奴隷みたいな尽くしてくれる女に結婚せがまれない限り、結婚はするな!

奴隷みたいな尽くしてくれる女に結婚せがまれない限り、結婚はするな!

結婚と就職は似ている。就職と言うのは、社員の平均年収が2000万弱のエリート企業に就職するような人生であれば勝ち組であるが、大抵の人にとって会社に雇われて働くと言うのは地獄でしかない。結婚も同じ。美男美女が結ばれる、家柄の良い男女が結ばれるのであればわかるが、大抵の世の中の結婚なぞ、上流階級の真似事でしかない。劣化版、下位互換の真似事だ。キムタクの髪型を真似すればイケメンになれる、赤西仁の髪型を真似すればイケメンになれる、コムドットヤマトの髪型を真似すればイケメンになれる、The North Faceの服を着ればイケてるように思われると勘違いしている連中と同じようなことである。本人たちはそれでイケてるつもりだ。結婚もそのノリで行われる。ウェディングハイに陥っている男女のお熱感を見ればわかるだろう。周りが見えない究極の自己満である。

大抵の人にとって結婚は不幸でしかない。妥協の末に、微妙な相手と結ばれ、そこに多大なコストを支払うことになる。これは就職活動においても同じことである。たいていの人間とって、仕事と結婚相手は、妥協の産物である。それでありながら、多大なコストをかけて、一生懸命働いている。尽くしているフリをしなければならない。猫をかぶらなければならない。相手方がある行為だから、責任もあるし、配慮が必要になってくる。これが仕事と結婚の闇である。価値の低い人間は、人生360度においてとことん疲弊することになる。これは妥協の選択肢だからと開き直って悪態をついていたりすると立場がなくなる。

だが唯一例外的なものとして、自分に尽くしてくれる奴隷のような女と出会ったら結婚してもいいだろう。相手がこちらに対してぞっこんで、徹底的に尽くしてくれる場合だ。それ以外の微妙な女と結婚して、相手や、相手の家族との付き合いに疲弊しながら尽くしていく人生は最悪である。繰り返すが結婚も就職も、上位の恵まれた人間にとってはする価値があるが、大抵の人間にとっては価値は無い。

 

総合職平均年収1800〜1900、時給日本一8000円台の三菱商事リーマンと、その辺のわけわからないブラック中小商社は違う。女子アナクラスの美女と結婚して胃袋、金玉袋に徹底的に尽くされる幸せな結婚と、微妙な顔面なのにわがままでうるさい女と結婚するのはモノが違う。劣化版なのだ。世の中の人間は、雑魚のくせに上流の真似事、劣化版をトレースするから悩む。そしてそれで自分も一人前の人生を送ったと勘違いする。中流と下流はいつもアッパーミドルの真似事をしようとする。

鏡と履歴書と給料明細と銀行残高を見ないまま、結婚は幸せなのか否かを延々と一般論の次元で迷っているやつははっきりって馬鹿である。くそ雑魚ニートが、就職活動時期を前にして、働くことを抽象的な次元でいろいろ悩んだり、就職する事は幸せなのか正解なのか、と悩んでいる事と同じである。ニートが、セミリタイヤした人間、資産がある人間が働いてないのを見て、俺も働かない、働いたら負け、俺は正しい、これが勝ち組の生き方、とイキッでるのと同じようなことを結婚の文脈でやっている奴は多い。

 

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。