声かけし、暴言を吐かれた時にイラッと逆ギレしない営業の心理構造を考えてみる。
例えば、ナンパ。
定期的に、ナンパを断られた男性の逆上による刑事事件がニュースになる。その際、社会人男性は綺麗事を吐くが、私が見る限り、たいていの男性には『この程度の女のくせに調子乗りやがって』という類似の心理リアクションが必ずある。
声をかけて、悪態、暴言を吐かれて、イラッとするときに
ブスのくせに調子に乗りやがって
というイライラは、対象を安く見積もったがゆえに発生するものだと言える。イージーゲームそうだな、と思ってうまくいかない時、人はイライラする。
なぜなら、そんなにattractiveではないものについて、イージーであることを前提条件にアクションしているのだから、イージーでないことがわかってしまてば基本的に全て裏目に出てしまう。
これを防ぐための対処法は、
イージーそうだな
という理由で動くことを人生の中から取り除くこと。イージーそうだな、ではなく、純粋にattractiveなものに向かっていかないと、万が一、失敗挫折したときのカウンターパンチに耐えられなくなる。
必ず想定外や、ブロックがあるのだから、そうしないとメンタルが持たない。
経済的営業行為、俗に言うセールスの場合は、お金を集めることを行うのであるから、たとえうまくいかないような場面に出くわしても、そこに対して努力行為を行うことへのリターンが大きいしそのプロセスは転用可能で広く通用する。
ところが、ナンパの類はそうはいかない。
なぜならば、異性へのアプローチの喜びは、
- 性欲の充足
- 自分の異性からの受容による自尊心充足
の2点があって、本質的に後者には心理的肯定性がある。恋愛感情や、異性への惹かれる気持ちと否定性は相性が悪い。純然たるヤリモクの場合(女性を100%便器と捉えている場合)、ナンパでカウンター攻撃を食らっても決して逆上することはない。その女性に心理的に受容されるかどうかはどうでもよく、シンプルに膣穴に肉棒を入れることのみが目的である。しかし、100%そうではない時にイライラが発生する。
このイライラは、
- 対象者に受け入れられなかったという残念な気持ち
- 対象者に受け入れられなかったことから類推して自分の社会的価値、セルフイメージを貶めた気持ち
のどちらかから派生する。
もし、後者が強い場合はイライラが強くなるが、前者の場合はその対象に受け入れてほしいのが目的であるため、踏ん張りが効くことが多い。
結局ここにあるのも、目的魅力性である。
本当に心の底から女性を穴と思ってる男または、魅力的な異性に声かけしている男は、イライラしない
あとは、本当はイライラしてるが訓練で鈍感さを鍛えた人間である
女性の側もまた、過剰にナンパに逆上しているときにありがちなのが、
他の女口説いてこいよ
というリアクションであるが、そこに含意されているのは『他の誰でもいいのでしょ』という気持ちや、これまた『自分の社会的価値を貶められた』と感じるような対象者、対象アプローチに問題点があるのであり、また、アプローチされるサイドも自己イメージに不安定性や不安、低い評価や懐疑心があることが多く、それは何かしらの外見的瑕疵、内面的瑕疵、生育環境問題がある。
よって、やはり以上の観点からも、魅力的な対象を見つけることが必要である。
営業のマインドセットとしては、異性なら魅力ある対象を、ビジネスシーンであればある程度お金のためにやっている=好きなことではない、という構えが効いてくる。好きなことだと、否定に弱くなるため、否定が日常茶飯事である仕事においては好きが強すぎると辛くなる。
『カウンターパンチをくらうかもしれない』という覚悟を持って、ナンパ対象者を選定すれば、おそらく、99%ぐらいの女性は対象から外れるはずである。基本的に、ナンパには、好意的フィードバックへの勝手な期待があるが、最初からネガティブフィードバックを想定すれば、
それでもアプローチする価値があるか
という視点から再考することができる
そして、そこでOKサインが出るというのはほとんど告白の性質に近い
万が一、めちゃくちゃな暴言を吐かれた時に、『お前如きの分際で』と1ミリも思わないであろう対象であると心の中で同意書を書けるほど魅力的な女性に熱量を伝えるナンパだけすべきで、実際その手のものはうまくいく。
そして、街で見かけただけの女にそこまでの熱量を発揮するためには、相当な外見レベルでなければならず、外見の好みに一切の妥協をしないレベルを狙うべきである。
それに満たない対象の数多くから受容されたいのであれば、ガールズバーやキャバクラなどに行くべきである。逆説的に、トップクラスキャバクラ嬢よりも格上にストリートで声掛けすべきである。
一昔前であれば、女性たちには
声掛けしてくれてありがとう
というマインドがあったが、今は存在しない
むしろ男性はそういう期待をもっているからこそ、落胆するのではないか
今のアラフォーぐらいにまではそういうマインドセットは多めにあったが、今のアラサー以降からは劇的に減っている
これは、SNS社会と、ネット社会、出会い系アプリ社会が女たちに自己過大評価錯覚を与えたからで、インスタで育ってきた世代の自尊心は勘違いでパンパンになっており、膣モテバブルがリーマンショックばりに25歳で崩壊するという波の荒い人生を送っているから、おしとやかな反応は期待してはいけない
今の女たちに身分相応の振る舞いを身につけるというような概念はない
だから格が高い女にのみ、行くべきである
非常識に感じられるかも知れないが、ストリートナンパのような『見知らぬ相手からいきなり声かけられるシチュエーション、声かけるシチュエーション』は、男女ともに、身の程知らずとも言えるほどの絶世の美女に声かけるという構造でないとその行為に対する過剰なカウンターパンチとそこから発生するイライラを防ぐ納得性を構築できないのである。
実際、世間のナンパに対する批判は、
私のような極上美人に、声かけするなど、身の程を知れ
というタイプのものよりも圧倒的に、『イージーと思われた』と感じた二流以下の嘆きの裏返しが多い。
ストナンは圧倒的に身の程知らずであるべきなのである
そして、極上美人はそもそも、人生で美人として崇められるのに慣れており、告白などされまくってきているから、感覚が通常の女性とはズレている上に、慣れているため、意外と嫌悪感は持たない。
マインドセットが芸能人に近い
明石家さんまはどこでも誰にでもサインするという
そして、選定された相手にもしカウンターパンチをくらったとしても、それは自己成長のための肥料となる。むしろ、カウンターパンチをくらうことに対してありがたい、と思える相手にすべきである。
もちろん、性格が良い女性もいるが、性格の良し悪しは外見から判断がつかず、学生時代を思い出してもらえればわかるように性格の良い女性は美人よりも出現確率が低いと仮定して差し支えない。
これの例外は、
- 三大都市圏の中心部
- 有名大学の周辺
など、歩いている女性のタイプに偏向があるエリアであり、この手のケースを除けばたいてい、表に口にするかどうかは別として、嫌な事を考えている。
そうすれば、『ナンパすればボコボコにカウンターをくらう』というネガティブ想定は比較的現実的であり、やはり絶世の美人に声掛けすべきという結論は揺るがない。
見上げる美人だけを狙うべきである。
ナンパの無理は、数を追うことにある。質を追わなければならない。
90%の女性は、ナンパする側のその行為に無理があるとはいえ、下手なカウンターをしてきたらイラッとするスペックしか兼ね備えていないというのは事実であろう。
よって、ナンパは、妥協をしてはいけないのである。
神的ルックスの女を狙うことだけに努力が報われるほどの価値があり、それをその他の有象無象も望んでいるし、これが三方良し、本物のナンパ
である。
金を追うなら、好きじゃないんだから、ビジネスなんだから耐えろ。女を追うなら、上物なんだから耐えろ。ブスは口説くな。やれそうだから、イージーそうだからは動機としてはやめろ。
これが人生の基本スタンスである。
イージーそう、という動機は最低で、常にエクセレントなものを追わないといけない。それが見つからなくなった時、人生にはイライラが溢れる。
事を起こす時、
ちょろそうだから
は絶対にやってはいけない
どんな仕事でも、ちょろそうだから、という態度で入れば嫌われるし、怒られるし、期待を裏切られる
仕事は命落とすぐらいキツそうでもやりがいがあればやるべきで、イージーそう、だけが主たる理由だと必ずイライラさせられる
チョロそうだからやる
という態度を取り除けば、人生からイライラは無くなる
エクセレントなメイクマネーと、
エクセレントなビューティーガールに向かう。
ミスコンで必ず名前が上がる、学年で有名になる、男子から告白が殺到する、『可愛いといえば?』で必ず名前が挙がる、そんなティーンエイジを送ってきた女性で、男性からのアプローチに過剰に逆上する女を私は見たことがない
路上でいきなり失敬する対象はそういうクラスを狙うべきである
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。