どーも、挫折の塊こと、西園寺さんです。
「西園寺さんって、何で女性にモテるんですか?」とかたまに言われるけれど、「おいおい勘違いはやめてくれ」と正直思うことがある。一応、モテてる風に演じることがあるけれど、モテてるというよりは、面白い生き方をしようとするプロセスの中で、自然に変なイベントをたくさん経験した、という感じがより実態に近いだろうか。なんか、出会う人がみんな面白くて。異世界に住んでいる人と出会うことが多いんですよね(超お金持ちの家の娘で、友達いなくて引きこもりだけどめちゃめちゃ美人でオシャレで変態で趣味が変、みたいな子とか笑)。
あと、私は時間があるというのもデカイかな。
みんなが遊んでいるであろう大学生時代にひたすら修行(同年代がキラキラしている間、絶望の底を彷徨っていた)をしていたので、その回収を社会人年代になってから実行しているだけである。
(夜な夜な泣いたり、吐いたり、不安になって押しつぶされそうになったり、将来を考えて絶望したりという時期はそりゃー、ありましたわ。10代の頃からありましたわ。)
外国人と喋ったり、そこらへんで知らない人と絡んだり、酔っ払って徘徊したり、アプリを使ったり、夜の街に行ったり、出会いのコミュニティに顔を出したり、そういうことをしてたら、いくらでも面白い機会はある。
少し前に、女性向けの恋愛指南本を読んでいると、
「男に声をかけられやすいメイク・ファッション」
のような指南がされていた。実はこの、「声をかけられやすい」という概念は、男からすると新鮮である。男向けの恋愛指南には、「声をかけろ」ということばかりが指南されているからである。しかし、男であろうと、女であろうと、声をかけられやすい人というのは明らかに有利だと思う。これは、オーラ、ファッション、表情、・・・・総合的なものがもたらす印象である。
この印象というものに気を使っている人は、案外、いない。
人は、誰しもが自分の見た目について、「自己表現」をしようとするものであるが、やりたい自己表現と「ウケが良い自己表現」は別である。また、カッコイイ・キレイ・強そう・清潔感があるというようなことと、「話しかけられやすさ」のようなものはまた別である。
西園寺さんの声のかけられやすさは異常である。だからこそ、あえて「話しかけないでくださいオーラ」全開で外を出回る時も多々ある。しかし、基本的には声がかけられやすい。特に、外国人から声をかけられる率が異常である。外国人に道を聞かれる率が半端では無い。なんで?
多分、グローバルに通用する、太陽のようなオーラが出ているんですかね。ワハハハハ。
いやー、結構暗い顔して歩いているつもりだけど。
性格も悪いし。
この前なんて、高校生か大学生かわからない韓国人の女の子集団に道を聞かれて(あどけなさを残す可愛らしい女の子)、英語で道案内するだけじゃなく、実際に付き添って連れて行ってやったら、覚えたての日本語で色々話をしてもらえた。
その時の韓国女子の顔がキラキラしてて可愛かったです、ハイ。
下半身の異文化交流をする展開にはなりませんでしたけど。
運が良い、という言い方がある。「運」というのは、「運ぶ」と書く。何かが、自分の目の前に運ばれてくるかどうかというのは、単に「外的要因の説明」だけでは片付けられない。
例えば、素晴らしいサッカー選手は、なぜか絶妙なタイミングで絶妙な位置どりをしているものである。絶好のチャンスで、絶妙なボールが転がってくるような位置どりをしていることが多い。こういうのは、本人の実力も含めて「運の良さ」である。運の良さは実力のうち。
要するに、運の良さというのは、ある程度はその人の状態や能力といったものに依拠するものである、ということだ。
あと、念のために言っておこう。私は決してイケメンではない。たまに、私のことをイケメンと称する女性と出会うことがあるが、そういう子は動物園でコアラを見て「カッコイイ」とか言っちゃったりするので、まぁ、そういうことである。
さて。
私はガード固い女性に対して、極めて強さを発揮する傾向にある(多分、交友関係が派手じゃないからコイツと寝ても大丈夫だろうと思われるのだろう)。それと、性的に交わった人数はなかなかかもしれない。・・・・・・・だけれど、はっきり言って、私は恋愛難民である。ちょっと、マジで、過去にドギツイ経験をしたことだってある。一時期、異性恐怖症ぐらいのレベルまでメンタルをやられた経験だってあるのだ。かなり壮絶な失恋ストーリーもいくつか持っているのだ。いずれ、公開したいと思う。
それから、モテなかった時期もあるし、かなり発情していたというか、オチ●ポをそり立たせてハァハァしながら女あさりをし、空回りしていた時代もある。
要するに、ただ馬鹿で、恥知らずで、数を打っているだけである。たまに、他人に対して雑談感覚で自分の人生を話すと、「うわ・・・、苦労人なんですね」とか言われて恥ずかしくて赤面しそうになることがある。
(苦労人って言われるって、めっちゃ恥ずかしくない?)
いやー、まぁ、確かに。
童貞時代はいじめられたし、包茎で悩んだこともあるし、学歴差別はうけたわ、恋愛で痛い目あったわ、性病にかかったこともあるし、変な詐欺にあったこともあるし、ラリっている外国人に襲われたこともあるし、自己啓発本に煽られまくってきたし、たくさん情報商材も買ったし、リボ払いの地獄に追い立てられたこともあるし、MLMの勧誘を受けたこともあるし、ニートやったこともあるし!
・・・・ゆーて、大したことしてないけどねん。
モテている、スマートである、というよりは、「いろんな変なことをしている」というのが実態に近い。実際、夜のプロフェッショナルの方に、プレイ中、「今までよく捕まらなかったね(注訳:ひどい変態だね)」との褒め言葉まで頂いたこともある。プラス、「ダメだよ、一般の女の子に今日みたいなことしちゃ」みたいなアドバイスまで頂き、見送られる有様である。
少々、性癖のクセが強いらしく、非常に驚かれることもある。・・・・がしかし、その変態性にシンパシーを覚えて、同じノリで興奮してくれる人もこれまで何名も見てきた。
(世の中には隠れ変態女がめちゃめちゃ多い。本当にそう思う。自主的に変態性を発露する女性は極めて少数だけれど、受動的に変態性を発露する女性は結構多いと思う。とはいえ、そこらへんの察し方をミスってしまうと色々大変なのでお気をつけ遊ばせ。)
確か、どっかで既に語ったと思うけれど、初体験の時にちん●が起たずに「もういいよ」と言われたり、ファーストキスだかセカンドキスだか忘れたが相手の唇に歯を当てて出血させたり、中学生の時は公衆トイレでオ●ニーをしているのを窓から友人に覗かれ、「公衆オ●ニーくん」との呼び名を3ヶ月ほど拝命したこともあるし、クリスマスのデートでかなりサムいデートコースを用意して顰蹙を買ったり(季節的な意味ではなくて)、着ている服をマジダサい、センス無いと酷評されたり、ヨーロッパ系の女性とセックスをしようとしたら、モサモサと脇毛が生えておりおまけにブルーチーズを発酵させたような異臭がして驚いた経験があったり、女だと思ってホテルに連れ込んだ相手を脱がせたら男だったり、と壮絶な人生体験を送っていることを注記したい。
マーケターたるもの、すべてのことは「テスト」ぐらいに心得ておかねばならない。すべてのことはマーケティングテストなのである。私の中で、失敗というものは概ね好意的に捉えられている。そして、その積み重ねで成長してきている。
たまに、私に騙されて、今の私を見て、
- 紳士
- 優しい
- カッコいい
- 落ち着いている
- スーツ似合いすぎワロタ
とやたら持ち上げてくる女性と出会うことがある。特に歳下女性。JD年代の子。その際、当然私も意図的に「カッコつけ」を実行し、華麗にセッ●スまで誘導することがあるが、こいつは俺の虚像を見ているなと思うことだってある。
とはいえ、自称マーケターなので、女性と接するときは、会話を通して、質問やリアクション観察をしながら、高速でA/Bスプリットテストを頭の中で回し、ざっくりとターゲットのタイプを仮説・推定してしまう癖がある。相手の深層ニーズについてインサイトしてしまうので、自ずと「ウケ」が良い振る舞いがそこそこの確率でできてしまう。うわぁ。やらしい。まぁ、異性交遊の類なんて、男も女も相手に対して、ある程度「幻想」「理想」「建前」を求めている場面があるでしょう。多少なり、そこに寄せるのを世間的には「イケてる」とする風潮があるのなら、まぁ、仕方ない。やるしかない。
(ちなみに、アラサーの人は「よく食べる人」とか「優しい人」とか現実的なことを言ってくれるので楽ですね。)
女性の前で二枚目を演じながら、「おいおい、何やってんだ」と自分で自分を俯瞰視しながら、心の中で笑いが止まらないこともあるのである。そう、実態は三枚目であることはパーフェクトに間違い無いからだ。
さて。
くだらないことをツラツラと語ってきた。
やっぱり、人生が楽しくなる瞬間というのは、魅力的な異性との交わりにあることは否定できない。
しかも、できるだけ若いうちにそういうのを楽しむと良いと思う。
・・・・というか、若いうちにしかできない気がする。まぁ、おじさんになっても若い子と遊ぶ方法は色々とあるけれどね。
10代〜20代の1年を削って、80代の5年にアシストを送るような生き方はしたくないと思う。あんまり先のことを考えすぎるのは好きではない。将来のことを考えすぎて不安になり、今を楽しめないというのは馬鹿馬鹿しいにも程がある。特に、老後のことを考えて、若いうちから怯えまくるとか、貯金しまくるとか、意味ナッシングだと本当に思う。若いうちから、面白いことにガンガン頭を突っ込んでおけば、いろんなアイデアが浮かぶようになるはずだ。頭で考えるのをやめて、心に従い、ドキドキやワクワクを探っていこう。そうすれば、そのドキドキやワクワクの経験が、どこかでマネタイズに使える。
まぁ、人の生き方はそれぞれだ。
私は自由を謳歌し、若さを謳歌し、(大学生のように)女性と戯れて余暇を楽しみたいというような感覚で生きている。しかも30過ぎた後の人生はロスタイムだと思っている。ちなみに、私と仲が良い知人は、私のような生き方を真っ向から否定し、社畜街道を全力で進んでおられる。人生のピークは4〜50代だそうだ(そしてそのために若いうちはひたすら我慢するのが正しいらしい)。
多分、世間一般的には彼のようなやり方が正しい。きっとそう。
自分の中で、人生のピークをどこに設定するか。目的はどこに設定するか。どこを勝ちどころと捉えるか。何を最優先にして、どう楽しみたいかを考えるのは大切だ。
組織で出世したいのか?
個人として市場に評価されたいのか?(起業等も含め)
そのどっちなのか、ぐらいは決めておいた方が良いと思う。組織の中で生きる術と、それ以外のやり方はあまりにも世界が違うように思う。
私の場合は、もともと、若さに対するこだわりが強い。歳を取った後の楽しみが見出せない。若いうちに、あんまり無駄なことをしていたくない。若いうちにいろんなことをしたい。当然、自分で事業をやるという選択になってしまった。
また、正直、ビジネスでガリガリやっている時よりも女の子とアレコレある方が楽しいと感じることは多い。というか、日本社会のビジネスシーンにおいて、「出世」というのは、
- 理不尽の連続に耐えたこと
- 上司はべり、ゴマスリを徹底したこと
- 社内政治に長けたこと
といったようなものの勲章であることが多い。ちょっと、個人的にはバカバカしくて参加する気がしない。というか、正確に言えば、そうやってようやく手に入れる肩書き?給料?のために若いうちの時間の大半を消失させるのがくだらないと思ってしまう。笑
しかし、私の友人でサラリーマンをやっている人の中には、勝負どころを4〜50代に設定している人はなかなか多いと思う。出世にエネルギーを燃やしている人は多いと思う。つまり、人生の楽しみをその時期に設定しているわけだ。だからこそ、「若いうちは我慢」と考えている人も結構いる。いやはや、素晴らしい大人ですね。
んー。若いうちは我慢かぁ。へー。
そんなに我慢してどうなるんでしょうね。場所的な拘束から解放されるわけでもなく、出世すればするほど精神的プレッシャーも大きくなるでしょう、きっと。特に、人間関係の縛りが大きくなるはずです。
稼ぎは上がるかもしれませんが、上がったところでどうなるのでしょうか。大方のサラリーマンキャリアだと、上限は見えているはずです。果たして、それだけ稼ぎが増えた世界で、実質的な手取りを考えて、一体何ができるようになるのか。もちろん、人それぞれの生き方があります。私は、そーゆーのはちょっと、どうなんだろう・・・って思ってしまうタイプ。
衣食住のコストが上がり、交際費のコストが上がり、・・・・ってだけでしょう。そして、どんどん厳しくなる社会情勢に苦しめられながら、老後に怯えながら、国と年寄りに搾取されまくる人生を送る。若い世代の突き上げに怯えながら生きる人生を送る。
それはちょっと、個人的には無理。
自分自身の能力を高め、知識を増やし、世の中のことを理解しながらも、いかにしてそこから上手にハズれるか、ハズすかにオシャレさみたいなものを感じてしまう。これは、昔から、「すっからかんになった状態でどうやって再起するか?」を考えてきた結果、できるようになったことだと思う。ファッションの世界では「ハズす」という言葉がある。私も、ハズして生きたいと思ってしまう。
よく、「西園寺さんの生き方はセクシーですね」と言われる。
(まぁな、LINEで女の子をイかせる魔術も体得しているからな)
おそらく、セクシーさの本質というのは、危なっかしいこと、尖っていること、ズレていることみたいなところにあると思う。「ギリギリで生きている」というか。際どいところというか。
確かに。言われてみれば、実に「際どい生き方」をしている。案外、この際どい生き方に憧れている人(私に対してじゃなくて、一般論として)は多いらしい。際どい生き方をして、綱から滑り落ちるのが怖いのだろうか。
滑り落ちないようにすること。
滑り落ちても大丈夫なようにすること。
これって結構、難しいのかもしれないね。
でも、若いうちならいくら怪我してもNOダメージなので、30歳ぐらいまでの人はどんどんチャレンジしても良いと思うんだけどな。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。