仮に、就活市場で熱弁されている企業理念とそれに呼応してうなづく就活生達の構図を洗脳としよう。さすれば学校教育も洗脳的であるし、親の教育だってそうだ。いい会社に勤めないとアウト、働かないとアウト、良い成績を収めないとアウト、、、、。そして、そのアウトがつきまくっていると彼女もできない。下手すりゃ友達もできないかもしれない。
大人になってできた異性のパートナーで、フリーターやニートを認めてくれる人はなかなかいないだろう。そもそも異性関係は異性としての魅力あってこそなんだけど、そこには当然、社会適性もカウントされている。世界中、魅力的な異性の条件には「社交的であること」がカウントされているらしい、そういう統計データを見たことがある。
そういう意味を含めても、異性から承認されるためには魅力が無いとダメだ。関係は構築できない、持続できない。これは結婚しても基本的には変わらない。失業して、荒れて、奥さんに愛想尽かされた人とか知っている。金の切れ目が縁の切れ目では無いけれど、職の切れ目が縁の切れ目になることはあると思う。
そういう意味で、パートナーとの関係も、魅力ありきだということがわかる。自分のことを理解してくれたり、受け入れてもらえるのも、当たり前だが相応の価値あってこそだ。価値を感じない相手に、わざわざ理解を示そうとしてくれる相手はいない。
こうやって考えると、無条件な承認というか愛は存在しないように思えてくる。学べ!働け!魅力的であれ!親を落胆させないキャリアを歩め!という風に、四方八方から圧力がかかるのが人生。四方八方から洗脳的メッセージが飛び交ってくる。それらについて、迎合しないを四方八方で徹底すると、最終的にはヒッピーになる。社会生活が安定しなくなる。
・・・・・・・って考えると、まぁ、ある意味生きるってことは悲しいことですね。
生きるって条件つきなんだ、ってすごい感じちゃう。
だから、定期的に、戦争映画でも観ることでご飯が食べられることのありがたさを実感しないといけない。私の場合は、飢えとの戦いをリアルに想像し、震えた時代もあったから、割と飯が食える喜びを感じられてる方かな。
ま、結局、人間は「どっか」で「どこか」に迎合・接続しないとダメですね。
結局は、何かを「呑まないといけない」わけだから、そういう意味で、洗脳をパーフェクトに回避することは不可能だ。
結局、この世界には説得的メッセージと無関心しか存在しない。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。