ども!
最近、女性とスタバで真剣な話をしている時、
「ウンウン・・・・なるほど・・・・
とりあえず、クリトリスを見せてもらっていいかな?」
と唐突な発言をし、軽く火事を起こした西園寺さんです。彼女いわく、「20代になってそんな単語を女の子の前で突拍子もなく言う奴ははじめて見た」とのことだそうです。これ、「あなたって超非コモディティね(ハート)」ってことなんでしょうね。ポジティブに解釈することにします。
ところで、普段から自分の汚さを実感することがあります。
スタバで、初老のおじさんが若い露出系ギャルと、いかがわしい至近距離で近づき仲睦まじく話をしている姿を見ると、
「ほうほう、店外デートコースですか・・・・お金もったいない」
とか思うわけですが、よくよく話を聞くと
「ところでパパさー、聞いてよ、ママがねー・・・・」
とか言うフレーズが耳に入ってくるわけです。
つまり、親子なわけです。
Jesus.
おじさんと若い子が仲良くしていると、すぐに「そーゆー穿った見方」をしてしまう自分を激しく責めて罪悪感に囚われます。人間、物事を見たいようにしか見ていないってホントですね。
ケラケラケラ。
反省。
ところで、自分自身についてふと思うことがあります。
俺はノリと勢いでしか生きてない。
同級生が、必死になって学校で授業を受けている頃、高校生だったボクちんは、授業を抜け出してスモークが漂う近所のパチンコ屋で「北斗兄貴」の死闘を眺めていたような人間です。
シャキーン・・・。。。。
アタタタタタタタタタタタタ!!!!!!
北斗兄さんの勇姿に刺激を受け、「三点方式」という法の網の目をくぐる良くわからない建前によって正当化された、政府公認ギャンブルの換金儀式を通過し、グレー産業から引き出したお金を財布に詰め込んで口笛を吹きながら帰ったことは数知れず。
「聖帝サウザー!!」
とか言って、通じる人にしか通じないモノマネをしていたあの頃を昨日のことのように思い出します。
ケラケラケラ。
若い頃が懐かしいです。本当に、ノリと勢いでしか生きてなかった。
明日なんて怖くなかった。
IMARUでしたよ。IMARU。
IMALUかな。
いまる。
生きてるだけで丸儲け、の略です。
(西園寺も芸能人の子供に生まれたかった!!)
大人になると、悲しいもので、どんどん丸くなったり保守的になります。
IMALUです。IMALU。
生きてるだけで丸くなる、の略です。
そんな自分をメタ認知しては、「どーせ、俺なんて守るものも何もないのだから・・・・」と自分の原点を思い出させる自己説法を説き、心を軽くしている次第です。
ジャパニーズって、ノリが重くないですか。
腰が重くないですか。
自戒の念を込めて言っています。
ジャパニーズって、暗い・重い・難しいですよね。
もっと、明るく、軽く、簡単に生きましょう。
食う、寝る、やる。それだけで良いんです。
Take it easyですよ。
でも、ビジネスは決してEasy moneyなんかじゃないですけどね。
結局、相応の年齢になって以降、いろいろ勉強した「フリ」とかしてきましたけど、行き着く結論は「人生はノリと勢い」だってことです。
結局、ノリと勢いです。
考えることは、極論言うと無駄なんじゃないか、という気持ちを抱えながら、ちょっとばかり考えて、あとは勢いとノリで動く人生を続けて参りました。
軽いノリ。
大事ですよね。
実際のところ、何かを考えているフリして、考えてやいません。
考えるのってだるい。
思考停止男とはまさに私のこと。
低脳西園寺の脳のリソースは有限なので、ある時点からこういう人生指針をつくってみました。
- 大衆に逆行する
- 未来を先取りする
- 計画は立てないで強みという名の神様にすがって生きる
- 分散しない、1点集中する
- 金(額面)だけ負わない
おかげ様でめちゃめちゃいい加減です。
態度にも表出しています。
西園寺と知り合った女性は、
「最初フリーターだと思った」
と口を揃えて言います。
でも、実際のところはもっと「ダメなやつだった」って思われているのでしょうか。
ケラケラケラ。
自分でも、自分のことを「無責任HERO」と思っているわけですが、なぜか知りませんけど西園寺さんのことをそう思わない人が寄ってきます。
やめろ。
まだ年貢は収めきれない!!
たまに、独身者を怪訝な目で見て「独身税を設けろ!」とか言っている人がいますが、配偶者控除と扶養控除をご存知ないのでしょうか。また、独身者はただでさえ、宗教弾圧を受けるのです。
最近、セックスした22歳のJDにこんなことを言われました。
「30越えて結婚していない人は、やっぱりそれなりに理由があるよ」
「25越えて結婚を視野に入れていない人は、やっぱりどうかと思うよ」
・・・・・・。
「まっ、まだ20代だし・・・・」「結婚とか知らんし・・・・」とか言って抵抗できるのも、思っているほど後少ししかないのかもね。
しかし、同調圧力をシカトして開き直る能力には定評があるので、40代になっても風俗とキャバクラに通いまくるファンキーおじさんになったとしても、全然違和感はありません。
むしろ、そっちの方が鮮明に絵が見えます。
西園寺さんが嫁と共同生活?
無理だろ。
ちなみに、このJDには
「金遣い荒くない?年収いくら?」
とも聞かれました。
「まぁまぁ、小国の国家予算ぐらいあるかな。年収300兆円。ちなみに国家機密なので証拠は明かせません。住所は天上界1ー1ー1 おっぱいヒルズレジデンス F棟072号室です。通り名はゴルゴ69、アメリカ政府に命を狙われています。」
とかいい加減なことしか言っていません。
人生テキトーです。
こんなノリでも、世間一般では「真面目、堅実、エリート」と呼ばれる街道を歩んでおられる最中のJDと、安いラブホでまぐわいに勤しむことができるのだから、我ながら良い人生を歩んでいると思います。
自分のLINEを開いて、直近のやり取りを確認してみました。
【ある日】
かわい子ちゃん:「今日のお昼ごはんは何だったの?」 → 西園寺:「大トロ」 → かわい子ちゃん:「金持ちかよww」
【翌日】
かわい子ちゃん:「今日のお昼ごはんは何だったの?」 → 西園寺:「ローソンのLチキ3個」 → かわい子ちゃん:「どうしたどうしたwwww」
いい加減な男ですね。全く。
憧れのおじさんは出川哲朗と高田純次なので、
頑張ってあの方向に寄せていくことにします。
最近あった辛いことは、一緒に寝た院生が、口淫行為の後に西園寺の「カルピス原液」をちゃっかりティッシュに吐き出したことです。男性の皆さん、お分かりですね、放出したカエルの子たちが彼女のストマックに収まらないと、なんだかすごく嫌われている気がしませんか。
受け入れられてないっていうか。
建前のセックスをした気になりませんか。
女性の態度は露骨です。西園寺さんのモテ方は異常なので、ソープの女の子から「逆ナンパ」されることも100分の1の確率で存在するわけですが、その際には、そういう女の子は放出後の亀さんも愛でるようにblow jobしてくれます。自主的にですよ、自主的に。
Good jobって感じです。
それにしても最近の女の子ってノリが良いんですねー。
テレフォン・オ●ニーにもすごい協力的です。
ビデオ通話で自分のオ●ニーを見せてくれる子もいるんです。しかもその子、街角の受験予備校で実績として掲げられているようなところを出ているのに。すごい。受験勉強に時間を投下する中で、鬱憤が溜まり、相当なエロさが醸成されたのでしょうか。あれは確実に「やり慣れているやつ」の振る舞いだった。ビデオ通話で見せ慣れているやつの振る舞いだった。
ノリと勢いで生きるためには、コツがあります。
まず、とある宗教に入ります。
それは、「DRM教」です。
注意が必要なのは、戦後、高学歴のエリートたちを巻き込んで大事件を巻き起こした某新興宗教のように、もともと存在していた正当な宗教の流れを汲んで、悪事にいそしむ界隈に身を落とさないことです。
いわゆる「ダークサイド」に落ちないことです。
日本でDRMを教えている人は(私も含め)みんなクソです。ひどい場合だと、完全にブラックの方向性で活動している人たちが、テキトーにDRMという名称のブランドイメージを拝借しているのが多々見受けられます。
だいたい、そういう人たちは英語ができないので、原点のコンテクストを丸無視しております。
DRM教の本山からしっかりと学ぶことです。自由人になっている人たちは、みんな英語ができるのです。
英語ができない人は、西園寺が個人的に「キリ●ト」「ブッ●」「ア●ー」よりも崇めている、この教祖様の翻訳本3冊を高速でポチって、聖典のごとく繰り返し読んでみてください。
後、大切なのは、信者としてのマインドセットです。
古今東西、宗教というのはメインストリームに埋没できない(私のような)社会不適合者たちを温かく迎え入れることで熱烈な支持を受けてきました。なので、そもそも、自由を目指そうとすることがマイノリティを志向することであり、マジョリティから迫害を受けるのは当然のことなのです。
ピューリタンの非国教徒が自由を求めてメイフラワー号に乗り込み、フロンティアを目指したのごとく、現代の自由人たちは「DRM号」に乗り込んでネットという新大陸を目指すのが現代の裏サクセスルートなのです。
そして、それで成功した人間は、自分たちの開拓者精神をストーリーにのせて、後進の者たちに「どうだ!すごいだろ!」と語るのが常なのです。その代表格が西園寺さんです。そして、あたかも自分の行き方が正義かのように主張し、旧来のエスタブリッシュメント支配構造に支配されて、ガチガチになり、
- 遺産相続する
- ミュージシャンになる
- サッカー選手になる
- 魔法使いがあれこれする小説を書く
を実行する以外、経済的な逆転は無理だと開き直っている、 Not in Education, Employment or Training、すなわち「NEET」発祥国の人間たちのような人種と、たびたび摩擦を起こすわけです。
「お前らの英語は英語じゃない!!」
「お前らは下品!!」
「COLORじゃねぇよ、COLOURだよ!」
というように、
「お前らの仕事は仕事じゃない!!」
「お前らのビジネスはビジネスじゃない!!」
「お前らは下品!!」
とか言われまくるわけです。
まぁ、そんなこんなでいろんな偏見・誹謗中傷を向けてくるくせに、自分たちの寄りかかっているエスタブリッシュメント支配構造の産業モデルが陳腐化していることにようやく気付き始めると、
「おっ・・・俺も新天地行こうかな・・・」
っつって、
何食わぬ顔してそそくさと
フロンティア(こっち側)に移住してくるわけですね。
ふー、やれやれ。
西園寺さんは心優しいので、そういう人たちには何も言いませんけど。
基本的に、そういう人たちには
「ノリと勢い」
が足りてません。頭が固い、腰が重い。
そして何より、「人付き合い」と「人間関係(あるいは人脈)」を混同している。
そして、人付き合いレベルでしかない周りの人間たちの目を気にしている。
同調圧力に屈しているのです。
断言しますが、自分と関わりのある人間のうち、98%の人間は自分のことをどうでもいいと思っているものです。
自分のことにそんなに深く関心を持って、しつこくアプローチをしてくれるのは、だいたい、オトンとオカンぐらいのものです、どこの誰でも。
周りの知人たちは、自分に対してそこまで、深いコミットメントはしてきていないし、自分のことをちゃんと知ってくれている・理解してくれていることもありません。そして、なんやかんや、いい加減な意見やアドバイスをしてくれます。
人と表面上うまくやること・よく思われることと、
人間関係を築くことは全く持って違います。
人付き合いと人脈は違います。
「あなたに人間関係はありますか?」
・・・・・
「うっ」って胸が苦しくなった人は、いよいよ、生き方をRe-Thinkする時が来ているのかもしれません。
人当たりが良い人で、やたら知人・友人が多い人は決定的な勘違いをしています。
こういう勘違い君が、自分の人脈力を誤解して会社を飛び立ち、短期で死亡して行った例は数え切れません。
自分の人脈は飯が食えるものではなかった、あるいは名刺の上に成り立っているもので自分自身にコネクトされたものではなかった・・・・と。
深い人間関係を築ける人間とそうじゃない人間の違い。
それは、前者のタイプが「ちゃんと自分を持っている」ということです。自分の哲学、信念、マイワールドを持っているということ。文化を持っているということです。
すなわち、京都です。
京都には京都ワールドがあります。
他者を寄せ付けない独自のルール、文化を持っています。
お高く止まっているフシがあります。
しかし、京都文化と京女の魅力は、時空間を超えて人を魅了し続けています。
京都になってこそ、
集客力と営業力を持つことができる。
本当の深い「人間関係」を持つことができるのです。
おかげさまで、西園寺さんは京都のぼったくり料亭・プレミアムプレイスわらび餅にいくらお金を落としたことか、ちょっと数え切れません。
そして京都が大好きです。
どハマり。
美しすぎる。
六本木ヒルズを眺めるより、金閣を眺めている方が好きです。
京都の戦略を自分の人生にも応用して、
「ぶぶ漬けでもどうどす」
的な論法で自分に合わない人間を上品に排除するエレガントな大人になりたいと思っていますが、どうやら、この社会にはなかなか文脈と行間を読めないリテラシーの低い大人、センスの悪い大人がたくさんいるようです。
止むを得ず、自分が採用するコミュニケーションの60%は大阪方式を採用しています。
ボケにボケと、
情弱に情弱と、
カスにカスと言うのです。
ケラケラケラ。
(とか言って、実際のところは、大方の場合、嫌な奴を見かけると、フツーにフェードアウトまたはシカトして行くだけ。得意技は「既読無視」。西園寺さんの周りには、「既読無視5回は、『ア・イ・シ・テ・ナ・イ』のサインだよ、と吹聴して回っております」)
西園寺さんに備わっているのは、
「人生をエンターテインする力」
です。
私に言わせると、世の中のエンターテインメント産業なるものは、「嘘」ではないかと思うのです。
クスリを売っているかのような産業です。
嫌な仕事をして・・・・
嫌な人と付き合って・・・・
嫌なことをあたかも楽しんでいるように振舞って・・・・
(職場の仲間と行ったカラオケでタンバリン役になったり?)
そんなことをして、すり減らした自分の気持ちを、世のエンターテインメント産業に癒してもらう・・・・。
そして、次の日もまた、混雑する駅に向かってため息をつきながら歩いて行く・・・・。
こんなことをするぐらいなら、
人生を根本からエンターテインした方が良いと思うのです。
生き方の次元から、差をつけるのです。
根底から、覆してしまうのです。
西園寺さんはおかげさまで、「覆水盆に返らず」状態の怠惰な人間として完成されてしまいました。もはや、社畜街道にカムバックすることはないでしょう。
万が一、失業したら、そこらへんのコンビニで「お弁当温めますか?」とのテンプレワードを唱えてるようになっているはずです。その際には、ぜひ、「ほら見たことか」との声をお声かけ下さい。
大丈夫です。
それ、慣れてます。
慣れまくったパターンです。
どうせ、また、再起しますから。
ケラケラケラ。
フェニックス西園寺ですから。
(ただし、その頃にはお金を稼ぐことのしょうもなさをわかりきっているので、俗っぽい欲を煮えたぎらせて這い上がるモチベーションを喪失しているかもしれません)
人生で一番底だった時。
目の前は真っ暗でございました。
そして、不安の渦に自分が飲み込まれて行くような心境にありました。
ワタクシはポケモン世代なので、「レッドは目の前が真っ暗になった」というあの画面を何度か思い出したものです。
でも、いくら不安になったとしても、
目の前のことから逃げることはできません。
人生というのは、常に今の連続です。
過去、未来というのは極端に言えば概念でしかないのです。
そこには存在しないものなのです。
常に、五感を通して感じられるリアリティというのは、そこにある「今」しかありません。
どれだけ不安になろうとも、
どれだけハッピーであろうとも、
目先にあることに集中して、
「今」を積み重ねて行くしかないのです。
そうやって、人の人生というのは形作られています。
軽いノリと勢いで生きるというのは、実は、今を大切にする生き方です。
過去と未来に対して、鋼鉄のドアを下ろして遮断をするのです。
今を生きるのです。
若い頃、私に怖いものなど何もありませんでした。
ただ、ちょっと歳を重ねて、
自分の人生の先行きを決めなければならない年代になってくると、
どんどん不安に襲われるようになったのです。
その時、私は何を思ったか。
ただひたすら、その瞬間を生きていたのです。
ノリと勢いで生きろと、自分に言い聞かせていた。
今も、その姿勢は大して変わっていません。
そうです。
西園寺は、不安に対する特効薬を見つけてしまったのです。
それは、ノリと勢いで生きること。
ゴミが散乱するこの世界で、仕事と自分を切り離し、仕事を自動化するというアイデアに賭けてしまったのです。
その結果、どうなったでしょうか?
・・・・・。
いい歳して、女性に面と向かって「クリトリス」とか言っちゃうようなダメな大人のまま、今日に至っています・・・・・。
PS
西園寺さんはスーツが似合うので、自分のちゃらんぽらんぶりは場合によっては外見で偽装し、中和することができます。うーん、うわべのごまかし方に関してはさすがコピーライター、ってところでしょうか・・・・。
ケラケラケラ。
PPS
残念なことに、人によっては人を見る目が鋭い人がいて、どれだけちゃらんぽらんにしていても、私を「いや、私はこう思うわ・・・」って勝手に見定めてくれる人がいます。そういう人は、私のことを「まとも」扱いしてきます。
イラつくので、顔射してやります。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。