テストと言うのは限られた資料しか参照できない代わりに100点中60点取れば許される世界である。合格点は上下動するが、これは程度問題。対して社会では何を見ても誰に聞いても良い。その代わりに間違うことは許されない。100点満点でなければならない。つまり、カンニングは自由であるが、得点する点数の精度・出力・安定性は結構問われてしまう。
だから、マーケティングやビジネスに関しても、さっさとカンニングしてしまった方が良い。博打に身を投じるより、答えを市場に聞いた方が良い。試した方が良い。レスポンスを受けてフィードバックを回す。
もう少し正確なことを言うと、社会に出て、20代のうちは、予備軍・次世代育成枠として扱われるから、間違いが許される。許されるというか、許されないが、組織の中でカバーリング・ケアがある。しかし組織的アウトプットとしては間違いは許されない。そして組織的アウトプットの中核になる世代になるとその責任は重くなる。だからこそ、カンニングはいくらしてもいいのだ。誰に聞いても、頼っても良い。一人でやる必要もない。
ちなみに人生で失敗はいけない、ということではない。人は間違えても、致命的なものじゃない限りはやり直せる。ただ、事業や仕事に関しては、失敗するとそれがダメになる。そういう意味である。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



