1日24時間しかない。そのうち、睡眠時間を6時間としよう。残り18時間のうち、3時間ほど通勤や通勤のための準備時間とする。そして、10時間が労働時間だとしよう。自由時間はいくら残っている?
5時間だ。
これはおかしい。どう考えてもおかしい。この5時間のうち、1、2時間程度が生活の維持のための各種家事や雑務に奪われてるのなら。残りは3時間しかない。
こんな人生を、当たり前として受け入れ、その先の数年、数十年をやりたくもないことに費やす。
おかしい。
何かがおかしい。
それだけじゃない。おかしい、と思ってる自分は少数派で、仮に『おかしい』という思いを捨て、頭を空にし、人生を売り渡そうとしても立ちはだかるのは厚い壁。
それはそうだ。世の中には、その違和感にすら疑いの目を向けないまま、必死に評価される自分へと自己改造を続けてきた努力マシーン達がはびこっている。
そんな彼らに負け、劣等感を覚える。
いいや、同じ土俵にすら立たせてもらえないかもしれない。
やっと、やっと我慢して、自分を折っても、自分を譲っても、『お前なんかいらない』の態度を突きつけられる。お前の代わりなんかいくらでもいる、お前に興味なんかないと言わんばかりの態度を会社から、社会から突きつけられる。
必死に、評価されようと頑張ってみる。
長時間労働に耐え、理不尽を我慢し、暴言暴力を受け、それでも必死になって食らいついてみる。耐え続けてみる。
その先に待っているのは?
微々たる報酬。微々たる報い。そして、何事も無かったかのように、明日からの終わりなき激務に駆り立てられる。終わりなき競争に駆り立てられ続ける。
安息の地は無い。
自分の幸せのための仕事で自分を追い詰め、仕事を失えば文字通り生きていくことすら許されない。
もういい。
もういい。
もはや何でも良い。
この負のサイクルに、トドメを刺したい。
どうにかしたい。なんとかしたい。逃げたい。やめたい。変えたい。人生をやり直したい。逆転したい。
そういった思いが、心の奥底からドクドクとこみ上げてくる。
会社の上を見上げれば、納得のいかない上司達がいる。外の世界に目を向ければ、自分の生活水準からは考えられない贅沢をしてる人たちがいる。SNSを開き、ネットをのぞけば、劣等感や嫉妬、焦りの念がこみ上げてくる……。
誰かと集えば、容赦なくマウンティングされ、ツワモノたちの決めた階級に自分ははめ込まれる。そして、周りも容赦なくそのラベリングを受け入れる。
自分の顔は笑っている。
喜怒哀楽を演じている。
しかし、そこに本心は無い。
このまま、歳を重ねて、自分の自我が消滅し、思考停止して、プライドも何もかも失って、気の抜けたロボットのように生きられたらどれだけ楽なことだろうか。
そういう時が訪れるのはいつ?
30代?40代?50代?
長い、長すぎる。それまで、この苦境を耐え続けると言うのか。周りは言う。お前は甘い、お前はぬるい、お前の考えは通用しない、もっと大人になれ、耐えろ、悔しさをバネにしろ……。
いや、違う。
もうこんなのはうんざりだ。
周りの人間は、明らかに違う。嫌だ嫌だと言いながら、それでも適応できているのだ。それなりに楽しんでいるのだ。何より、彼らは『できている』じゃないか。
自分にはできないのだ。
耐えられないのだ。
道もない。可能性も無い。才能もスキルも無い。
どうする?どうする?どうする?
自分はこの先やっていけるのか?上がっていけるのか?そもそも続けられるのか?周りの人間たちに勝っていけるのか?置いていかれてないか?
逆転の武器が欲しい。
人生を激変させるような、決定的な武器が欲しい。
そんな、淡く、脆い願望………
儚く、切なく、痛々しい気持ち……..
いや、実はあるんだよ。
それは、あなたの心の中にね。鍵が、答えが、あるんだよ。問題は、それを無かったことにしている自分の思考と気持ちだ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。