結果の平等はどうあれ、機会の平等は担保されていて欲しい・されていると信じる私

なんだかんだ言って、いわゆる「弱者」ともたまに交流してしまう自分がいる。 ネットで知り合ったニート・引きこもりの人生相談に乗ったことがある。ビジネス云々とかじゃなくて、個人的な活動として。うつ病の人とか、精神的な問題を抱えている人とかね。それから、キャバクラ嬢・フーゾク嬢の人生相談なんて結構昔からやってきたな。 なんだろな。 結果の平等はどうだっていい。本当どうだっていい。弱者・敗者は切り捨てて良い、厳しく扱って良いと心底思っている。 ただし、それは「機会の平等」が担保されているのが前提。   機会の平等は、必ず整備されるべきであると信じている。実際、今の日本社会は機会の平等は「整備されている」と言ってもいい国だと思う。諸外国と比べれば、この国はヨユーで平等だよ。   きっと、機会の平等が担保されていない国だとしたならば自分の成功が機会の平等の上に成り立つものではないこ

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