コンテンツビジネスも、「関関同立GMARCH以上」「バカ向け」と2極化し、「中間」が消える。よって、従来のビジネス書の模倣は死んでいく。

 

コンテンツビジネスは、

  1. 関関同立GMARCH以上
  2. バカ向け

に二極化していき、中間が消える。

従来のビジネス書の模倣は死ぬだろう。

 

 

よって、どちらの方向性にウケるかを決めないといけない。

 

厄介なのは、今、

「最大」

を取ろうとすると、過去の踏襲もあって、中間で手広くやった方が良いと思えてしまう。しかし、それが次代の修羅の道になる。

 

つまり、従来のビジネス書は、分厚い中間ホワイトカラーに支えられていた。ところが、今はここがごっそり削られていくのだ。

結果的には、ハイスペック上位だけが、従来的なホワイトカラーになる。冨山和彦のいう意思決定のできるボス的なホワイトカラーだ。あとは知的生産のアッパー層が残るだろう。

 

そうして、中間が没落して、ブルーカラー、エッセンシャルカラーへと流れ落ちる。この中では、従来のビジネス書マーケットは崩壊する。

現に、2010年代前半によくあった

微妙なビジネス書

みたいなものが消えている。

 

  • ハーバードの〜
  • スタンフォードの〜
  • 20歳の時に知りたかった〜

みたいなものが売れなくなっている。

また、バカ向けチープ系はごっそりyoutubeに流れていっている。

 

 

数学書コーナーが、

よくわかる中学数学

とか

大人の学び直し!

みたいなのばかり再生産している一方で、難しい数学書・教科書的なものが並び、二極化している構図がある。つまり、できない人・できる人に向けた分かれ方をしている。さらにいうと専門的・ハイレベルなことは大学でやる。

ビジネス書市場も、中間がごっそり抜け落ちていく。

 

 

基本的に、アンダー層を相手にするためには、

  • インフルエンサー
  • 配信者

からも見てとれるように、「人気者」のようなポジションを得ていく必要がある。

ここには娯楽性がある。娯楽的要素が強い。

 

一方で、エリート秀才タイプは、その手のものにはあまり興味がない。

彼ら・彼女らは、エリートの宿命を背負わされている。

レールを引かれている。

 

そのレールを上手に攻略するか、レールの外でもレール以上に輝ける何かに興味を持つことになる。つまり、彼らは極めて社会的なのである。

 

 

当然、秀才は、論文を読み漁る。

ところが、論文を読み漁ってる「パラ●な男」や「メン●リスト」がちょっと微妙であることからもわかるように、論文漁りゲームには限界がある。論文を漁ってるのは知的な行為に見えて、別に大したことはない。

 

 

おそらく、今後、

「上澄み」

は東京近辺にしかいない。

よって、東京に刺していくことが大事になる。

 

地方では、ほとんど、インテリはいない。

というか、地方ではインテリ路線の席がなく、マネジメントゲーム・出世ゲームで上に上がれなかった人以外、そもそもブルーカラー系の方が総合的に人生を楽しめたりするだろう。そしてそれ系の世界に刺さっているのは、youtube、tiktokが提示するような世界観であろう。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。