『生きる意味を見失った』後の生き方。

最近、とあるおばさんたちがこんな会話をしていた。

何か乗り物に乗った時に荷物を取ろうとしたのか荷台に乗せようとしたのか困る事があって、誰も助けてくれなかった。もし若かったら誰か助けてくれただろうね、という会話。

 

そう。

若くて綺麗であれば、男たちがナンパのチャンスを伺っているから、困りごとがあればみんな助けてくれる。しかしババアになればそういうことは一切無くなる。

 

子供が大人になって親のありがたみに気づくことが多いかのごとく、女たちもババアになってはじめてマンコ特権があったことに気づくのかもしれない。あるいはババアになることで迫害されてる!と感じるのかもしれない。実際のところはスルーされているか、ババアになっても特権意識をこじらせた言動を気持ち悪がられて攻撃をくらっているケースが多いと思う。

最近、IVEのウォニョンがプラダの会長(老婆)の手をとって真摯に目を見つめて会話しているのを、SNSで『18歳なのにすごい!』と激賞されてるのを見た。

老婆は老婆でも、お偉い人とかであれば手を握ってもらえる。

 

もちろん、下心で。

 

多分、世の中の人間にとって、たいていの悲しみは

関わる価値が無い

として他人にスルーされること、ひどい場合は軽蔑されたり迫害されたりすることにあると思う。

絶望も希望もある意味、他人がもたらすのである。

要はこういうことだ。

 

他者から見て、利用価値があったり、すごかったり、若かったり、綺麗だったり、イケメンだったりしたら、生きる意味は多分見失いにくい。

BTSのテテとか、ブラックピンクのジェニみたいに、若くて、美貌があって、富もあって、パートナーもいる、みたいなのは世界から羨望される。

 

ああいうのの真逆にいる人間たちが、生きる意味を見失っているのだと思う。

松田聖子がどれだけスターだったのかを昔の人間に語られたところでZ世代は

誰そのおばさん

でしかないだろう。きっと、ジェニもテテもいつかそうなる。全ての人間はきっといつかそうなる。

 

その意味で、どんな人間にも、

他人とのつながりで幸福を感じるのは限界がある

ということに気づく必要があると思う。なんとなく、数学者たちのように、非人間的な、概念的な何かに接続してそこに生涯を投じることのできる人間たちは老いても幸せなように見える。

だから、きっと、早く何かそういうものを見つける必要があるのだと思う。

二十歳の時に、

結局、誰と出会っても、ズームアウトしてみたときになんとなく同じようなパターンが繰り返されるのが恋愛なのだ

ということに気づいてしまってから、今の今に至るまでその感覚は大して変わってないのだけれど、あのタイミングでの『恋愛重視主義からの脱却』はかなり人生を変えたと思う。

だいたい、恋愛に依存してる時は酒に依存してるもの。

ソレで人生を渡り切ろうとしてる。

 

かと言って、仕事に依存するのも良いかどうかはわからないけれど。もちろん、バランスが取れた生活の方が良いのかもしれない。

だけど、バランスが良い路線はみんなが憧れるから、結局、そこに激しい競争が起こって、なぜか『普通の生活』『中の上の生活』に限って疲弊して苦しい、なんてことがあったりする。

 

東京でキラキラサラリーマンになって、合コンして、モテて、仕事も頑張って、、、

私は人生を結構、

逆あみだくじ

的に決めてきたところがある。

嫌なこと、絶望すること、そういうことを経て必然的に決まっていく感じだ。相対的に何かが決まっていく。

 

思うのは、

『他人から称賛される何か』

を持っている人間以外は、人間社会の中に突っ込んでいけばいくほど疲弊するということだ。

 

満員電車、混雑、高い家賃。

持たざる者にとって、大勢の群衆は加虐的な敵と化す。一方で持てる者にとって大勢の群衆は支援的な味方と化す。

金、美貌、若さ、友達、親、全てを失った後の世界を考えて見てほしい。そこでどうやって生きるか。何を拠り所にして生きるのか。

アメリカ社会で生きて、退役軍人であることをディスプレイしながら生きれば老人になっても若者からそれなりに丁重に扱われるかもしれないがそれですら表面的なものでしかない。

ウォーレンバフェットも結局金があるからだ。

 

どう生きるか。

冷静に考えて、何もないただの老人なんか、誰も相手にしない。中高年だってそうだ。

 

そういう世界を見越して、いかに生きるかを考えて見てほしい。

人間を相手取って、何かをすることに生きがいを見出していると必ずどこかで行き詰まるに決まっている。かといって人間に評価されなければ生きていきようがない。

だから、非人間的な何かに向き合ってそれが間接的に人間に評価されるのが理想だ。もちろん、評価が無くてもそれが自分に生きがいを与えてくれるのならそれで良い。現実逃避が過ぎない程度に。

 

おっと。

こう考えると、もしかすると、未来があるのはゲーム産業なのかもしれない。

 

老人ほどゲームをすべきで、若者ほど外に出るべきな気がしてきた。これからの世の中では、中高年以上ほどバーチャルリアリティの世界で生きて、リアルワールドは若者の世界になるのではないだろうか。

 

死にたい?

ならPlayStationでも買ったらどうだろうか。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。