我なんて通してどうすんだ、ってのはあるよね。もし、愛する人がいて、その人のことを守りたいっていう思いで、自分の意見や個性を押し殺し、何かに迎合していくのも立派な意見・個性じゃねぇか、ってね。そういう意味で、満員電車に揺られている人たちはカッコイイ連中なのかもしれないね、ってね。
人が、自分の世界だけという偏狭なパラダイムから抜け出す方法は、「愛する」「尊敬する」「外を見る」だと思うんだけど、特に愛するのパワーは偉大。人を愛すると、その人の世界を知ろうとする。それが、目前の景色をガラッと変える。そして、愛することを覚えた人は、自分だけの世界で生きることや、我を通しまくることから少しずつ離れていく。人を愛してしまった以上、どうしても自分とは違った世界を理解せざるを得なくなり、自分とは違った世界を尊重しないといけなくなるから。
だから、昔は結婚が一人前の大人の条件とされたんだと思う。
思うに、生きがいが無い、やりたいことが無い、自分の確固たる意見や個性が無いって人は、誰かの確固たる意見や個性をサポートしたり、人を愛するために生まれてきたのかもしれないね。やりたいことが無いのなら、素晴らしい人との出会いで始めて、人生のプランが固まってくるのかもしれない。
人は人との出会いで変わるからね。
やりたいことが無いのなら、人を探そうぜ、ってのはいいかもしれない。
別に、愛すべき人ってのは、LOVERだけじゃなくてもいいんだぜ、って思う。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。