【本音で語ろう】@5:数は怪しい

 

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@怪しい儲け話
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簡単な儲け話に飛びつく人ってまだいるんですねー。

たまに、昔登録したメルマガから「怪しい儲け話」の案件が飛び込んでくるんですよ。興味本位でクリックしたら、

「即金!現金バラマキキャンペーーーーン!!」

みたいな・・・・・。

 

怪しすぎる・・・・・。

 

え?

お前が言うなって?

 

た、確かに。

ダメですよ、こういう怪しい人の話を鵜呑みにしちゃあ。(うふふふ)

 

でも、私がお伝えしているのは、「マーケティング」というプロフェッショナルな技法の中で、あなたの経済状況を「最もドラスティックに変える」であろうパートについての情報提供です。

私がリエンジニアリングし、パッケージ化してお伝えしている。

 

私がお伝えしているのはあくまで「フォーミュラ」。

あなたは、それに沿って、自分の「知識・知恵」「経験」「時間」「労力」「お金」といった経営資源を投下し、独創的なビジネスを作っていく必要があります。

 

恐れる必要はありません。

大げさな話ではありません。

 

現在、ブログやYoutubeなど、ゼロコストでトラフィックを集められる空間がWEBには存在します。

そこで、自分の空間(お店)を開いて、あなたのオリジナリティが反映された世界を構築していけば良いのです。

 

そして、そこに集まって来た人に、リストを提供してもらえるようにしましょう。

 

情報発信のテーマは何でも良いです。

数学でも、歴史でも、世界史でも、資産運用でも、物理でも、筋トレでも、デートでも、釣りでも、ファッションでも、移住でも、人生論でも、哲学でも、コンプレックスでも、ガジェットでも、クッキングでも、ペットのしつけでも、ボードゲームでも、アイドルでも、ゲーム開発でも、速読でも、武道でも、仮想通貨でも、ギャンブルでも、麻雀でも、モデルガンでも、テレビゲームでも、読書でも、資格でも、就活でも、転職でも、英語でも、受験論でも、ゲームでも、プログラミングでも、簿記でも、キャバクラ効力法でも、全国ご当地ラーメン情報でも、何でも良いのです。

あなたの「好き」「得意」を反映させて下さい。
(ここがポイントです)

 

あなたの発信する内容が、「面白い!」と思った人が、どんどん集まって来ます。

いわば、自分の図書館を作って、自分の図書を並べるような感じです。

つまり、店舗設計も、その中にあるコンテンツも全部、自分オリジナルのデザインなわけです。それを、ローコスト、ゼロコストで実現できてしまいます。人を呼び込み、人を楽しませてあげて下さい。

価値を提供するのです。

 

集まったみんなを、喜ばせたり、元気付けたり、学ばせたり、刺激したり・・・・・・・。

 

あとは、キャッシュポイントとして商品を配置しておくだけ。

他社商品広告でもオーケーです。

すると・・・・・・、あら不思議。

本当に収益が発生してしまいます。

 

最近のビジネスモデルは蔦屋書店のように、価値ある読書空間を提供して、書籍販売と飲食物提供、文房具販売で収益を上げるなど、かなり複合化していますよね。

そもそも、TSUTAYAさんなんかは全国の個人書店を駆逐した歴史があるでしょうが、「書店・文房具・レンタルビデオ・CD」と見事なMIXだったのです。

 

だから言っておきます。

「何でも良い」のです。

 

一番やっちゃいけないのは、手垢がつきまくっているものを、実力も実績も無いのに劣化コピーしちゃうパターン。猿真似パターン。ほとんど失敗します。仮にそんなことをやって少しでも収益化に成功してしまうと、そこから抜け出せなくなるでしょうが、どんどん人生が狂っていくことでしょう。それが何故か、というのは言わないでおきます(少し考えればわかると思いますケド)。

 

もし、あなたがオフラインでビジネスを提供している事業者さんであれば。

見込み客のリストを集めて、そこに対して魅力的な情報発信を続けていれば、来店頻度や注文確率は上昇するでしょう。

 

独創性を発揮する余地こそが、あなたの収益の源泉になります。

 

・・・・・。

私が言っている「簡単」と、世間の怪しい儲け話が言っている「簡単」は、本質的にちょっと、ワケが違います。

 

少し考えてみてください。

「誰にでも簡単に儲かる」

「easy money」

「最初から完全自動収入」

なんてのは、資本主義の原理に即して考えればどう考えても「オカシイ」のです。

 

ありえないことなのです。

自分にとって簡単なことは、他人にとっても簡単なことです。easy moneyはそのうち続かなくなることでしょう。最初から完全自動収入というのもありえない。

 

独創性、難易度、資金、労力、時間、スキル、リスク、、、、、、

本当に稼げる話には、「何か」が要求されるはずです。

私がしているお話は、おそらく、「絶妙な塩梅」です。

 

私がお伝えしたフォーミュラに沿って、あなたがアクションし、作り上げたビジネス。

それは、「あなたオリジナルのもの」です。唯一無二です。

しかも、続けていればそのうち、勘所がわかって来るでしょう。あなたには、立派に情報発信スキル、リストマーケティングスキルが付くのです。

 

年々ネット広告費が上昇する中、企業にとっても情報発信を軸にした、リスト・マーケティングができる人材の価値は高いです。

だって、歯医者さんがオウンドメディアを立ち上げ、リストマーケティングしている時代ですからね。

もし、あなたが実践を通してスキルを磨けば、売上や集客に困っている事業者さんのお手伝いができるでしょう。就職にも活きることでしょう。

 

そう、お気付きでしょうか。

実は私、かなり「オイシイ」ところを抽出しているのです。

ビジネスを非常に簡素化し、補助輪をつけまくってあなたの目前に差し出しているのです。

 

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そういう意味で、「簡単」、ということですね。

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ただし、ちょっとコツがあります。

ビジネスとしてリスト・マーケティングを行い、それを専業でやっている人はそんなに多くありません。収益採算が取れているところも、そんなに多くないはずです。従来の事業に組み合わせてリスト・マーケティングを展開しているところも、どこかお堅い印象でワンパターン化しているフシがあります。

ビジネス臭いんですね。

 

あんまり、肩の力を入れないことです。

楽にして、個人らしさを存分に発揮するべきです。ウォーレンバフェットのような個人投資家は、ファンドマネージャーと違ってカネカネする必要がありません。毎打席、バットを振る必要が無いのです。

個人ブログも同じことです。

ただただ、自分の興味関心を注げば良い。これまでに好きだったことを反映させれば良い。周りの人たちがそういうことをしていないからこそ、そうするべきです。

すると、価値が宿り、人が集まってくることでしょう。

 

私は、マーケティングという世界の中で、あなたの希望を叶えるであろう最も美味しい部分を抽出し、武器としてお伝えしている。

あなたは、これまでに培って来た、「あなた」という元本を用いて勝負するのです。自分の経営資源(リソース)を投下して、オリジナルなビジネスをつくって下さい。

ビジネス、と聞くとびっくりしちゃうかもしれませんが、要するに「食い扶持を得る仕組み」を作るのです。キャッシュフローを得る仕組み、マネタイズの整備をする。

 

なぜ、

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<1>見込み客リストを集める

<2>見込み客リストとコミュニケーションをする

<3>見込み客リストに販売する

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というリストマーケティング・フォーミュラが強力かわかりますか?

 

先日、私のオフィスにクレジットカード会社から「こういう商品いかがですか?」みたいな通知が郵送で届きました。また、以前購入した高級ブランド服の店長から「いかがお過ごしでしょうか・・・・この度、新作が・・・」みたいな葉書も届いていましたね。あ、あと、歯医者さんからも「定期検診の時期がやって参りました・・・・」だそうです。スマホを開けば、Amazonさんから「あなたにオススメ・・・・・」という通知が。

 

お分かりでしょうか。

この人は購入するだろうな、という人のリストを集めて、そこにセールスをかけた方が効率が良いわけです。だって、そのお客さんは自主的にアクションしてきたお客さんですからね。しかも、そういうお客さんと、頻繁にコミュニケーションをとっておけば「忘れられる」ということを避けることができます。何より、お客さんの目につく回数を増やしておけば、買ってもらえる確率も上がるわけです。もし、そのコミュニケーションが、お客さんに価値を与えるものであれば、お客さんは楽しみに待っていてくれますし、購入意向も上がるはずです。

 

セールスに苦手意識を持っている人は多いです。

 

しかし、基本的に、

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ショッピングは楽しい!!

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のです。

 

人は売り込まれるのは嫌ですが、買うのは大好きなのです。

マーケティングは、そんなお客さんの気持ちを理解した上で、売り込まずに売ろうとする営みです。だからこそ、

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<1>見込み客リストを集める

<2>見込み客リストとコミュニケーションをする

<3>見込み客リストに販売する

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が重要なのです。特に、<1>と<2>が大切になります。

 

きっと、この話を聞いて「ピン!」と来る人は、営業経験者か、もしくはナンパがうまい人です。笑

 

言わずもがな、

・自分ができることの中でなるべく難しいことにチャレンジした方が良い

・時間やお金をかけた方が良い

・面白い経験を持っていた方が良い

・人の真似をしない方が良い

というようなことはポイントになります。

 

あなたが、実際にリストマーケティングのフォーミュラに沿って、お金を稼げるようになれば、もうこの情報発信はお役御免、、、ということになります。

SAYONARAベイベー、ですね!

 

・・・・。

稼げるようになったら、何がしたいですか?

 

オススメは、「ご飯を食べること」です。

お給料ではなく、自分で市場から稼ぎ出したマネーで食べる飯。

 

格別にうまいですよ。

感動しますよ。

人生変わった、って思うでしょうね。目の前の景色が、激変して見えるはずです。

 

全身に味が染み渡って行って、プルプルと震えながら泣いちゃうかもしれません・・・・・。

 

私が人生変わった!と過去感じたランキングは以下です。

1位:自力で稼げた、自力で稼げるスキルがついた
2位:初めて働いた時
3位:自己投資
4位:頑張って働いた金でたくさん消費
5位:親や故郷と離れる、人間関係の整理
6位:ツーリング
7位:ペット
8位:旅行・レジャー系、スポーツ観戦・スポーツ
9位:風俗
10位:外国の世界観に触れる、語学

 

個人的に、あんまり人生にインパクトなさそうなもの一覧は以下・・・・。

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大学、受験・資格、高い家賃、車、SNS、学校の先生とのコミュニケーション、交流会の類、飲み系全般・・・・・・・・

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↑ここら辺で、がっつり、
時間とお金とエネルギーを取られてる人多いですよね!

 

「恋愛」とか「ファッション」、「学問」、「ゴルフ」はケースバイケースかな!

「肉体改造」「美容整形」「歯科矯正」「アメリカの超一流大学卒業」「大型二輪取得」「レーシック」「宗教」「楽器」「サバゲー」「youtuberになって成功する」・・・・とかは人生変わりそうですよね!!

 

 

 

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@閑話休題
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HIS会長、ハウステンボス会長の澤田さんの「運をつかむ技術」という本を読んでいました。めっちゃ良い本ですねーー!!

サマライズします!

 

・失敗しても、命は取られない。財産を失っても半身をもがれるわけでは無い。そう思えば、ほとんどのことは問題にならない。やらずに後悔して死ぬより、チャレンジせよ。

・チャレンジには危険が伴うが、チャレンジをしないと新しいものは手に入らない。

・失敗をすればするほど成功に近づくとわかっていればどんどんチャレンジできる。

・失敗が次の大きな成功の土台になっているという構造がほとんど。

・命に危険がない、法や人倫に触れないチャレンジはすべて勉強になる、取り返しがつく。

・やれる、やれないはさておき、心からそうなりたいと思うものがあればイメージが湧いてきて、本当に現実化させるヒントが降りてくるから、最後まで信じ切るのが重要。

・運には2種類ある。自分ではどうにでもできない運と、自分でコントロールできる運。暗くなり、元気を失うと、自分でコントロールできる運を向上するチャンスも失ってしまう。自分で変えられる運を上げる。

・物事にはサイクル、波動がある。良い波が来ているところに思い切ってワープせよ。

・元気ややる気があれば、能力に問題があっても1.2倍の仕事ができる。何があっても、元気で明るくやっていれば成果が上がり、結果的に自分を救うことになる。

・ネガティブなことばかり言う人には近づかない。自分にどれだけ幸運が来ていても、助けられる運が悪い人はせいぜい1人。

・絶好調なら揺り戻しがあることをわかっておく、絶不調ならそれが去るまで体力を温存する。

・絶不調の場合、耐え忍ぶのではなくて、思いっきり大きく打って出る方法もある。その場合にはとにかく遠くへ大きく打って出ること。度胸と勇気が必要。

・1年しかやらないのなら最初からやらない方が良い。独創性あるビジネスであれば、最初の1年は苦しくとも3年やれば花開く。

・もし3年頑張っても花開かない場合は、もう一度よく考えて、綺麗サッパリやめることも視野に入れる。3年やってもうまくいかないビジネスは、ビジネスモデルを間違えているか独創性に乏しい場合が多い。

 

うわー!!めっちゃ勉強になります!!

この教えに従います!!

「運をつかむ技術」、好きです。オススメ。

 

澤田さんの人生ストーリーって本当に素晴らしいと思いませんか?

旅をして、そのまま起業して・・・・。

波乱万丈の人生!!

 

こういう刺激的な本には、本当、人生を豊かにしてもらえますねーっ!

そう思いませんか?

 

 

 

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@俺の哲学
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私の学校教育に対する「毛嫌い」が始まったのは小学校1年生の時です。

理由ですか?

すべての学問の基礎である数学の、
さらに下支えをしている算数について、
しょっぱなからつまづいたからです。

 

1+1がわからなかったのです。

・・・・・・マジで。

 

・・・・・ひくでしょ?

マジでわからなかったんです。

 

そりゃあ、落ちこぼれます。

 

いってみれば、その先の学校教育の過程は、

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土台が不安定な積み木の上に、

ひたすら積み木をしていくような心境

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でした。

 

でも、好奇心旺盛で「ゲンキンな少年」だったのも事実。

我慢して算数を覚えれば、買い物が便利だったからね。

 

実社会との関連性、つまり「実益」が見えたら我慢して覚えられました。

だから、小学校6年間と、中学に入ってしばらくはずっと学年トップクラスでした。

 

ガラガラガッシャーンと崩れたのは中学校2年生ぐらいの時です。

 

そう。

繰り返しますが、私は

・・・・1+1がわからなかったのです。

 

マジで。

すごい頭悪いでしょ?

本当に、焦りました。

 

・・・・・。

小学校の最初の最初における足し算教育の世界は、

石とかおはじきを先生が持ってきて、

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先生:「良い子のみんなぁ?先生の右手に1個の石がありまぁ〜〜〜す!、左手にもう1個の石がありまぁ〜〜〜す!合わせて何個ですかぁ〜〜〜?」

みんな:「2〜〜〜〜!!」

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という風景で教育が始まります。

 

私はそれがわからなかった。

足せないと思ったんです。

 

なんでわからなかったかというと、

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「このおはじき、それぞれ形質・質量が違くね?」

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って思ったんです。

 

おはじきみたいなバラつき(形状・質量の個体差)が大きいものではなく、なるべく同質・同形のものを持ってきて説明されたとしても、

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「それって人工物でしょう?」

「もともと自然界にそういう同質・同形のものって無いでしょう?(石も木も犬も人間もバラバラ)」

「バラバラのものも足せるとしたら、蟻1と太陽1を足して2になるけれど、もはやその足し算は何なのか?どこに共通要素が見出せるのか?」

「なんで1+1=2なのか?そもそも1とは何なのか?」

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という疑問を抱いていたのです。

 

で、究極的には「数」とか「足し算」は妄想だと思ったのです。

それ、妄想だろう、と。

 

なんでもありじゃねぇか、って。

 

つまり、それって全部、「人間の勝手な妄想なのでは?」というのが私の当時の疑問でした。

数=妄想、みたいな感じだったんです。

妄想なら、別に「1+1=3」でも良いだろう、と思っていたのです。

 

・・・・・・やばいでしょう。笑

 

例えば国語や社会の場合は、

人間や人間社会のファジーなものを取り扱っていて、

アバウトなものを前提として進んでいきます。

ですから、「正解」といったものにある程度「幅」があるように感じられた。

 

しかし、数学にはそういう余地を感じなかった。

 

私の偏見ですが、国語や社会の先生というのは、
授業内容も先生の人柄も、

「生徒や生徒の回答を、広く許容する幅」

のようなものが感じられたのです。

 

しかし、算数や数学はまるで

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「不正解は許さない、絶対解は1つである」
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というようなスタンスで
淡々と話が進んでいくように感じられた。

寒い、冷たい、と感じた。

 

しかも、算数や数学の先生になるような人って、その世界の魅力に魅せられている(特に数学はそう)。授業しながら、ドーパミン出てるんですね。

授業しながら、数学の恍惚感に浸って行く感じ。授業についていける数学好きな生徒たちも、そういうところがある。

私はそこに、カルト的な気持ち悪さを感じていました。

 

もし万が一、当てられた場合。

間違えたら、

「はい、お前間違いーー、ブッブーー」

みたいな。笑。恥をかかされるみたいな。笑

 

余談ですが、(私は違いますが)これまでの経験で周りを見てきて思うのは、英語が(感情的に)大好きな人は、数学が(感情的に)大嫌いな人が多いように感じます。

あれですよ、優秀じゃない生徒の世界で、ですよ。優秀な生徒の世界はどの分野も点数が高いので・・・。

 

日本人で、

「感情がこもったように英語好きを語る人」

っていうのは、だいたい、アメリカ文化への憧れとか好意があるわけです。「英語=アメリカ」みたいな。

で、いずれ留学してアメリカ人と結婚したい、みたいな人も多い。

アメリカ文化といえば・・・?

ダイバーシティ。自由。開放感。ある意味、いろんなものがOKだよ、という許容性がある世界です。実際そうかどうかはさておき、そう夢想している人が多い。

そして、英語はそこにアクセスするチケット。パスポート。ツール。

他方の数学は、「これ!」って決まってる。多くの授業では「これ!」っていう狭い道が決まってる。少なくとも、苦手な人にはそう見える。細〜くて長〜くてしっかりと積み上げられた道ががっちり決まってる。だから、私の周りでは、

「英語に対して情熱的な好き」を語る人ほど、

数学に対して

「怨念がこもったように嫌いを公言する」

人が結構いたような気がします。

 

学校教育の中においては、学問的コンテンツの中で、
正解・不正解がつけられ、点数・評価が与えられ、
優劣がつけられてしまいます。

すると、自尊心や自信に影響を与えますね。

将来行ける大学・・・とかになってくると、
経済性にも影響してくる。

極端な話、将来の豊かな生活、モテ、遊びの可能性・・・にも関係してくる問題です。

たかが科目・・・・で済ませられない。

だから科目というのは

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アイデンティティに関わる問題

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なのかもしれませんね。

 

だって、数学者とか、

数学の難題に病んで鬱になったり、自殺しますもん。笑

自分と重ねすぎでしょう。ね。

 

今思えば、私は算数や数学を誤解していました。

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当時の私の頭の中には、

「概念」という「概念」が無かったんでしょうね。

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概念という概念がわからなかった。

「僕は見たものしか信じない」みたいな奴だった。

 

見たものしか信じられないのであれば、

見たものに反応することしかできません。

知的付加価値を生むことができません。

ずっと今の延長線上でしか思考展開できません。

 

「概念(concept)」がわからなかった。

概念の実益がわからなかった。

数学や算数が、そういう世界だという本質を知らなかった。

 

私の数学に対する苦手意識は、
以後大人になるまでずっと続いていきました。

 

しかし、ある時点から数学を再評価し、カムバックするようになったのです。

・・・・・・なぜだと思いますか?

 

もちろん、今でも数学は苦手です。

ほとんどの学生、社会人より数学問題への解法力は低いでしょう。

 

しかし、私はビジネスを始めるようになってから、数学を頼りにするようになったのです。

 

ビジネスをやり始めてから、

ビジネスをやろうと決めてから、

人と違った道を歩もうと思ってから、

 

私は、

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未知なる道、真っ暗な道

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を歩んでいるように感じることが増えました。

 

真っ暗な道を、1人で、松明なしで歩くようになった。

見えない未来に向かって歩くようになった。

 

最初は、「自己啓発」とか「若さゆえの自己盲信」という松明で頑張っていたわけです。

でも、それじゃあ心許ない。

そう思って、いろんな松明を漁っては使ってみるようになった。

 

ビジネスをやっていると、現象・事象として浮かび上がっているものに対して、ひたすら対応しているだけでは根本的解決にならないシーンが腐るほどあります。特定の成果に向かって行動して行く際に、一体何をして良いのかわからない場面が腐るほどあります。一体何が原因かわからないが、なぜかビジネスの様子がおかしい、というシーンが沢山あります。

そうなってくると、

ーーーーー

見えないものを見ようする

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ようになってくるわけです。

 

お医者さんが触診をしながら人体モデルを頭に描いているように。

レントゲンで体の中を覗くように。

 

おそらく、私の情報を長い間取っている人、私の教材をご購入頂いた方は、私が「何を見ているか」について触れる機会があるはずです。だから、なんとなく言っていることがわかるかもしれませんね。

 

苫米地さんの本に、
こんなことが記述されています。

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*数学的思考とは、情報空間の中で物事をビジュアル化したり、構造化する能力を言う。物理空間から離れて、想像の世界である情報空間で自在に思考を展開、構築する能力が数学的思考力である。

*数学者は冒険家。

*日本の学校教育では既に解かれた問題を出し、
生徒は答えを出すことを義務付けられているが、それは少し問題あり。

*この世界は構造だったら構造という公理の世界があって、系があり、
それを形式論理で記述できる人を「理系」と言う。理系は学問の内容ではない。

*日本のビジネス書市場では、「数学=解法のツール、論理的思考をして問題解決をするためのツール」という捉え方がされているが、それは安易な捉え方である。

*迷路を階層化させて見たこともない構造物を作り出すのが数学的思考法。

ーーーー

 

もう、オチは見えたかもしれませんね。

そう。

私は実は、自然と数学的思考を現場の中で実践していたのです。

 

必要は発明の母と言います。

もともと数学は、人間が実生活の中で、必要性に駆られて発展させてきたものでしょう。

 

私も、見えないものを見るために、自然と概念で物事を見るようになっていたのです。

「概念世界=情報空間=数学的空間」ですね。

 

ビジネスを長くやっていれば、当たり前ですが「ずっと山勘」でやっていくのは無理です。特に、再現性ある成功力を手に入れるためには、山勘では無理。

となると、当然ですが、自分の中に、「理論」や「系」のようなものを構築し始めるんですね。で、それって言うのは、極論を言えば、「妄想っちゃあ妄想」なんです。

想像の世界ですから。

 

しかし、目の前にある現実から離れて、想像世界で思考を展開し、閃いたことを現実に降ろす。

現実に使えるアプローチを見つける。

本質を見抜く。モデルを見つける。

 

「抽象と具体の往復」と言い換えても良いかもしれません。

 

こういう思考はずっとやってきていて。

そして、これがまさに「数学的思考である」と。

数学分野で高い業績を持つ方がそうおっしゃってるわけです。

 

苫米地さんは、日本の書店で並ぶ

「数学的思考=解法のためのツール、論理的思考で問題解決」

という安易な数学への捉え方について
警鐘を鳴らしています。

 

実は、私も前々から、予備校講師や高学歴著名人の

「そーゆー言説」

に疑問を抱いていたんですよね。

 

私の中で、数学と実益との関連が見出せた瞬間・・・・というのが、過去、あった。ビジネスを始めてから、しばらくして、あったんです。

 

以降、私は数学的知見を拝借・応用して、ビジネスを見る際のメガネとして使うことが多くなりました。

要は、もともと自分が我流でやっていたことについて、数学的フレームワークを応用・適用することが増えた、ということです。

 

でも、自分で笑えるんです。

 

結局、ゲンキンな奴だなぁ、って。自分に対して。

自分が算数に対して疑問を持ち、嫌だと思ったけれど、かろうじて勉強していた時代。その時と、動機付けが全く同じなんです。

使えるか、使えないか。笑。

役に立つか、否か。

 

少なくとも、amazonは数学で儲けていますよ。amazonのレコメンド機能は数学的知見が応用された産物ですからね。あれでとんでもない売上を叩き出してるそうです。

ちなみに私は需要予測と売上予測、売上の因子分析と広告戦術で重点的に使っています。

 

ダイレクトマーケティングとDRM自体は算数ができれば十分にできますね。

 

文系にしろ、理系にしろ、

本質的理解ができるようになり、長く浸っていると、

ーーーーー

感覚(Sense)

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が身についてくるようになります。

 

文系には文系的センスがあり、

理系には理系的センスがあります。

 

実は、私が専門にしている「マーケティング」というのは、まさに文理交差的な世界です。

文理の交差点なのです。

 

人心の機微を理解できることと、情報空間における思考操作ができること。

もちろん、それが必要条件でも十分条件でもありませんけどね。

あれば良いよね!っていう。

 

昔、

「大学なんて行ってどうなるんだよ!!」

って思っていた時代の私、

「なんで大卒と高卒は給料が違うんだよ!!」

と思っていた時代の私に対して、今は一定の答えを出すことができます。

 

企業は、何もないまっさらな新人に対して、

「そういうセンス」があること、

あるいは、

「その下地がある」ことを求めているのだと思います。

 

特に、ホワイトカラーとなると。

はい、反省。

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。