努力は報われると信じる者は救われる、なぜなら努力報われないから

努力は絶対報われるって過去にめっちゃ信じてたんだけれど、いまだに努力は報われる方式を否定できないところがある。それは、なんでかっていうと努力は報われると本気で信じてるから努力でき、その信念があると行動するから。

例えば女の子に声をかけたら報われる(良い出会いがある)って信じるから行動する、そして出会いがある。みたいなね。

こんなこと言ったら、『私は就活で100社以上落ちたんです、そんな綺麗事の数打ちゃ当たる論やめてください』ってどっかから怒られそうな気もする。でも、こーゆー場合には、印象良くない、コミュ障、NOスキルなどのように、一般的に弾かれる要素があったりする。そーゆー場合には、打つ弾の数を重ねるのが無意味になりやすい場合もありますよ、だ。

何かを継続する場合にしてもそう。場合分けできる知性が無いと苦労する。継続は力なりを拡大解釈してモーレツブラックで10年勤めてもあまり得るところは無いんじゃないのか。

だから個人的には諦める(球数を節約)べきところと、そうじゃないところは場合分けした方が良いと思う。続けるとか続けないとかの判断については、そこに一般的傾向があるのなら一部のサンプルから全体の傾向は探れる。就活みたいなゲームはまさにその例でしょ?一般論としてウケが良い像があるじゃん。

カトパンは採用面接無双やったらしいで。わかる気がする。どこ行っても受かる、どこも欲しい。逆に言えば、特定の業界における採用市場で、ちょろっとリトマス紙を垂らしてみれば簡単にテストとエネルギー節約の見切りができる。

 

とりあえず、努力を続けることは何かしらのきっかけとか未来の機会を、連鎖的に呼び込むドアを叩くきっかけになる。芋ヅルを引っこ抜くためにツルを握ることになる。あるいは、努力が報われなくても、フィールドをスライドさせて別の世界で成功を呼び込むことになるんだよね。

信じる者は救われるってよく言うけど、人は信じないと行動できない。行動しないと現実なんて変わらない。でも、こーやって、信じる者は救われる論のカラクリを明かして仕舞えば、それはパンドラの箱を開けたも同然。その瞬間から、信じる力はぐっと弱くなる。このへんも、純粋無垢で無知な若者に、年寄りが勝てない理由の一つでもあると思う。どのようなフィールドだろうと、いかなる言い訳や理由づけ、弁明をしようと、行動しない限りはまず間違いなく何も変わらない、これは基本原理なわけであって。

自己啓発本を馬鹿にして笑ってる40代以降のおじさんたち、あるいは30以降の賢い人(老衰したマインドを持ってる人)たちの言い分はごもっともで、それはそうだもん。だって、おじさんたちにはもう、効かなくなった薬なのだから。

もう貴方たちには効かない薬です。

サンタクロースはもう来ないね。メリークリスマス。

そして私にも薬が徐々に効かなくなってきてることを感じ、老化を実感する。歳を重ねるってことは信じられるものが減っていくということなのかもしれない。そして、それはすごく悲しいこと。チャンスを逃すことにつながる。

極端な話、努力が報われなくても、頑張った経験は筋力とか根性として残るんじゃない。努力が報われなくても、フィールドをスライドしてどこかで役立つんじゃない。ジョブズがスタンフォードスピーチで言ってた、connecting dotsの話とかってそうでしょ。人感万事塞翁が馬とか。自分の経験と照らし合わせても、人生はどうもストレートに出来てない。

ものすごい駄目男・駄目女に傷つけられたから、その後に幸せなパートナーと出会えた、とか。そーゆー話ってあるんだ。これまでの不幸が、幸福の下準備だったんだって思えるときがある。人って、過去をすごい恨むんだけど、その過去の経験と今の状況って繋がってないの、って話で。努力が報われる報われないとか、AとBどっちがいいとかの視点で人生捉えてる人って、あまりにも直線的かつ短絡的すぎないか、って私は思う。複雑系の概念が無いというか。

よく、カップルが『私たちが出会えたのは運命だね、不思議だね、奇跡だね』的な愛の囁きを言い合ってたりする。当事者たちは、本当にその現象を不思議がっているはずだけれど、ストレートに互いの運命が交錯したわけではないと思う。だから、ある意味、本当に運命だね。運命って人知が及ばない領域の動き、流れのこと。

やっぱ、人生にはそーゆー不思議な出来事、出会いはある。

だから、個人的に、就職とかスポーツの世界はあまり好きになれないんだよね。年齢制限があるからね。時間的猶予が限られてる。

長期的にみれば何が吉に転じるかわからない。ましてや、多くの人たちが短期的な視点だけを持ち、打算的に生きてるからこそ、寄り道して生きたい。ダラダラ生きたい。成功を意図的に遅らせてるフシもある。

オリジナリティを求めたいならなおさら、短期スパンで打算的な打ち手ばっかりじゃいかんと思う。

そして、出来ることはやっておこうと思う。努力なるものは、どこでどう結実するかわからないからね。まさか、ストレートに結実するなんては思ってない。でも、どこかで点と点がつながる時がある。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。