世界に対する嫌気で死を選んだのなら、死後のリアクションもきっと全部嫌に決まってる

世界に対する嫌気で死を選んだのなら、死後のリアクションもきっと全部嫌に決まってる

どれも全部的外れだろうと思えるからサヨナラできるのだろう

この世にとどまる理由となる、心に橋をかけるものがないのだから

社会的評価・賞賛を受けていても死を選ぶなら、別の軸で何かがある、当人にしかわからない何かがある

未来を悲観して終わらせるのであれば、この先に絶望してることになる

若いうちにやらなかったのなら、若いうちはまだマシだったことになる

家族や友人に助けられなかったのであれば、また別の軸がある

 

俺が思うに、女優みたいな「美」の世界で生きてきた人間は、美が枯れていくサマを世間に晒すより自分で綺麗に終わらせたいみたいな引き際の発想を持つ人間がいても全然おかしくないと思うし、これまでの歩みやその路線、そして将来や未来に希望が見えないを仮定にするとなんとなくアタリはつきそうな気はする

 

デレとか甘えをしたいけれど(ムコ殿の演技はあれはガチで要素を持ってないとできない気がする)、できないみたいなタイプの人にありがちなものを持ってたんじゃないかと勝手に思うが、常に素の自分ではなく別の自分を立てることで生きてきたみたいな傾向があると思う

すると、外と内の精神の乖離が大きくなる

外の自分に対してついてきた評価賞賛、その全てはあくまで外面の自分

内の自分に対してついてきたと思われる家族もナニカチガウと感じられた時、きっと人は、深淵に孤独を抱えることになるが、その孤独は家族がそばにいるからこそより強調されてしまう。そして外面の自分の行き先を案じた時には、多分目の前がブラックアウトすると思うね、将来が黒塗りに見えてしまう

 

有終の美を意識する性質は己を苦しめる

でも40年生きられたら十分じゃないか、とも思う。

世間は40から新たに恋することもキャリアを変えることも厳しくブロックするのだから、決められたレールの上をなぞるだけだと悟った人間がその先行きを案じてしまった場合、そして周囲からの期待、責任、与えられた義務、評価、そういうものでがんじがらめになる中、「ただただ逃げられない」という状態で、瞬間的に飛び降りてしまいたくなる・逃げたくなることは誰だってあるだろう。

 

じゃあ後40年生きたところでなんなんだ?

という発想に達する人が選ぶエクストリームな手段がこれでもあると思う。

人は未来が見えないことより、未来が見えてしまってる時の方が苦しいと思うね。

 

事後に

  • 助けられた
  • ああすればよかった
  • こうすればよかった

と騒がれてるもの全て見越した上でダメだと思った人間が決行するのだろう。

まるで、自死した人間を見下ろすような発想で、矮小な発想でやったと思われるかもしれないが、実際、矮小な発想で自殺を考える人間は後から反省するからやらないんだよ。あの時は気が狂っていた、ってね。

 

聡明なる確信をもとに実行される。

 

死後の世界で飛び交ういい加減な綺麗事や浅薄な対処法の全てが嫌だと思うから死ぬんだよ

「ご冥福を・・・」

程度なら良いが、

「こうこうこういうサポートシステムが必要だ」

みたいなのを言えばいいと思って、綺麗事を言ってるような人間の思考回路では追いつけない境地があるから決行するんだ。きっと。

 

死にたいわけじゃない、なかったことにしたい、とかね。

死にたいわけじゃない、ただやめたい、とかね。

 

社会がこの世に「愛がある」なんてうそぶいてそれを結婚みたいなクソ制度と結びつけたりするから一定数犠牲者が出てくるんだ。愛と平等と平和を辞書からdeleteして、欲望と生物学的システムによってプログラミングされた人間たちの集合社会と、そこの底で走る資本主義のシステムに対してただただフラットに向き合って、無様を晒しながら裸で生きてると苦しくはならない。

・・・・・・と、私は思っているわけだが

 

弱すぎて死ぬ場合もあるが、

頭が良すぎ・天才すぎて、居場所がなくて死ぬ場合もあると思うぜ

 

生きづらさには、頭が悪くて生きづらい、と

頭が良くて生きづらい、があると思う

 

良くも悪くも世界は全体最適されている

自分に特殊最適されていない

 

愛を探す作業は特殊最適を求めている

これは危険だ

 

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。