#3 お金で苦労しないために、お金と決別する

貧乏になる方法は簡単。

お金を貯め、良い仕事に就き、株・債券・投資信託に分散投資すれば良し。

 

お金について「ヒイヒイ」言っていた時と、今の自分を比較する。何が1番違うのか。やっぱり、「お金」についての知性が相当上がったと思う。

CASH IS TRUSH(金はゴミクズ)の理念は、私の心に深く根付いている。お金に執着するから、お金のために生きることになるという、大いなる発見。

これを本気で理解しないまま歳を重ねると、マジでお金の奴隷になること請け合いである。

 

少し、説明をしてみよう。

海外に出たり、為替レートを眺めていると、絶対的なものとして崇められているお金(これのために犯罪を犯す人も、骨肉の争いをする人もいるからね!)の価値が、平気で揺らぐことがわかると思う。簡単な話、1ドル70だった時に米国で買えたものは、1ドル105円の時にいくと1.5倍のお金が取られるようになるということ。

円の価値が弱くなってるわけだ。

為替がわかっていると、「訪日観光客が増えてます!!日本の魅力が世界に認知されてきて・・・」みたいなものは嘘だとわかる。嘘というか、まず、為替レートを見るようになる。日本円が安くなったら渡航先としての日本の魅力が半端なく上がる、ってことを忘れてはいけない。また、この、通貨間での価値の変動は、経済の至るところで影響を及ぼすことも忘れてはいけない。

 

それから、インフレについても考えてみよう。1000円でコーラが10本買えていたとする。これが5年後、1000円で5本しか買えなくなっていたら?つまり、その分、物価が上がっていたら?

お金の額面は変わっていなくても、お金本来の機能である購買力は弱まっていることに気付けると思う。

それから、税や社会保障。稼いでも稼いでも高い税金を取られてしまうとどうだろうか。現実に、社会保障もかなりの世代間格差が存在する。

銀行の存在も厄介だ。銀行は、預金者が口座に1000円を預けると10000円を他に貸し付けるようなことをやっている。これは違法でも何でも無い。銀行は増幅器を兼ねた心臓のようなことを経済の中で行なっている。金という血液を回している。だから、預金者が一斉にお金を下ろそうとして群がると銀行は潰れてしまうんだけれど、これは何を意味しているのかというと貨幣の供給量を銀行が増やしているということ。

 

こういうことがわかっていると、お金というものに対する見方はだいぶ変わってくると思う。

お金のため、給料のため、貯金のため、・・・・・人は働くのだけれど、お金というものに対する根本的な見方を改めないと、生活は変わらない。

もっとお金があれば・・・・

もっとお金があれば・・・・

という風に、お金のために働く思考を加速させればさせるほど、お金に不自由になるようになる。

人は、今の年収が倍になればなぁ・・・と夢想するけれど、おそらく、倍になったところでそれほど変化はない。なぜなら、税の負担が重くなり、仕事のプレッシャーが増し、喜びは一時的でそのうち慣れるからだ。

 

自分がお金に関して悩んでいることが、お金によって解決されないということを知ったとき、ブレイクスルーが訪れる。

結局、お金というものに、どのポジションから接するかなんだと思う。

 

私は、若い頃に人生とお金について散々悩みながら、学校をサボって社会観察していたり、お金持ちの家の友達から情報を集めたり、バイト先の客を観察していたり、働いた場所の社長から話を聞いたり、というように、自分の足で情報を稼いだ。

世の中の人は若者に優しい。

若いうちにお金に関心があり、年齢が16歳とか17歳であれば、恥も外聞もないからズケズケと聴きに行けるものである。

そして、なんとなくわかりはじめるものである。

違うレールが存在することに。

働いていないおじさんがいることに(働かせるおじさん)。

 

本当の豊かさというのは、年収では測れない。働くことをやめても生きていける日数で測ることができる。どれだけの時間的余裕があるかである。これが本当の富である。驚くべき話だと思うけれど、事実そうなんだから。

人間の命は有限。その有限な命を会社のために捧げて、会社を豊かにする。もちろん、会社は給料はくれる。しかし、稼いだお金はどんどん流れていってしまう。他方、会社の側はどうなのかというと、所有者(オーナー)は自分の手元から切り離せるキャッシュマシーンを手にしている。

もちろん、オーナーだって最初は死ぬほど働いている・・・・可能性だってある。

 

ただ、問題は、自分の労働がどこにどう蓄積して、その所有権はどこにあるのかということ。当然だけれど、どうせ働くのであれば、自分が所有することになるもののために働いた方が良い。それが蓄積されていき、どんどん自分が楽になっていくのであれば、そっちの方が良いと思う。

 

MBAや資格を取得して、有名企業に就職し、出世の階段を登り、・・・・・

という生き方は、ブルジョワの生き方。

もちろん、そっちにも魅力はたくさんあるけれど、高給をもらうこととお金について自由になることはまったくもってイコールではない。

ひたすら貯金をして株を買い続ける生き方、仮想通貨を買う生き方、マイホームを資産だと思って買う生き方、これらも全部ブルジョワの生き方。

貯金も節約もそう。

 

私が仮に、MBAだの資格だのを取得して、企業の中でそれなりの高給がもらえる人生を歩んでいたら、加齢とともに押し寄せる自分の気力・体力の低下に怯えながら生きていただろうと思う。下からの突き上げに怯えながら生きていただろうと思う。そして、毎日、めまぐるしい業務に追われながら、移り変わりの激しいネタを勉強させられ続ける人生だったと思う。

 

お金の問題を解決するためには、お金の矛盾に気づかなければならない。

それは、お金は一時的な解決策でしかないってこと。

仕事は短期的な解決策でしかないってこと。

 

お金が入ったとしても、その分失う可能性が増える。

 

本当に必要なのは、富であり、資産である。これらは、永続的なもの。

お金を稼ぐのではなくて、お金の流れを創り出す。キャッシュフローの仕組みを所有する。資源・生産の富を保有して、世の中に価値を送り続けられるようになること。価値は創造しても良いし、投資や売買、取引で産んでも良い。メーカーでもホールセールでもリテイラーでも良い。その価値はユニークさで磨きをかけても良いし、生産能力や流通で加速しても良い。

そして、仕事を探すよりも、解決すべき問題を探した方が良い。お金のために働くよりも、特定の人々のために働いた方が良い。

 

資産というのは常に、人の頭の中にあるものだということを忘れてはいけない。何かを資産だと見抜くことも、何かを資産化させることも、結局、人である。同じ状況の中から、チャンスをつかめる人間とそうじゃない人間が分かれるのは、結局、ものの見方と行動力が違うから。

 

「不動産」が価値を持ったのはその時代、価値が見出されている資源や生産手段と密接な関係があったからというのはすでに説明したと思う。田舎の辺鄙な土地には価値がないけれど、東京の都心の地価が高いのも結局、商用上の価値から、である。

時代が変われば、何が資産かも変わり得る。

事実、サイバー上のドメインに価値がついて、中古ドメインが売買されているのだから。

 

ビジネスに鋭くなり、嗅覚を上昇させると、何の価値が上がり、何が資産化するのかが徐々にわかってくると思う。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。