはある意味、楽観である。それはそれで見上げた自信だと思う。ただし。世の中では自信があることが良いこととされているが、加齢に伴って現実が押し寄せてくると、自信だけの空虚さは痛々しさへと変貌して行く。若さという絶対的な価値が支えていた威勢の良さは、痛々しく散り果てて行く。
自分に自信を持てば持つほど。
無条件に自分を肯定すればするほど。
自分に対する見返りなしの愛を求めれば求めるほど。
加齢と共に目の前にかかっていた靄が晴れた時。
そこには地獄しか無いことに気付くだろう。
若者が、結婚や就職や人生に希望が持てるのはなぜか。
自分の価値に対して、信じられるからだ。しかしその構成成分を見誤ると、歳を取ってから悲しむことになる。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。