東大生だって苦労しているんだぜ

ジェイエイブラハムの日本代理人だった鳥内さんって東大卒ですよね。ジェイエイブラハム本の監訳者も東大卒。日本最高峰の大学を出た人たちがジェイを持ち上げ、それと同時にコンテンツビジネスやセミナービジネスに携わっていた。彼らのコンテンツ、結構買ったなぁ。一説によると、ジェイ云々より彼らのプロモーションが優れていた、って話もあるぐらい。

DRMやコピーライティングなどは、彼らのような元祖の素晴らしい人たちが広めていた、本来、真っ当な世界だったのに。馬鹿が汚してしまった。

やっぱり有名大の人には志というかブランドを汚してならない、という意識があるわ。彼らのコンテンツを聴き直して、再度実感。学歴を出してブランディングしている以上は、腐ったことはできないという責任意識がある。

もう10年以上、コンテンツビジネスでも「真っ当なやり方」しているところはあるのに、馬鹿が劣化コピー量産して、なんか、マーケティングやコピーライティングは誤解されていった。上品と下品の差、って大きい。

低学歴の人たちは私も含めて、(高学歴が下品なことをできないのを理解した上で)確信的に下品路線に走る人が多いんだけれど、節操無いとマジで嫌われてしまう。毒舌とか下品を売りにするのなら、知性が求められる。ギリギリのところを歩くクレバーさだ。毒舌と下ネタはかなり危ない。

ある意味、今からダイレクトマーケティングや米国流DRMを学ぶ人は可哀想だ。良貨が駆逐された後のフィールドで、悪貨を拾う可能性が高いから。歴史を知らないから。元祖として、その普及に携わった人たちは嫌気がさしている。もう、高尚な領域に仕事を移してる。彼らの口からはすでに、お金儲けの話が出ない。変な人たちと一緒にされるからね。悪貨は良貨を駆逐するって本当だよ。ビジネスも投資も、エセが群がるのよ。

日本トップの大学を出て、パイオニアとして市場を創造した勇気は本当にすごいと思う(誰だ、セミナービジネスや自己啓発が情弱産業だって言ったやつは?)。

東大に行っておきながら中退するとか、起業するとか、そういう人たちって本当に、自己保存というか保身に走らない人たちだよ。マジでセクシーでサバイバーだと思う。で、彼ら、なんでそんなことができるかっていったら多分、ガチで頭が良いからだよ。東大に入るのにそこまで苦労していない(レベルの地頭)があるからこそ、執着せずにサクッとチャレンジできる。マジで天才だと思う。

で、話変わるけど・・・・

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38717?page=3

面白い記事見つけた。

入学してすぐ、わかりましたよ。ただ東大に合格したってダメなんだって。本当の日本のエリートになるために大切なのは、出身高校というブランドなんです
開成やら灘やら麻布から来たヤツらは、キャンパスを歩いていても、『よう、サークルどうすんの?』『さっき何々先輩に会ったんだけどさぁ』という話になる。

そういうネットワークのなかで、彼らは『誰それ先生はなかなか単位をくれないからやめておけ』とか、『いま旬で人気の授業はこれだ』とか、東大でなるべく楽に好成績を残すためのノウハウを伝え合うんです。地方で必死に勉強して入ってきた人間は、基礎学力では負けないかもしれないがスタートダッシュ時点での情報量で負けてしまう。
地元ではそもそも、周囲に大学を卒業したような人も少なかったので、学生生活をどう始めていいかもよくわからなかったんです。親の仕送りとバイト代は下宿代と都会での生活費に消えていき、余裕もない。東京の生活になれた名門校のボンボンは、先輩のコネでさっさと家庭教師や塾講師など時給が高いバイトを見つけ、やれサークルの合宿だ飲み会だとバカスカ浪費している。一緒にサークル活動をしても、ふとしたときに金遣いの違いに引け目を感じます。
そうした意識の差や名門校出身者の余裕は、「地元では一番」だったはずの地方の高校出身者にとっては衝撃的なものとなる。

町始まって以来の天才などと地元では扱われていたにもかかわらず、頑張って東大に入ってみれば、周囲の会話は、

「俺はセンター試験886点だったけど、あいつは889点だったんだ」(満点は900点)

「彼、1年生の間に司法試験合格しそうなんだって」

「彼は国際数学オリンピックの金メダリストだよ。僕は銅メダルだったけどね」
というようなもの。
さらには金持ちの企業経営者の親に頼んで車を買ってもらっただの、休みのたびに外交官の父親がいるスイスに旅行しているだの聞かされて、そのたびにいらだつ日々ですよ
だいたい、麻布とか開成みたいな東京の名門校のヤツらに、僕らが勝てるわけがないんですよ
30年前のソニーに東大出の責任者なんてほとんどいなかった。シャープでもパナソニックでも、昔は根性のすわった、身体性に富んだ人々が企業を動かしていたんです。ところが30年前くらいから東大出が次々とこうした企業に入りだした。すると企業はどんどんダメになっていった。

 

いやー・・・・・。

東大生も大変ですねぇ。高学歴の人たちって大変なんですよ、実は。

世の中に存在するのは、「高学歴と低学歴」という区分ではなくて、「生まれた時から持てる者と持たざる者」という分断です。残念なことに、この世界は、出自によるハンディがある。格差がある。

出自に恵まれなかった人、ハンディがある人、そういう人たちはハングリー精神があり、セルフブランディングや商売が上手です。本来、生まれが特別な人たちが静かにのんびりやっていた世界で、アグレッシブな人たちが暴れまわり、業界の常識をぶち壊す成果をあげると、非難轟々。

日本は多分、貴族意識がある人たちによって統治されている部分が大いにあると思います。生まれた家柄から違うような特別な人たちによって支配されている部分があると思います。だから、たまに、規格外の人たちが出てくるとそういう人たちを引きずり降ろそうという動きが出てくるんですよね。そういう人た地に寄ってたかって、叩いている人たちがどういう属性の人なのか。こういうのを見る目、裏を見通す目って大事ですよ。

 

有名大学になると、中高一貫で予備校もずーっと同じ、みたいな「お金持ちの坊ちゃん、お嬢さんグループ」が存在します。学校には(親に買ってもらった)自分専用の高級車で通学してたり、親にマンションを買い与えてもらってたりするようなヤバい人間がいます。

私学に通って良質な教育を受け続けてきた人間と、そうではない人間が、受験という同じ土俵で戦っている・・・・・・・・という現実に気づくのが遅い人。受験がフェアな競争だと信じている人。結構多いです。

大学に入ること自体はフェアだったとしても、その先、就職した後でもまた、「生まれの不利」でひたすらディスアドバンテージを食わされ続ける人生を送る人って結構います。

 

世の中では、「背伸びしなさい」「努力しなさい」「現状に満足するな」などと言われますが、私から言わせると、「それ、方向性間違えたら地獄だよ、底なし沼だよ」ってことですね。

一生懸命、必死になって上に這い上がっていったのに、そこで見た現実で悲観している人たちは沢山いる。で、そういう高学歴の人たちの辛さというのは、上だけではなく下からもプレッシャーを受けやすいこと。板挟みになりやすいこと。なぜかというと、例えばただバイトしただけでも、大学ブランドがつきまとい、プレッシャーを感じやすいでしょう。就職した後も同様です。低学歴の人たちにいじめられやすい。「学歴コンプ」の人たちに、格好の的にされやすいわけです。「東大卒って言っても大したもんじゃないな〜」ってな感じで、低学歴の自尊心充足に利用されやすい。攻撃されやすいのです。学歴ネタはルサンチマンを刺激しますから。

だから、彼らだってプレッシャーを感じている。下手なことができない、と。

そして、自分自身もせっかく、やるだけやって上に食い込んだのだから、変な風に堕ちたく無いというプライドもあるだろうし。かといって、生まれが違う奴らと同じレースに乗ると非常に辛い・・・・ということもある。辛いことの連続というか。

そんなこんなで、出自は普通だけど、頑張って有名大に行った人たちは結構、「ピリピリ」してたりするものです。大学名の話題に触れて欲しく無さそうにする人もかなり多いです。マジで多い。

 

私は小学校時代中、ずーっと成績良くて学年トップだったのですが、同じレベルで競っていた連中に「家柄が違うやつが多すぎ」て、小学校1年生ぐらいで意識としてはドロップアウトしてました。そっから学校の勉強は放棄です。実際に成績が落ち始めたのは中学の半ばぐらいからで、高校時代は完全に勉強放棄アンド底辺突入です。セルフイメージは、15歳ぐらいの時点でしっかり切り替わりました。

「I’m a 落ちこぼれ」という感じ。

その時点で、「(お勉強ができた)賢い自分」というセルフイメージは捨て去っているわけです。

実はこの切り替えが遅くて人生苦労している人(プライド捨てるのが遅い人)って結構多いです。全国レベルで見れば、自分の学校とか、自分の地元で「神童」「優秀」扱いされてた人間なんてゴロゴロいます。これが、全国レベルのトーナメントになると、どんどん削ぎ落とされて行って、最終的にはほとんどの人が負けることになるわけです。

そういう意味で、諦めというか損切りが遅いとダメージがでかくなります。中途半端な大学出てるのに、25歳ぐらいまでわけのわからないエリート意識、選民意識、学歴信仰を捨てきれないまま、実績&能力皆無で「俺はそこそこ頭良い」「俺は●●大学を出たんだ!」というセルフイメージだけで戦っている人とか結構います。

ネットでよく見る、

「有名大卒なのに転落人生・・・・●●県にお住まいの●●さん(仮名:34歳)の日課は、家賃4万円の老朽化したアパートを自転車で後にし、職場である●●まで1時間かけて寒空の中・・・」

みたいな記事あるじゃないですか。

そういうのの実態って、そういう感じだと思いますけど。

(西園寺さんも23・24歳ぐらいの頃、当時27歳ぐらいの、有名進学校出身→有名大学中退の、プライド高めお姉さんに「馬鹿」呼ばわりされまくっていじめられたことがあります笑)

 

小学校1年生の時に、同じくらいの成績の友人に招待されて、家を見てびっくりしたんです。その金持ちぶりに。あとパパママがぜんぜん違う。あの、エリートの雰囲気。教育ママと教育パパ。あぁ、これは明らかに、乗ってはいけないレースだってわかりました。将来がザーッと予見できたんです。あぁ、このレースはクソゲーだ、と。

本当の実力主義は漫画家とか、作家とか、スポーツ選手、音楽家とか、そういう世界にあるんだって思ったのを覚えてます。

今だったらyoutuberとかでしょうか。笑

 

戦後の日本は、敗戦からの復興、高度経済成長期の到来。そして、それに伴って労働力需要が膨れ上がり、管理職ポストも増えた。右肩上がりでした。そして、人員が増えれば、管理職が必要ですが、管理職には高学歴が必要です。理由はいろいろありますが、政治的な理由がまず真っ先に来るのでは無いでしょうか。人の評価とか実力差というのは非常に難しいテーマです。スポーツ選手の世界とかじゃなければ、人間の間にある実力の差ってマジで「微妙」ですからね。

そんな人間集団をどう管理・統治するか。そう考えると、管理職につける人間は高学歴だと良い。

高学歴というのは人を統治する際に「納得感」を下々の人たちに持たせることができるでしょう。だって、みんなが一度参加したレースの勝者ですから。うおー、すげーってなりやすい。わかりやすい。納得しやすい。「あの人は●●大卒だから、あのポストなんだー」って。

良くも悪くも人間集団は序列をつけ、指揮命令系統をハッキリさせ、階級社会にしないとまわらないことが多いわけですが、実力があまり関係ない世界ほど、「年齢」「学歴」「職歴」をベースにした統治は納得感がある。一番無難。無難な運用。

だから、高学歴は上のポストにつけやすい。

野球選手とかサッカー選手、高学歴は尊敬されて当然です。世の中の8割が負けるレースの勝者ですから。みんながすごいと思ってる。というか、みんなが、凄さがわかる指標。わかりやすい指標。

何より、そういうタイトルがある人は、学閥とかコネとかありますしね。企業側もなかなか腹黒くて、高学歴を採用すればその人の背後にある繋がりや人脈も利用できるだろうと考えるし、少なくとも中卒元ヤンみたいな人間よりは素行が良くて倫理感に溢れ、我慢強く努力家だろうという推測が、統計的には立つ。

それと、管理職の仕事、管理業務・ホワイトカラー業務というのは、やはり高学歴有利。彼らが学歴を得る過程で習得してきたこと、フィルタリングされてきた能力・資質、これらが結構、実務とリンクしてます。事務処理能力ですね。

しかし、高度成長が一段落すると、大学の新設ラッシュなども相まって、学歴インフレが起こり、高学歴の価値が劣化。今でも、学歴と生涯賃金の間には相関関係が認められますが、どちらかというと生涯賃金は学歴というよりも「企業規模(人員ベース)」との相関関係の方がはっきりしてます。大卒だけれど小規模企業に勤めた人、中卒だけれど大規模企業に勤めた人の場合だと後者の方が生涯賃金が上だったりします。

生涯賃金という意味では、「学歴」よりも「企業規模」です。要するに「大企業」です。

(もちろん、そのほか、職能や業界など考慮すべきポイントは沢山あります)

 

私は世の中の人を学歴で区分するつもりはありません。どちらかというと、

  • 生まれ持って、「持てる者」だった人
  • そうではなかった人

という区分が最適だと思います。田舎の低学歴世界にも、親がめちゃめちゃ金持ちの建築社長で、親が買ってくれた高級車を乗り回している・・・というような「マイルドヤンキー金持ち」がいますからね。ゴロゴロ。私の昔のバイト先にもそういう人、いましたもん。

で、別にそれは差別ということではなくて、そういう区分を踏まえた上で、「その人に合った人生戦略」というのがあるはずです・・・・・というお話をしたい。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。