カフェに行くお金が無い貧乏な人へ

アシタノワダイを観て思ったのですが、どうやら世の中には、

『どうしてこんなにお金無いのぉー?どうしてみんなカフェに行く余裕とかあるのー!??』

などと思っている貧乏な人がいるようです。

 

結論からいうと、カフェはブルーカラーの来る場所じゃありません。高卒以下が来る場所じゃありません。特に、スターバックスなどはそれが強く言えます。

 

基本的に、カフェはホワイトカラー層のためのものです。勉強が必要だったり、デスクワークが必要だったり、脳内リフレッシュが必要な人のためのものです。頭脳パフォーマンスで、給料が変わる、立ち位置が変わるような人のためのものです。

アイデア出ししないといけない人です。アウトプット、インプットが必要な人。

運送、介護、警備、小売現場、3K仕事、薄給一般職、派遣労働者、工場労働など、決まった時間の労働をこなせば決まった給料がもらえるような労働職、日頃から学習の必要が無い職業の人たちのライフスタイルと、カフェ文化はフィットしません。

 

社内で資料を作らされるけれど、その資料のドラフトに自分の考えを入れる機会が無いとか、プレゼンする機会が無いとか、自分で企画出さないといけない、自分の考え・アイデアを出さないといけない、独自の計算や推定をしないといけない、そういう必要性が無い人たちとカフェ文化は無縁です。

ブルーカラーでも高度な専門性が必要で、パソコンやデスクに向かってシコシコやることがある人なら、全然良いでしょう。

 

職業とライフスタイルは関係します。ディッキーズやティンバーランドなどのブランドは、肉体労働者に支えられて来ました。女子高生のセーラー服は、襟の部分を立てて音を聴こえやすくするための機能を水兵に使われていたもの。つまり、軍用だったわけです。

ものごとにはルーツがあります。カフェ文化はおフランス🇫🇷やおイギリス様🇬🇧が発展させて来たものです。ええ、露骨な階級社会です。

 

スターバックスのハワードシュルツは、都会的ハイテンション労働に疲れた人に、家というローテンション空間との間にあるクールダウン空間が必要だろうという考えでスタバを設計しています。

六本木ヒルズの頂点にあるゴールドマンサックスには社員専用のスタバがあることでも有名ですが、要はそういうことですね。

鳥取に長らく出店が無かったのは、その構想に合わないからでしょう。

もちろん、スタバの利用用途やポジションは日々動いています。スタバに関しては、『高い!』『安い!』と様々な意見が飛び交いますが、日本人にはこの『階級』というものに対する意識が低すぎるため、日本人はみんな同じ括りだと考えてるのです。

 

もはや日本は階級社会です。

 

それではごきげんよう。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。