学校教育にマッチできない自分を正当化するために、学校教育を否定する言説を鵜呑みにした。そこには救いがあった。のめり込むようにしてたくさんのことを吸収し、マジョリティは間違ってるだの、人目を気にするなだの、孤独を恐れるなだの、そーゆーのを自分に取り入れていく。そーやっていけばいくほど、周りからは変なふうになったと思われるし、どんどん進めば本当に自分が変わる。これは良い意味でもあるし、副作用だって当然存在する。
で、その先に待っていた世界が、ユートピアだったら?みんなが泣きながら働いているのに、自分は海を見ながら彼ら以上の余裕を持てるようになっていたら?いよいよ、社会には本当に洗脳が存在するんだと確信を持ち始める。それが合ってるかどうかは別として。やがて、海外の人間と触れ合ったりもすると、国家レベルでの洗脳の存在にも気づく。
とはいえ、あちこちで洗脳が存在するのなんて、知れ渡ってるだろう。でも、なぜ人は洗脳を甘んじて受け入れるのか?それは、やはり、それが当たり前だから、それ以外道はないと思ってるから、洗脳に染まることにメリットがあるから、、、だと思う。
学校教育を仮に洗脳だとしても、そこを見事に好成績でおさめた人間には褒美が待ってるじゃないか。というか、どんな会社にも研修だったり、強制させられるような雰囲気みたいなモノはあって、そこに従うしかない、ってシーンはよくあると思う。何もかもを洗脳だー、って言ってたら、何もできない。
ある意味恋愛だって洗脳だ。魅力的な女性の前で、クラクラきた経験は誰だってあるはず。何か、思想信条を吹き込まれた経験はあるはずだ。
基準はいったい、どこに置けばいいんだろう?
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。