子どもを産まない(育てない)人間に、生きてる価値・社会的価値は無いのかについての論考

 

生物は、子孫を残すために生きている。

種の保存と繁栄が本能的要請である。

 

こう考えると、

  • 子どもを産まない
  • 育てない

という道を選ぶ人、選びそうな人、その路線に足を突っ込んでる人は価値がないように思えてくる。

 

果たして本当にそうなのだろうか。

 

もし、

産めよ増やせよ

が正義であるならば、それで社会も国家も繁栄する。家庭も繁栄する。

実際、それが機能した時代もあったが、今はそうではない。

 

Malthus - Essay on the principle of population, 1826 - 5884843

 

19世紀の段階で、マルサスが警鐘を鳴らしていたように、人類は、地球資源と、人間の繁殖バランスについて限界を感じ取っていた。

自然界において、動物が増えすぎると、生態系が荒れることがある。

人間も同様だろう、ということだ。

 

人間には環境改変能力、技術力があるから、なんや感や、危機を乗り越えて繁殖してきたが、さすがにもう、限界が見えてきている。

世界中の人がアメリカ・日本水準の暮らしを実現するには地球が数個分必要であるし、もう世界的な人口増殖にも成長鈍化が見える。

 

人間を増やすことが絶対善

とは限らない。

 

むしろ、人間のサステナビリティのためには、人を減らさないといけないフェーズがくる。

その渦中にいると、一定程度、家庭を持つ喜びを味わえない人たちが出てくるだろう。

だが、そういう中においては、社会経済のメカニズムの中で、「家庭を持つコスト的な負担(苦しみ・難しさ)」という形で、個々人の重荷になってくる。

 

家庭を持つのは面倒で大変そうだからいいや

となる人が増えてくるフェーズにおいては、やはり、社会や地球に限界がきているということである。

 

 

もしここで、

振り切ったらどうなるか、考えてみよう。

 

実は、2000年代後半〜2010年代前半くらいまでは、その当時の中年に、

案ずるより産むが易し

的な発想を持ってる人がたくさんいた。

日本が韓国に抜かれるわけないじゃないか

という人は8割ぐらいだった。もっといたかもしれない。

 

しかし、その当時の勢いで突っ走った人たちの子息が、

  • トー横キッズ
  • グリ下キッズ
  • ドン横キッズ

であった。

こういうスラムの子供たち、みたいなのは昔はなかった。新大久保の立ちんぼの姿や、日本女子が海外渡航売春で海外に警戒されるなんて、2000年代、2010年台にはなかった。

ドバイ案件が話題になることもなかった。

 

もともと日本は貧困国で、明治・大正あたりは、海外渡航売春なんかはザラにあった。言い方を変えると、それくらいの「元来の姿」に回帰しつつある。

事実、今の日本の人口減少ムーブは、日本という国が始まって以来のはじめてのトレンドである。

2008年以降、日本は過去1700年間に起こらなかった未曾有の事態に直面している

 

 

世の中の大きな流れ

というものが起こってる時、その渦中にいるミクロ単位で人々は、個々人の感想、お気持ち、価値観を吐露する形で、

「それっぽい理由」

を述べる。

 

例えば結婚したくない、子育てしたくない理由を、

  • 自分のライフスタイルに合わない
  • 自分らしさを大切にしたい
  • もっと遊びたい
  • 余裕がない

などといったように。

しかし、ズームアウトして、マクロで俯瞰すると、それは大きな時代の流れなのである。その中で、あたかも「自分で感じた・考えたつもりのお気持ち」を吐かせられているだけであって、時代のうねりによる必然でもある。

 

ミクロのマッチョ論、自己啓発的に言えば、

やはり、

一定の年齢になって子どもを産まない、育てない、そういう大人は価値ない、不審者

というのはその通りだろう。

どの時代でも、子どもを産み育てる人たちはいる。

苦境の時代になると、むしろそれは上位ステータスにもなる。

勝ち組はその営為を続ける。

 

だから、渦中にいる一般人は悩んでしまう。

 

 

だが、

社会全体の流れとして、

「子どもを産まない=人口をセーブする」

というのが、社会に、地球に優しいタイミングというのは来る。

 

私たちは限られた資源の中で暮らす生き物であり、

繁殖しすぎたら、

揉めることが増える。

息苦しくなる。

 

 

日本は世界トップクラスで人が多い。

何回も言っているが、日本は「(1)貧乏子沢山」か、「(2)命のリストラ=欧米化」の二択を迫られている

 

アジアで早く文明開花したことと、第二次世界大戦で本土荒廃がヨーロッパと比べてマシだったこと、戦後アメリカサイドに入ってその恩恵があったこと、そういう「貯金」があって、ここまできた。

しかし、これだけの人口を、これだけの生活水準で養ってる国は稀である。

 

自然の重力を考えれば、

みんなで貧乏になるか、

少数精鋭型に人口を減らして生活水準を維持するか、

どちらかの末路が待っているのは基本基調である。

 

 

はっきり言えば、

普通の所得・普通のレベルなら繁殖は無理ゲー

というフェーズに入っているのだ。

 

だから、

  • 結婚できない
  • したくない
  • 子ども欲しくない

となるのは、自然な流れではある。

 

 

問題は、

本当は幸せな家庭が欲しいのに

無理してそう思っていないか、ということだ。

 

もし、幸せな家庭形成を考えているのであれば、それを妨げている状況と、今後の未来を俯瞰して、対策をした方が良い。

 

早い話、

「上位20%ぐらいの勝ち組」

にならないと、しんどいのである。

 

関関同立GMARCH以上を出よう、

課長クラス以上にはなろう、

年収600〜800万円くらいは稼ごう、

それぐらいのことをやって、

そこではじめて、本当に子供が欲しいのか否かを悩めば良い。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。