処女に愛されるよりも、ビッチに愛された方がキュンとする

処女とビッチの決定的な違いはなんだろうか。 それは、「終わり」を予見しているかどうかだ。 処女は、他を知らない。 そして、終わりを知らない。 でも、ビッチは違う。 ビッチは、他を知っている。 たくさん知っている。 そして、通わせては終え、通わせては終えを繰り返して来たのだ。通わせたのは下半身だけかもしれない。しかし、少なくともたくさんの男と抱かれる中で表面的な心の交流はあったはずだ。   処女が人を愛したらどうなるだろう。 終わりを予見しない。 終わりを想像しない。 精神と肉体の交わりを通して人を愛する、という経験が何せ初なのだ。これが終わるということがどういうことなのか、これが途切れるとはどういうことなのか、処女はまったくもって知らない。 永遠の愛、終わりの訪れない愛、なんてものは一瞬聞こえよく感じる。しかしそれは怠惰と怠慢を生む。どんな人間関係であったとしても、終わらないなん

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