ジャニーズを辞めた後、成功するのはどのくらい難しいのか?

もし仮に、嵐がジャニーズを辞めてしまったとする。

すると、過去の嵐としての楽曲、歌詞、全て使えない。事務所がおさえているから。そして嵐というグループ名も使えなくなる。

楽曲、歌詞、舞台上の演出など全てやらないといけなくなる。テレビなどのマスコミの上ではジャニーズ元メンバーと絡めなくなる。

何より、自分たちでマーケティングしないといけない。それは、方向性を決め、集客から何から、マネタイズまで全部やるということだ。もし他人を雇うとしたら、それを統合的にマネジメントする必要がある。もちろん、どっかの会社に委託することはできるだろうけれど。

ジャニーズの中であれば、若手に絡ませたり、裏方に回したり、若手が稼いだお金を給料として配分できる。たぶん、給料と歩合の両方のはずだからね。ジャニーズは育成から、歳をとった後の面倒まで見れるはずだから。

こういうシステムからも外れてしまうことになる。

赤西先生の場合は、強烈にやりたいことがあった、好きな音楽性があったのだと思う。今は作詞作曲も全部自分でやっているだろうし、エンターテインメントを全部自分で創りたかったのだろうね。振り付けから、舞台演出から、とにかく何もかもを。

どれだけ知名度があったからといって、音楽性やスタイルを変えてファンがついてくる保証はどこにも無い。少なくとも、過去の赤西先生を知っている人と、今の赤西先生を知っている人では、全く違うように見えるだろう。でも、それが結局のところ、ジャニーズマジックだったのか、赤西マジックなのかということである。

 

PS

ジャニーズって、だいたいライブでソロ曲とかやるのがお得意なんだけど、赤西先生の場合、『Love juice』っていう曲があって、あれのパフォーマンス別格すぎてワロタ覚えがある。その当時からやりたいことがはっきりしてたのでしょう。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。