#1【残酷すぎる現実論】 : 毒親は見捨てなさい

 

今回は、あまりにも残酷すぎる話をしたいと思う。

ズバリ、毒親は見殺しにしなさい、である。

 

私の電子データ及び書斎には、万単位のオーダーで書物がある。そこらへんの小学校の図書館以上に本がある。そして、これまで腐るほどセミナーや情報コンテンツを買ってきた。そして、生き馬の目を抜く現実社会で成果を上げてきた。

私は反骨心の塊である。逆境からの這い上がり人生だ。

自己啓発や科学的知見などに腐るほど触れてきた人間として断言できることがある。

 

それは、カエルの子はカエルだということ。

この法則はかなり強烈である。

 

人生のアウトラインは、親起因のものでたいてい決まってしまう、ということだ。

 

だからこそ、生まれた瞬間に不利なくじを引いている(平均以下・中央以下)人間は、世間の普通に流されていたらとんでもないことになる。そして、世間は生まれ持ったハンディを情状酌量してくれない。だから、「ハズレくじ」の人間は、そんじゃそこらの綺麗事ではやっていけない。

開眼せねばならない。

 

誰だって良い暮らしがしたいだろう?

誰だって上に行きたいだろう?

誰だって悲劇を避けたいだろう?

 

そのためには、社会的に・経済的に、自立できるようにならねばならない。そして、そのためには厳しい修行の時期があったり、一時的にライフスタイルのバランスを崩して何かにチャレンジしたり、リスクを取る必要がある。

 

社会的に、経済的にうまくいっている人たち、悠々自適に暮らせてる人たちは、例外なく、

  • 自分<社会的活動
  • 家族<社会的活動

である。

物事の優先がわかっている。

誰に生かされているのかがわかっている。

 

人生や進路に迷っている、ハタチ付近の男女と触れ合う機会がこれまでにあった。悩みが物凄く深い人たちは例外なく、親の呪縛に締め付けられていた。両親に進路を妨害されていたり、両親のせいでディスアドバンテージを食らわされていたり、両親の重荷が肩に乗っている人間が腐るほどいる。

他方で、若い頃から順調な人生を歩んでいる人たちの多くはどうか?

彼ら・彼女らは、親がディスアドバンテージになっていない。むしろ、親がアドバンテージになっている。

 

圧倒的な格差である。

 

私は昔、興味本位で犯罪者、特に死刑囚について調べていたことがある。大方のケースが、「家庭環境がヒドイ」のである。もちろん、どれだけ家庭環境が酷くてもきちんと生きている人がいるから彼らの所業は言い訳にはならない。とはいえ、世界各国スラム街の治安が悪いように、環境は人を捻じ曲げてしまう「確率」が高くなる。中学生時代、ヤンキー・チンピラと言われる連中も周りにたくさんいた。道を踏み外す人間もたくさん見てきた。やはり、例外なく「家庭環境」が好ましくないのである。

 

家庭環境が、「ハッキリ悪い」家庭ならわかりやすい。離脱すれば良い。

問題は、良いとも悪いとも言えない家庭である。ここが辛いゾーンだ。

 

動物は環境に順応するか、逃げるかしかない。

しかし、人間は環境を作り変えることができる。

 

まず、人間の能力は、大部分が遺伝によって決定される。そして、柔軟な子供時代に親がどれだけ子供に対して教育投資できたのか、機会を与えたのかによって子供の将来が大方決まる。

 

世間はまずこの「環境の良し悪し」というのを舐めている。

ビッグダディや美奈子の家庭を観て、「こんな環境でまともに育つわけがない」と思う人は多いだろう。

その通りである。漫画・ドラゴン桜で、母親がお金を稼ぐために男とイチャついてる姿を小さい頃から見ていた水野というキャラクターが一念発起して東大を目指すというストーリーが描かれていた。世の中には、親が「金を稼ぐために」子供の見える範囲で男とイチャついたり、性行為をしていたり(親が性行為をしている音を聞きながら床についたり)、家でヒステリックに喧嘩をしている両親を見ていたり、お金のことで狂った両親を見て育っている人たちがたくさんいる。自分の部屋が用意されて両親とは隔離された環境で勉学に励むことができた人もいれば、非常に狭い家で育った人もいるだろう。

 

優れたサッカー選手などは、親が子供のサッカー環境のために引越しをしたりする。ゴルフプレーヤー、フィギュアスケーターなど金のかかる分野で活躍している人はやはり親が凄い。シンガーソングライターのあいみょんも、父親が音楽関係の仕事をしていたことが大きかった。

言わずもがな、芸能の世界に進出するにあたって重要な「ルックス」なども遺伝によるところが大きい。

 

父親・母親が社会的な成功者であれば、その帝王学を小さい頃から仕込まれて育っている人もいるのである。

 

いわば、こういうものが関係して、スーパープレーヤーとされる人間というのは、15歳ぐらいまでに頭角を現すものである。すでにスタートで有利なのだ。

 

  • 遺伝
  • 家庭環境
  • 友人(おそらく類は友を呼ぶだろう)

の人生に対する影響は計り知れない。

 

そもそも、生まれる「国」自体が親の選択。そして地域自体も親の選択である。日本で出版される書籍や、メディアで流される情報は「東京」に偏っている。それもそのはず、1億2000万いる人口のうち、約1000万は東京に分布しており、関東の人口は4328万である。日本人のうち、1/3が関東なのである。

関西には2276万人の人口がいる。愛知県には700万強の人口がいる。つまり、関東と関西・名古屋圏だけで日本人人口の半分をカバーすることになる。

つまり、三大都市圏以外で生まれてしまった時点で、ディスアドバンテージをくらっていることになる。

 

東京に住んだことがある人ならわかるだろうが、「日本」という国は、

  1. 東京
  2. 東京以外

で2分することができる。

「東京を知らない人間」はわからないだろうが、東京という街は地方とは違うスピード感で人・物・金・情報が回っている。「地方の軽自動車」がイコール東京のBMW、ベンツだったりする。地方の電車内では見かけないが、東京の電車内では満員電車の中で日経新聞を縦に折って必死に情報をとってる者、何かに追われるようにラップトップを持って電車内で作業し、昔の蕎麦屋のように片手にラップトップを持って小走りする者で溢れかえっている。都内を分単位で正確に移動できるのも東京の特徴だ。

 

この世界は平等では無い。初期条件も人によって違いすぎる。

もしあなたが、「平均的な家庭に生まれた」との自負があるのであれば良いが、スタートダッシュから遅れている・不利であるという自覚がある場合には常識的な話はシャットアウトせねばならない。

平均以上になりたいと思うのであれば、突き抜けなければならない。

 

世の中には、

  • 東京しか知らない
  • 大阪しか知らない
  • 愛知しか知らない
  • 神奈川しか知らない

というような人間で溢れかえっている。

私は日本全国津々浦々、回っている。そして、各地て定住したりしてきた経験値が豊富だ。だからこそ言えるのだが、日本は地理的な格差がカナリエグい。日本に蔓延る大きな格差は、

  1. 親格差
  2. 地理格差
  3. 世代間格差

と言って差し支えないだろうと思う。

もちろん、大阪と言っても、「千早赤阪村」なのか「梅田界隈」なのか、東京と言っても「23区内」なのか「多摩」なのかによって事情は全然違う。とはいえ、進学や就職のフェーズになってくると、地理的な部分での格差は露骨に人生に影響する。つまり、わざわざ田舎から都会に出てくる人間と、そうじゃない人間とではあまりにも差がありすぎるのである。

 

現在、日本ではマクロ的に人口減少が進んでいる。そんな中、地方では急速な人口減と過疎化、少子高齢化が進み、「都心への人口集中」が起こるとされている。

特に、東北なんかはヒドイ有様だ。

国立社会保障・人口問題研究所は30日、2045年までの将来推計人口を公表した。東北6県の45年の総人口は約620万人で、15年(約898万人)の7割弱に減少する。少子高齢化も一段と進展し、秋田県では45年に人口の2人に1人が65歳以上となる。各自治体にとっては、経済活力の維持などが大きな課題となりそうだ。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28808670Q8A330C1L01000/

 

これだけではない。

産まれた時点で、「親のせいで」大方のパラメータや初期設定が決められているというのに、日本では、

  • 儒教思想、年功主義
  • 先祖崇拝

をゴリゴリに押し付けられてくる。そして、メディアであったり世間一般の常識としては、「親に感謝しなさい」「親を大事にしなさい」という思想を吹き込んでくる。そしてこれは正論であり、大方の人が賛成している風潮なので、抗い辛い。

しかし、「親」とか「家庭」と言っても、千差万別である。この風潮によって、言ってみればヤバすぎるカルト宗教の十字架を背負って生まれ育ってきた人間たちが、そこから逃れられずに嵌め込みにあっている状況なのである。

世間では、怪しげなカルトやブラック企業を叩いているが、これらよりもはるかにヤバいのは「親」である。選択権も無い上に、一番大事な幼少〜少年期を決定づけてしまうからだ。

 

そして、もっと核心的なことを言おう。

 

有力な家系に生まれた人や、親がしっかりしている家庭の人ほど、親の力によって保護を受けたり支援を得ることができる。

いわば、ファミリー自体が社会的・経済的な力を持っているため、ファミリーとベタベタになっていても、それが社会と通じている。

 

身も蓋もないことを言うが、世の中の有力者は、権力を私物化したり、公共のものを自己所有化している。

 

人によっては、それなりのファミリービジネスを持っていて子供に継がせたり、あるいは医者の親は子供を医者になるように再投資したり、芸能人は子供を二世芸能人にする。政治家もそうだ。家系が力を持っている。ある程度、大人になってからも、親と距離を近くして差し支えない。

ファミリーが社会的に強いのである。

 

しかし、ダメな親に生まれた人ほど、ファミリーではなく、社会に迎合していかねばならない。

 

ダメな親家庭ほど、

「親ではなく、他人を取る」

という選択をせねばならない。

 

身も蓋もないことを言えば、ダメ親に生まれ育ったら、親の死に目に会うよりもクライアントとの約束を優先させた方が良い、ぐらいなのである。

親の死に目に会えないのは不幸だ、非道徳的だ、あってはならないと考える人間は多い。しかし、そういうマインドセットをこじらせて物事の優先を間違えるからこそ、家系的に沈んでいくのである。

なぜなら、そこそこの家庭なら親が死ぬと子供に受け渡されるものがある。しかし、ダメ親の場合だとそれは無いだろう。まず、「二人死ぬのか、一人死ぬか」というギリギリの選択を乗り越えて、その先で「子供個人の成功」があり、そして余裕ができれば「親も巻き込んだ成功」「家系へのサポート」などがあるのである。

 

  1. 親から離れ
  2. 社会に迎合し
  3. ディスアドバンテージを乗り越えていく

必要があるのである。そして、最悪なケースだと、親が子供におんぶに抱っこで負担をかけてくるのである。悲劇はこれだけでは終わらない。もし、結婚をしようなんて場面になったら、家柄がかなり不利になるだろう。相手方の家系、そして相手が懸念するのである。

にも関わらず、ダメな親に生まれた人ほど、親に初期設定の時点でかなり選択肢を狭められ、進路に介入され、エネルギーや夢を奪われ、地元から出ないように手を打たれたりする。

 

社会に何かしらの形で迎合していく。

すると、当然のことながら「社会人」としての日常が始まるわけだが、いかなる言い訳をしようとも、一定年齢以上の人間は「社会人」として評価をされることになる。ひどい親を抱えている人だと、例えば幼少期にヒステリックな振る舞いを身近で散々見ていて、自身もその影響を受けてヒステリックさを残したまま社会に出ていくことになったりする。そして、仕事に追われる中で、両親からヒステリックなメッセージや干渉がやってくる。ダメな親の元で育った人は経済力が弱く、実家暮らしである人もいるかもしれない。すると、ここでもダメージを食らうことになる。一人暮らしをするにしても、親が連帯保証人になってやすやすと家を借りられる人がいれば、そうじゃないケースもあるだろう。

 

生まれ持った家族だろうと、結婚して形成した家族だろうと、自分の家庭の問題を仕事に持ち込むと、一緒に働くメンバーからすれば、

「ハァ?」

なのである。

 

だから、

  • ダメ親
  • サゲマン

を掴んだ人生は「詰み」なのである。

 

たとえどれだけ悪い親を抱えていようと、その結果として、

  • 起こした犯罪
  • 発揮した社会的無能さ
  • 人格的以上
  • 人間的異常、未成熟

などについて、社会は考慮しない。情状酌量しない。そして、長い人生において、親は先立つが子は長く生きなければならない。

 

中途半端に、「親を大事にする」というような美徳、常識を信じ込んでしまうと、道連れになって沈んでしまうような層というのは結構いるはずである。そして、言わずもがな、沈んだ人間に対する風当たりは冷たい。世間は優しくない。というよりも無関心だ。

 

若年であろうと、中年であろうと、中高年であろうと、

親をどうするのか?

という点で、厳しいトレードオフに立たされ、決断を求められているような層は結構いると思う。

私は断言する。

 

親を見捨てろ。親を見殺しにしろ。

 

大方の親はハズレである。

 

私は、自分の人生について、「後悔ないように生きよう」と思い生きてきた。呼吸することと、ちゃんと生きていることは、「違う」と思い生きてきた。だからこそ、(痛い思いをしたくないが)明日死ねと言われれば、死ねると思って生きてきた。銃があれば、普通に自害できるくらいのマインドを20代の早期に完成させて生きてきた。

そして、そうやって人生を送る中で、

  • 結婚をするか?
  • 子供を産むか?

というのは私の目の前に降ってきている選択であるが、これはどう考えても、やるとするならば「自分の選択」でやるものであるとわかる。そして、これらの選択をしていった人間たちも「自分の選択」でやっていっている。

忘れてはいけない。

結婚も出産も個人の自由である。

ここを考慮しないまま、「周りがしたから」「一人じゃ寂しいから」「家系の血を絶やしてはならないから」と、思考停止的に無理矢理に繁殖をしたところでその家庭は後世に行けばいくほどしんどくなるのである。

その結果として広がっていく世界は、「自分の世界」なんかでは決してない。自分の血を受け継いでいるではあろうけれども、全く違う意志と考えを持った人間のストーリーが始まることになるのである。

当然のことながら、これらにはリスク・コスト・デメリットがつきまとう。それでもやると決めた人間がやるのである。

当然、多くの既婚者や子持ちは、まともであるなら、将来自分のことを「子供になんとかしてもらおう」と考えていないはずだし、できることなら子供の可能性を広げようと考えているはずである。これが「まとも」「普通」である。

 

そして、世間は、この水準以下の親で溢れかえっている。これは、20代にしても、30代にしても、40代にしても、50代にしても、60代にしても同じことである。

そして、彼ら・彼女らは、

子供は大事である

子供には幸せになってほしい

と考えているはずである。

 

大方の人間に才能も能力もない。

大抵の人間は、社畜という負け組の分際で繁殖をし、いっぱしの家庭のリーダーになって調子に乗る。

彼らは、若き日の志が実現しなかった人たちである。いわば負け組である。まさか、たいていのサラリーマンが小中高生の頃に、「将来こうなりたい」と思ってた未来を手にいれた訳ではなかろう。彼ら・彼女らは事を成せなかった人間である。成さなかった人間である。そして、社畜というフィールドでも大して成果を上げた訳でもなく、上に行ったわけでもなかろう。

いわば、たいていの大人という人間は、「思い」と「実行実現能力」がズレているのである。

 

子供に対してもそれは発揮される。

子供を大事に思っているのは間違いない。

子供に幸せになってほしいと思っているのは間違いない。

 

ただし、親の「存在」と「能力」が子供を不幸にする方向に向いてしまっている。間違いなく。

 

そもそも、一定の年齢以上になれば、誰もが周りの出来事として結婚や出産というものを身近に感じられるだろう。自分ごととしても捉えるようになっていくかもしれない。その際、割と多くの人間が、「何も考えずに世帯を形成していっている」ことに気付くだろうと思う。この「何も考えず繁殖する層」は、国がマクロ的に上向いているときは何も問題が顕在化しない。ところが、そうじゃない時には問題が出てくるのである。

昔の年寄りは早く死んだ。

そして、早く死んだ年寄りの子供に当たる世代は「経済大国日本」の恩恵を受けてきて、老後の待遇も手厚い。そしてその子供もギリギリ大丈夫だ。この世代が結婚するか子供産むかという時期に日本がつまづき始めたのだろうと思う。そして、彼ら・彼女らの子供世代が、今の若い世代であろう。ここがかなり苦しんでいるはずなのである。

 

親子の縁は切れないと嘘をつく輩がいる。

切れない縁は無い。

人間関係に、避難口としてEXITを用意しないとは狂った思想である。

 

ブラック企業もカルトも、辞めようと思えば辞められる。国ですら、出て行こうと思えば出ていける。そして、親子関係も同様である。ここに関して、ものすごく思想圧力がかけられている。これは異常だ。親子関係をどうするのかは個人の自由である。

「親子関係を持続させるのか、切るのか」

は完全なる自由である。

そうでなければ、あまりにも悲劇すぎる。不幸すぎる。

 

  • 都会に出て行きたい
  • 一人暮らししたい
  • 自分のやりたい事をやってみたい
  • 自分がどこまで行けるか試してみたい
  • 自分の可能性に限界を設けたくない

そういうポジティブなエネルギーが人を前向きにさせる。そして、若くて気力・体力・精神力のあるうちに、目先のことを思うようにやることによって人生は拓かれていくのである。

 

しかし、親というのはここに水を差す。子供の頃からそうである。

もちろん、親の側も「必死に子供を育てている」「無理をしている」「我慢している」というのもあるだろう。しかし、身も蓋もないことを言うが、たいていの人間には結婚する資格も子作りする資格も無いのだから、それを無理矢理振り切った結果がそれなのである。サラリーマンのお小遣いがいくらいくら・・・という話があるが、それは身分不相応な選択をした結果として当然のことなのである。本来ならが、大方の社畜は孤独に生き、孤独に死ぬ末路なのである。

 

親子関係を強調する人間たちは、「カエルの子はカエルであることを認めなさい」という連中である。そして、自分が親の呪縛に無理矢理従ってきたから、あるいは自分に子供がいてそういう思想を受け入れるのが腹が立つから反発しているに過ぎない。

 

親を目の前にした決断で、ドライな、サッパリとした意思決定ができない人間は一生苦しむだろう。

結婚したとしても、「嫁か?母親か?」というトレードオフと必ず直面するはずだから。

そもそも、潤沢な資源や恵まれた環境があればそのようなトレードオフに悩む必要はない。悩んでいる時点で、キャパの限界がきている。企業ですら、限られた資源の中で何を「取捨選択するのか」というのは付きまとう課題である。一時的には痛みの伴う「捨ての決断」であっても、これができないと全体死を招く可能性がある。

結局、いい歳こいて親とイチャつきながら、メリットもデメリットも両方受けるようなダラダラしたやり方をしたり、25越えて実家暮らししてるような中途半端なマインドが自業自得の結果を生む。どうせ、中途半端さを拗らせて、ベンチャー企業とかにでも勤めてるんだろう、こういう人間は。起業なのか社畜なのかハッキリしないのである。

 

煮え切らない人生を歩むと、地獄を見ることになる。

ツケが回ってくるのである。

 

白黒ハッキリつけて、アクセルを奥底まで踏んで進めば、人生はわかりやすい結果がわかりやすく手に入るようにできている。

 

最後になるが、オススメの本を紹介しておく。

この人のことは誰もが知っていると思う。

彼の出自を見ると、比較的恵まれなかった出自であることがわかる。それでも彼があれほどの事を成したのは、親を振り切ったからである。生まれ持ったディスアドバンテージを振り切ったからだ。

彼のパーソナリティ(傍若無人な振る舞い)に文句をつける人がいるが、私は彼のパーソナリティは家庭に問題があるのだと思う。でも、言い換えればそれだけの家庭の出からでも、あれだけやれるということの証明でもある。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。