経営者は人を見る仕事である。問題は、どう人を見るかである。
マーケティングも人事も、かなり人をプロファイリングして、セグメンテーションして、スコアリングしていると思う。でも、最終的に目指すゴールがあるのなら、そのゴール直結行動を見るべき。その前段階を探ろうとして、心理プロファイルをしても、結局、行動・結果・実績。
それをどれくらいスピーディーにやったか。
若くて、行動・決断が早くて、結果・実績が出てる奴は優秀。
反対は無能。
以上。
会社に入るとしても、気になるのは
- 人事評価制度
- それに基づいた評価・報酬制度
- 意思決定メカニズム
である。
コンピテンシー表を20、30と作って、それでリストに従って評価をする・・・・なんてのはくだらない。
ポテンシャルも、コンピテンシーも、最終的にはわからない。
結果、実績、数字しかない。
ビジネスには目標がある。業績目標がある。その目標に照らして、各部署・役割でまず、「3(5段階評価中)」を設定する。これが評価のスタート。数値化できていなければ、なぁなぁがスタートする。全ては数字で考えなければならない。
これは、全ての人事評価に言える。
人間評価に言える。
基準が必要だ。
誰がなぜ3ですか?誰がなぜ5ですか?こういった問いに答えられなければならない。
定性的な部分を消す。
全て定量化する努力をする。
わかりやすく数字・結果が出ないものであっても、それに向かう過程で期待されるKPIなりKSFについて「3」と評価できるものを設定したい。
3が設定できれば、4も2も設定できる。
何が3(=普通)なのかを定義したい。
問題は、評価のグルーピング、誰と誰を比べるか、だと思う。当然、新入社員やベテランを比べていては大変なことになる。
大事なことは前提を揃えること。
- 入社年次を揃える
- 職能や役割を揃える
みたいな風に母集団を合わせないといけない。その中で評価をする必要がある。
集団の人数は、理想は100人くらいが欲しい。
理由は、「上位●%〜」という百分率と綺麗に対応するからだ。
大体、マーケティングテストでも、100というのは非常に良いボリューム感になる最初の数字である。
問題は、なんでこんなことをするか、だが、「社会主義・共産主義的な悲哀を防ぐため」である。やはり、競争というシステムダイナミクスを仕組まないと、人間は腐っていってしまうのだ。また、企業組織は売上・利益といった数字を追っている。その数字の実現のためにはどうしてもこういったメカニズムが必要なのだ。
「明らかに勝てる」
集団に入れられた人は、余裕勝ちできるから成長しない。逆に、
「絶対に勝てない」
集団に入れられた人は腐ってしまう。
きちんと、評価の前提を揃える。揃えた上で、評価をする。なんのため?活性化させるためである。
つまり人の評価は、
- 年齢
- スタートしてからの歴
- グルーピングする集団
- 役割
といったものが重要になる。
つまり、出来る奴・できない奴の基準は、似たようなクラスタに入れられた中で相対的にどうなのかということだ。
全ては競わせるためにある。持ち出す数字も全ては相対評価のためだ。
実際に数字が達成できたか
以上に、達成すべき数字を掲げることによる、その数値を物差しとして使った同じ評価集団における相対評価を行う、競わせて序列をつけるためにある。
そして、ビジネスシーンでは、年齢や歴からは逃れられない。時間的制約からは逃げられない。
どんな世界でもそうだが、「時間」は重要だ。成果は「年齢」「かかった時間」で割り算される。
アートじゃないんだから。
アートと科学は評価に時間がかかる。広告やビジネスはすぐに成果を出さねばならない。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。