#2 自由な日常の弊害を赤裸々に語る

過去を振り返って。

私の思想や思考を縛っていたのは、主に以下3つだったと思います。

  1. マネーに対する絶対的な信頼
  2. 統治者、規制者側寄りの発想
  3. 学校教育的価値観

 

マネーに対する絶対的な信頼については、いつも語っているのでここでは極力省略します。簡単に言うと、通貨発行権は大きな権力が握ってて、また、サラリーマンとしていくら働いても、ごっそり徴税されること。それと、現状の仕事のためのための、明日の再生産費用として給料が払われてることなどから、お金を追えば追うほどに、今の立ち位置に縛り付けられてしまうことです。仕事のために生きてる状態になる。

これを知った時は、目からウロコでした。

しかし、若いうちから複数の職種を転々としたので、経験上、わかっていました。人は、麻薬に依存するようにお給料、つまり今の仕事に依存する。

 

それから、規制者側寄りの発想についてですね。

たとえば、かなりキワドイアダルトビデオであったり、かなりグロテスクなゲームがバカ売れしていたとしましょう。こういうものはけしからんとか、規制せねば、懲罰せねば、みたいな発想が規制者側寄りの発想です。

タバコのポイ捨てを見かけたとき、芸能人の不倫ニュースを聞いたとき、対応の悪い店員にイラついたとき、歳上である自分を重んじない歳下を見かけて説教してやりたくなるとき、、、、、。

自分の中の、『こうあるべき!』にマッチしないものに憤怒したり、制裁を加えたり、懲罰を与えたりしたいと思うような動機付けというのでしょうか?

正義感ですね。

 

結構、昔は真面目だったと思います。小学生ぐらいの時は警察官になりたいと思ったこともありましたから。

男の子は、小さい頃に、戦隊ヒーローものとか、仮面ライダーとかで、正義イコールカッコイイ、みたいなものを刷り込まれますよね。

(おもしろいことに、日本のヒーローはみんな公務員なんです。遠山の金さん、水戸黄門、ウルトラマン、など。アメリカはスパイダーマンも、バッドマンも、アイアンマンも民間ですね。)

 

でも、ある時から、こーゆーものがどんどん崩れていったんですね。

うまく説明するのは難しいのですが、こーゆーものに乗れば乗るほどコミュ障になると。高圧的になると。権力的になると。何より、モテないし、人を動かせないんですね。特に、思春期になって、女の子に意識が向くようになると、気づきます。逆に、相手を乗せる。どんどん乗せる。相手の世界観を補強する。これがコミュ強です。

欲しいものがある、という場合ほど、これはすごく重要になります。

『ヤクザの脅しテクニック!』『凄腕交渉術!』『相手を論破する〇〇』など、人は各々の好みに応じて、コミュニケーションスタイルを選んでいきますが、私は基本的に、

モテる

ということに興味があり、かなりの情熱やエネルギーは女性に注がれてきました。

ですから、あんまり、そーゆーハードネゴシエーション系の話には興味がありません。

 

『あんな本買うのは情弱だ』

『ゴルフクラブをあんなに買って馬鹿みたい』

『同じような化粧品ばっから買いやがって』

『あのコミュニティには思考停止の連中ばかり集まっている』

 

あちこちで聞く言葉ですね。

そうやって言う大人たちはたくさんいますが、彼らは大抵コミュ障です。というか、コミュニケーション領域(営業、マーケ、広告、説得、交渉、商売)の領域で生きていないはずです。私も昔はコミュ障でした。

アメとムチという言葉があります。

何かしらのアメが舐めたくて、人は動いている。

 

規制者側ではなく、市場側の人間は、人気があることを重んじます。売れていることを重んじます。

たまに、ひねくれた人が、人気に水を差すような行動をすることがあります。学生時代、挙手して教師を突くような発言をして悦に浸っていたタイプですね。

 

でもねぇ、人気を作らないと、おそらく、一緒満足する人生は歩めません。

一生、略奪者、破壊者、ノケモノ、非モテ、ぼっちなままです。

 

実は、アメを作ることは難しいのです。人はそう簡単に寄ってこないのです。モテることも、インフルエンスを発揮することも、そう簡単にできることではない。

昔、一番初めの初めに、接客業をはじめたとき、酔っ払ったお客さんに、

『お前のパンツは何色だよ〜〜』

と訳の分からないことを言われたことがありました。このとき、私は、『見知らぬ他人に対して、いきなりそういうこと言う人間は、なんて下劣で、マナー不足で、頭がおかしいんだ』と憤りました。しかし、あとあと先輩から、『いや、俺らの仕事は、相手に食事や飲み物を持っていくだけではなくて、相手を楽しませることで、相手は楽しみに来ているのだから、そこはノッた方が良い』と教えてもらいました。

そのとき、学校教育的価値観から解放されましたね。

なるほど、と。

 

学校では、全ての人が平等であるとの思想のもとに、公平な発言機会や、何が正しいかを追い求めて議論する場が設けられていたりしますが、こんなものはシャバに出れば通用しない。

少なくとも、お金を稼ぎたければ。

最近、学校の勉強をすればするほど貧乏になる風潮がありますけれど、理由はホスピタリティとかコミュニケーションは扱わず、クリティカルシンキングとか真理の追求とかやってるからです。研究者被れは大抵、実世界でニートになります。学校の勉強は、とことんやって、権力者側の高いポストを得られたら良いでしょうが、そうじゃなければ全く意味がない。

 

なぜか?

シャバに出るとお金を集めないといけない。

お金を稼がないといけないからです。

 

そこで大切なのは、ある程度、売れればいいやという思考です。これが行き過ぎると道をそれます。究極的には、レイプまがいの手法を教える塾を開き、ナンパして盗撮セックスした映像をネットで横流しして稼ぐような人間になってしまいます。とはいえ、こーゆーキワモノ商売は儲かります。ですから、ここで、正しさをどう貫くかはまさにバランス感覚と言えるでしょう。

売れるものは求められてるもの。

売れるという事実は重い。

私らマーケターは、この現実の中で生きているので、自分で売っていて、『なんでこんなことやってるんだろうなぁ』『こんなもの売らない方がいいんじゃないか』『なんでこれが売れるんだ』『なんでこれは売れないんだ』『なぜこんなに価値があるものが認められないんだ』という経験、場数を腐るほど踏んでいるわけです。

自分の考えや感覚が通じつつ通じない経験。

相手の考えや感覚が理解できつつできない経験。

腐るほどストックしています。

 

人がなぜものを買うのか?

なぜ売れるのか?

これらを突き詰めていくと、最終的には感覚の世界などに辿り着いたりします。絶対音感や、臭気判断のプロを見ているとわかるように、明らかに普通とは違う水準の感覚を保持する人間がいることもわかります。

 

つまり、ブラックボックスは常にあるのです。

自分の感覚や、自分がすでに飲み込んできた社会のルール、多くの人の間で獲得されているコンセンサス、こういうものから漏れている人を見ると、叩く、潰す、見下す、低知能だと思う、罪だと思うという意識は、村社会度合いが高くなればなるほど強くなります。

しかし、商人であれば、キャリア上、嫌という程、謎の売り上げシーンを目撃するので、ある程度、他人の思考や感覚には畏敬の念があるのです。自分には直感的にはわからないけれど、なぜか好まれる、というものを何度も体験している。

そもそも、商人は歴史上、交易の拠点で活動し、様々な、文化や人間と交わり、多くの人に愛想を振りまいてきたのですから、ある程度、器が大きくないと売り上げは伸ばせません。

 

私は、人生の中で、こーゆー学びを何度も得てきました。

ビジネスに最適化していく過程で、思想信条も変わり、自ずと感性も変わっていきました。

 

だから、たとえば、変な行動をしている人を見ると、警察を呼べ!とか、罰しろ!とか、弾劾せよ!叩け!と言う前に、その人の生い立ちや置かれている環境、動機などに思いが至ってしまいます。とはいえ、私は神じゃないので、普遍愛や普遍的な理解を誰かれ構わず提供するわけではありません。

一神教というものがあり得ないのは、神のメンタルが持たないからだと思います。

この瞬間にも、あちこちで事故が起こり、苦しんでる人がいるわけですから、あまりにも風呂敷を広げ過ぎるとカバーできないわけです。

 

私はあくまで、自分のビジネスに必要な器を用意するだけの能力を商売人人生の中で磨いてきただけであり、政治家や神ほどの普遍性を持つことはできない、いや、大衆がそれを支持しない、許さないでしょう。

だから、狭い範囲で良いのです。

 

ある程度狭くしないと、死活問題です。神に近づきすぎた天使は、翼を焼かれて地に堕ちると言います。あまりにも神に近づきすぎると、おかしな人を集客してしまいます。そして、それが自らの身を焦がすかもしれないのです。マーケターはどこまで神になるのか、ということについて、定性・定量的な命題に晒されて、選別し、リジェクトする責任も背負っています。

 

広告を扱うような仕事をすると、膨大なジャンルの商材を扱います。

  • 広告
  • 転職
  • コンサル

に携わるといろんな世界が見えますが、広告、特に成果報酬型(アフィリエイトみたいな)でたくさんの案件をさばくと、通常は得られない見識が蓄積できます。

お金はコミュニケーションという媒介の上を相互に流れるもの。だから、モテる人と稼げる人は大抵、ニアリーイコールで結ばれます。他人に対して、インフルエンスを発揮するためには?

世界で、その手の著書として最も売れてる類であるカーネギーさんの思想本には、

『議論するな』

と書かれているのです。これは経験上、真なりと思います。営業職の経験、コールセンターの経験から照らし合わせても、思います。研修で、あるいは凄腕の人から、『相手に意見するな』とか『議論するな』と教わった記憶があります。なぜなら、仕事はあくまで売ることだからです。

とはいえ、相手にとって都合の良いことばかり言っていれば、オーケーかというと、そんなことはありません。今度は信頼感の問題があります。

ココが難しいのです。

 

もうちらっと述べてしまいましたが、学校教育の問題点は、そこに現体制の権力を強化する思想教育がねじこまれてることや、真理を追求する姿勢がコミュ障をこじらせること、マーケティング下手になること、学者らが買収されていること、などが個人的な感想です。シンプルに16年かけるべきではないものです。いや、正確には、一部の上積みの人を除き、ですが。

別にこれを、広く広めたいなんて思いません。

いや、むしろ広まっちゃ困るのです。

でも、『学校教育なんて無意味だー!』というと、学校教育の恩恵をそこまで受けてないであろう、中くらい〜からちょっと上くらいまでの人が一番反発するのです。

 

そろそろまとめにかかります。

 

自由な生活を求める前に、私は思想の自由から手に入れなければなりませんでした。

考えてみてくださいよ。

就活しないと罪悪感感じる、負い目を感じるみたいな思想の人が、スティーブ・ジョブズみたいな型破りなことできますか?できないですよね。

 

思想の自由を手に入れるから、発想も行動も自由になり、大胆になり、結果的に状態が自由になる。

まさにこれです。

 

シンプルな話、飛び込み営業とか、ナンパしまくってたらいいのです。その際、どうしても、態度とか、口説き方とか、スタイルとか、感性を矯正せざるを得なくなるときがあります。

また、露骨に差別、偏見をされている現実を直視しなければなりません。

人がいかに、他人に興味が無いのか、信用してないのか、行動しない応じないのか。この現実を見なければならない。

 

生きている間、ある程度、思い込みの世界観を作ってるのが人間です。

その間は結構、幸せです。

 

しかし、ビジネスの世界に飛び込むと、『正しい世界観』を持たなければなりません。その正しいが意図するところは、人の本音とか、本性とか、欲とか、性質を直視することです。

昔、コピーライティングのセミナーに参加したとき、

『お客様はあなたの商品が欲しくありません!』

みたいなことの話から始まりましたが、コピーライターから駆け上がった人たちはみんな、これをよくわかっています。人間の無関心さ、バカという意味ではなく知ろうとしない意味での無知さ、理解しようとしないこと、心的努力を節約したがってること。

こういうことが嫌ほどわかる。

 

学歴がない、出自に関してネタがない、圧倒的なルックスがない、というように、ザ凡人はそのままだも注意も関心も引けませんから、ますます、その過程でリアルな現実を見ていきます。

 

自由になることの弊害。

 

それは、びっくりするほど、他人は自分のことを見てないし、興味も無いし、自分は世界の砂つぶでしかない、みたいなことを直視していく過程で、ビジネス能力は高まりつつも、プライベートの部分で幸せな非現実的楽観を持たなくなることです。

女の子に、

『手が綺麗だね!』

『鼻が綺麗だね!』

と褒められても、それが生物学的に、心理的にどういう意味を持つのかわかってしまって、おもしろくなくなることです。

 

だから、私は、動物のように身体を貪りあうセックスに没頭する中で、人間としての自分を確かめ続けているのかもしれません。圧倒的なアーティストを求め続けているのかもしれません。

この、中途半端に肥え太った知識と情報を一瞬で吹き飛ばし、理屈抜きで良い!とか気持ちいい!とか思わせてくれるもの。知性や理性で抗えないもの。そこには、人間的な喜びが存在し、生きてる実感を味わせるものがあります。

 

ただただイイ。

ただただ気持ちいい。

 

もっと増やしてえ。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。