【The profile】 孫正義は東大は楽勝だった?生い立ち、名言、自宅・・・。日本一の起業家、孫正義の人生とアナタの人生を比べてみよう!

 

 

僕は決して世の中を大きく変えるような発明したわけではない。何か1つだけ平均的な人と比べて僕に特徴的な能力があるとすれば、それはパラダイムシフトの方向性とその時期を読むことに関心が強いということだ。目の前の2〜3年の小銭を稼ぐようなことに僕は興味がないんだ。10年後20年後に花を咲かせるものを種の段階で嗅ぎ分ける能力とそれに対してリスクを取りに行く覚悟が僕は人より強いのだと思う

ー孫正義

 

 

私は孫正義が好きです。

面白い。

 

私に言わせれば、日本一の起業家・冒険家です。

この人以上の人材は日本にはいません。

私がどれだけ孫さんのことをすごいと思っているかというと、孫さんが考えることに関して、

精査する気が起きない

反論する気が起きない

というのがあります。すなわち、孫さんが考えてることややってることに対して、何か穴や欠陥が見つかったとしても、きっとこの人は別次元で何か考えている、全部想定に入ってると思うからです。

それはやはり、彼の伝記をたくさん読んできて、彼のことをよく知っているからだと思います。

 

そしてついに、日本史上最高額の純利益を叩き出してしまいました。

一代で作った会社で、ですよ。

 

天才です。

 

 

人生50ヵ年計画をJPモルガン社員に答える孫正義

 

私は在日朝鮮人でもなく、100%純日本人ですが、ハッキリ言って日本人は性格が悪いと思っていますし、日本の構造だったりエリート、政治家、伝統的なエスタブリッシュメントは嫌いな方ですから、まさにマイノリティが日本トップに駆け上がっていく様は痛快に感じられます。

 

俺はそんなもん(本社ビル)建てないよ。そもそもなんで本社ビルなんて建てる必要があるんですかねぇ。それって自分の会社の枠を自分で決めるようなもんじゃないですか。ソフトバンクの枠はこれからどんどん広がっていく。ビルなんか建ててもそんなのすぐに目一杯になるだけですよ。

ー孫正義(1990年代)

 

 

 

この人の何が面白いかって、明らかに日本一の起業家なのに、さまざまなコメント欄を見ると、

詐欺師!

とか

売国奴!

とか賛否両論だからです。

人間というのはどうも、凄すぎる対象を前にすると、感覚がバグるようなのです。

 

孫正義と同じ時代に生きることが当たり前になり、感覚がバグっていませんか?

 

 

孫正義の凄さは、このランキングを見れば一目瞭然です。

これは2021年6月末現在の日本の株式時価総額ランキングです。

1 【7203】 東証1部 トヨタ自動車(株) 15:00 9,740 3,262,997,492 31,781,596 100
2 【6758】 東証1部 ソニーグループ(株) 15:00 11,000 1,261,058,781 13,871,647 100
3 【6861】 東証1部 (株)キーエンス 15:00 56,210 243,207,684 13,670,704 100
4 【9984】 東証1部 ソフトバンクグループ(株) 15:00 7,755 1,722,953,730 13,361,506 100
5 【9432】 東証1部 日本電信電話(株) 15:00 2,893.5 3,900,788,940 11,286,933 100
6 【6098】 東証1部 (株)リクルートホールディングス 15:00 5,506 1,695,960,030 9,337,956 100
7 【9983】 東証1部 (株)ファーストリテイリング 15:00 83,680 106,073,656 8,876,244 100
8 【7974】 東証1部 任天堂(株) 15:00 64,600 131,669,000 8,505,817 100
9 【8306】 東証1部 (株)三菱UFJフィナンシャル・グループ 15:00 601.6 13,581,995,120 8,170,928 100
10 【9433】 東証1部 KDDI(株) 15:00 3,420 2,304,179,550 7,880,294 100

https://info.finance.yahoo.co.jp/ranking/?kd=4

 

TOP10企業で、1代でここまで創業から大きくした会社がランクインしているのはソフトバンクとキーエンスだけです。キーエンスもすごいですが、ソフトバンクとは売上・利益が桁が違います。社員数も13倍ぐらい違います。

7位のファーストリテイリングはユニクロやGUを経営するお馴染みの会社で、ここのトップの柳井さんは孫さんと並んで大成功者として有名ですが、ファーストリテイリングはほとんど柳井さんが構築したとはいえ、実は彼は実家の家業を継いだ2代目なのです。孫正義は実家が裕福(正確には生まれたばかりの頃は貧乏だったが、中学の頃には裕福になっていて渡米期間中も仕送りを受けていた)というのはありますが、基本的に0からスタートしました。0からここまで大きくなった企業なのです。

5位の日本電信電話なんて元々国策国営、9位の三菱なんて財閥系、トヨタなんて100年以上の歴史があります。

孫正義は1957年生まれであり、1981年に創業したとされていますから、とてつもないスピード感で大きくなってきたことがわかります。

 

シンプルに化け物級です。

 

なのに、こんなに凄い人なのに賛否両論あるところが面白いのです。

賛否両論あるということは、人に理解されない戦略を立案し実行しているということでもあります。

 

それと、凄過ぎて、「宇宙人扱い」されて、どうも人々は同時代に生きている凄さをあまりわかっていない感じがします。メッシやクリスティアーノ・ロナウドのようなもので、このレベルの人物はもうしばらく出てこないというぐらい本当に凄いのですが、あまりにも凄過ぎて感覚が麻痺しているのです。

 

自分のための備忘録的な意味でも、「孫正義・完全版」となる記事を作りました。

 

 

 

1:孫正義と東大

 

検索需要として、「孫正義 東大」があるみたいなので彼の学歴から始めましょう。

ご存知のように、彼は16歳で渡米し、最終的にはUCバークレーという名門を卒業しています。

世界大学ランキングで7位の超名門(東大は36位)ですから、まず彼の場合、学歴からして日本の名だたる起業家の中でもピカイチなのです。

 

https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2021/world-ranking#!/page/0/length/25/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats

 

1位 オックスフォード大学(University of Oxford)イギリス
2位 スタンフォード大学(Stanford University)アメリカ
3位 ハーバード大学(Harvard University)アメリカ
4位 カリフォルニア工科大学(California Institute of Technology)アメリカ
5位 マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)アメリカ
6位 ケンブリッジ大学(University of Cambridge)イギリス
7位 カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)アメリカ
8位 イェール大学(Yale University)アメリカ
9位 プリンストン大学(Princeton University)アメリカ
10位 シカゴ大学(University of Chicago)アメリカ

11位 インペリアル・カレッジ・ロンドン(Imperial College London) イギリス
12位 ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)アメリカ
13位 ペンシルバニア大学(University of Pennsylvania)アメリカ
14位 チューリッヒ工科大学(ETH Zurich)スイス
15位 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(University of California, Los Angeles)アメリカ
16位 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)イギリス
17位 コロンビア大学(Columbia University)アメリカ
18位 トロント大学(University of Toronto)カナダ
19位 コーネル大学(Cornell University)アメリカ
20位 デューク大学(Duke University) アメリカ
20位 清華大学(Tsinghua University) 中国
22位 ミシガン大学アナーバー校(University of Michigan-Ann Arbor)アメリカ
23位 北京大学(Peking University)中国
24位 ノースウェスタン大学(Northwestern University)アメリカ
25位 シンガポール国立大学(National University of Singapore)シンガポール
26位 ニューヨーク大学(New York University)アメリカ
27位 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (London School of Economics and Political Science)イギリス
28位 カーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)アメリカ
29位 ワシントン大学(University of Washington)アメリカ
30位 エジンバラ大学(University of Edinburgh) イギリス
31位 メルボルン大学(University of Melbourne)カナダ
32位 ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(LMU Munich)ドイツ
33位 カリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California, San Diego)アメリカ
34位 ブリティッシュコロンビア大学(University of British Columbia)カナダ
35位 キングス・カレッジ・ロンドン(King’s College London)イギリス
36位 カロリンスカ研究所(医科大学)(Karolinska Institute)スウェーデン
36位 東京大学(The University of Tokyo)日本
38位 ジョージア工科大学(Georgia Institute of Technology)アメリカ
39位 香港大学(University of Hong Kong)香港
40位 マギル大学(McGill University)カナダ
41位 ミュンヘン工科大学(Technical University of Munich)ドイツ
42位 ハイデルベルク大学(Heidelberg University)ドイツ
43位 スイス連邦工科大学ローザンヌ校(École Polytechnique Fédérale de Lausanne)スイス
44位 テキサス大学オースティン校(University of Texas at Austin) アメリカ
45位 ルーベン・カトリック大学(KU Leuven)ベルギー
46位 PSL研究大学(Paris Sciences et Lettres – PSL Research University Paris)フランス
47位 南洋理工大学(Nanyang Technological University)シンガポール
48位 イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(University of Illinois at Urbana-Champaign)アメリカ
49位 ウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin-Madison)アメリカ
50位 セントルイス・ワシントン大学(Washington University in St Louis) アメリカ

 

東大36位。

UCバークレー7位。

圧倒的な差です。

そんな圧倒的な孫社長ですら日本語を間違える(「煮詰まる」の使い方)し英語の文法は時々オカシイので、学校の先生や大学教授がよく指摘する枝葉末節ミスやそれイコール教養=教育につなげる話は無視しよう!

 

彼は競争率11倍を突破して、九州・福岡の名門、久留米大附設高校に入学(ホリエモンもここ出身)し、この高校では例年、60番以内であれば東大が合格圏内と言われており、孫正義はその高校で上位30番でした。

そのため、孫正義は東大が合格圏内だった。そのまま東大に進学することも容易だったと考えられます。

 

繰り返します。

孫正義は東大合格余裕層だったのです。

 

 

自分が生きていく60年、70年という長い人生において受験や就職はほんの一部でしかなく、しかも東大は毎年膨大な学生を社会に輩出しており、社会に出れば東大生は何十万人といる。

そんな中で、東大なんか行ってどうするのか。そんな次元で満足してどうするのか。そういったことを高校1年生の孫正義は考えており、夏休みに参加した英語研修ツアーで見たアメリカの衝撃を受けて、渡米へと向かいます。

 

東大出なんていくらでもいる。

これが若き日の孫社長の考え。もちろん、その時の孫さんは東京にすら行ったことがない。笑

 

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

「早稲田を出たら人生勝ち組」「慶應を出たら人生勝ち組」「一橋を出たら人生勝ち組」「阪大を出たら人生勝ち組」などと思っていないだろうか?

孫社長曰く、

「人生は登りたい山を決めた時点で決まる。自分が決めた登りたい山以下の人生になることはあってもそれ以上になることは無い」

 

 

学生時代の孫正義には面白いエピソードがあります。

彼は中学時代、実はサッカー部でした。本当は野球部に入りたがったが、無かったため、仕方なくサッカー部を選んだと言います。

彼は幼少期から、何事も熱中するタイプ。

 

サッカーをやるには足腰を鍛えるのが大事だ!!

 

そう思った彼は、早速父親に頼み込み、なんと

鉄下駄

を買ってもらい、これをカッチャカッチャ言わせてアスファルトの上を懸命に走った、と言います。

非常にしんどかったそうですが、

これぐらいでへこたれてはならん・・・

と他に鍛えられる良い方法は無いかと考えて、靴の形をチョークで模写して、これを近くの車の整備工場に持ち込んで、

このチョークの形に鉄板を切ってもらえませんか

と頼み込み、いわば鉄の中敷を作って靴に入れて、日頃からトレーニングしようとしたそうです(爆笑)。

 

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

強くなりたい、成長したい、そう思った時に、そのためのトレーニングをしているか?トレーニングアイデアを出しているか?そして行動をしているか?

 

 

想像に難くないですが、鉄板を中敷として入れると(ソールが曲がらないため)歩けず、

おや・・・・?

となったという天然エピソードがあります。

 

こういった努力の甲斐あって、なんと中学校1年生の段階でライトウイングのポジションでレギュラーを張ったと言います。1年生から抜擢されたのは孫正義と2人だけだったと言います。

 

スポーツもすごかった

というわけですね。

 

ソフトバンクホークスのイメージから、野球のイメージがあるかもしれませんが、実はサッカー部だという意外なエピソードです。

この、自分なりに分析をし、圧倒的な行動力で動いていく、努力していくというエピソードは孫正義の人生の各所で登場します。。

 

 

日本の著名起業家で、孫正義を上回る学歴を持っている人はいません。また、多くの日本人が気付いていない盲点ですが、

日本の起業家の対外的な知名度(海外・国際レベル)は皆無に等しい

というのが現実ですが、孫正義の場合は例外で、海外でも知られているビジネスパーソンです。彼は海外では投資家というイメージで捉えられていると思います。

 

 

 

 

I met three geniuses(私は三人の天才と出会った)

ウィリアム・ジフ
ジフ・デービス社・社長

ビルゲイツ、スティーブ・ジョブズ、孫正義の3人を指して

 

You are as much risk-taker as I am.(お前は俺と同じくらい勝負師だな)

ビル・ゲイツ

ビルゲイツが孫正義に贈った本に書いた直筆のメッセージ

 

どこまでがインサイドなのかアウトサイドなのかをよく考えることが大事。もう一つは自分たちの人的資源、金銭的資源は有限ということを意識すべきです。何に先行投資するのかやもっと自分のビジネスの範囲を限定すべき。枝葉末節なちょっとした小遣いのような投資は全部やめたほうがいいと思います。自分たちの強みがどこにあって、そういう人材がいるかどうか、あるいはそういう人材をとってこれるかどうかという自分の限界をもっと考えないと大失敗する可能性があると思います。

柳井正

ソフトバンクの社外取締役を務めた。孫正義が虚業家になりつつある、と警告を込めて

ソフトバンク社内には孫正義より年長が宮内氏しかおらず、もう1人の社外取締役であった永守重信氏は社内の幹部が遠慮している空気があると指摘

柳井氏、永森氏共に退任

 

 

2:孫正義 生い立ち

 

 

ご存知の通り、孫正義は在日朝鮮人の家系です。人生の序盤では「安本」性を名乗っていたと言います。

 

孫正義は自身でも語っているとおり、佐賀の無番地・バラック出身ということで非常に貧乏から苦労して這い上がったと思われており、私も昔はそう思っていたのですが、彼の人生をよく調べていくと、生まれた時期は貧乏だったものの、彼が中学になる頃は父親がビジネスで成功しており、途中からは裕福な家庭となっていました。

“孫正義の家系は裕福だった”

 

この点は誤解されているのですが、中学になる頃、親も含めて親戚のおじさん・おばさんも裕福な人たちばかりだったそうです。親戚は大きな家に住み、外車を乗り回していたと言います。

▼:在日朝鮮人、華僑、ユダヤはどうして裕福なのか?

孫正義の人生ストーリーに触れてもわかるように、「日本で普通の日本人」として生まれれば、周りと協調・同調しながら、「テキトーに公務員にでもなるか」などと思います。人生の中で、特別なコンプレックスがあるわけでも、自尊心があるわけでもありません。

これに対して、少数人種・民族・マイノリティの場合、公務員的な職業、社会のメインストリームから排除されることがあるため、どうしても自分たちで商売をするというスタイルになります。こうやって、ユダヤは金融業界で大成功していったわけですが、世界中にいる華僑もまた、商売で成功しています。

日本も同様で、芸能界と在日朝鮮人界隈の繋がりが度々噂されるのは、そこが出自が恵まれない人たちが活躍できるフィールドだったから、という要素は大なり小なりあるでしょう。皮肉な話ですが、マイノリティとして差別され、大企業に就職し辛い、公務員になりづらいとなると、商売の道しかありません。商売の道はなんでもありのストリートスマート達の世界であり、やはり一定数成功する人たちができてくるのです。また、マイノリティの場合は同族同士での結束が強くなり、お互いに融通を効かせるコミュニティも誕生してきます。

 

もう少し正確な詳述をすると、

  1. 孫の父方の祖父が故郷韓国から日本に出稼ぎに来て、一度祖国に戻るが、戦後すぐに日本に密航で戻る
  2. 孫一家が住み着いたのが国鉄鳥栖駅のすぐ近くに、本来は国鉄が所有しているはずだが住む場所に困った朝鮮人達がバラック小屋を建てて身を寄せ合い暮らしていたエリア(不法占拠、無番地)
  3. 孫一家は豚を飼って暮らしていた、安本と名乗っていた
  4. 孫正義の父親は中卒で、密造酒づくりで生計を立てた、何度も警察に踏み込まれたが気にすることなく密造酒づくりを続けた
  5. 「売れる仕組み」を作るために、いわゆるアフィリエイト的な仕組みを考えた(酒を置かせてもらい、売れたら%で一部支払うという仕組みによって販売数を拡大)
  6. 孫正義の父親は酒売りで儲けた金でパチンコ店、サラ金を始める、これが成功して孫一家は裕福になる(孫正義が小学校低学年あたりの頃)
  7. 一家は無番地を出て一時期は北九州、その次は福岡市の城南区に転居

という流れ。

 

 

お前は天才だ。やればなんでもできる。そこらの子供とは違う。大きくなったら必ず日本で1番の男になるんだぞ。

父親は、常日頃、孫少年に語りかけていたと言います。

父親はとにかく子供の可能性を信じ、褒めるスタイル。

 

 

孫正義の人生の特殊性は、

  • 父親による洗脳的な自尊心教育
  • 在日朝鮮人であることのコンプレックス、いじめ

という両極端の要素がうまく作用して、「人とは違う」道のりを歩んでいったという点に、初期の時点の要素としては分析することができます。

良くも悪くも、

「普通の人」

と自分は違う、という意識は刷り込まれざるを得なかったはずです。

 

これが後に、「宇宙人」と各所で形容されるようになる所以でしょう。

 

 

一方で、祖国韓国では名門の血筋であり、一族はその点に誉れ高い部分があったそうです。

余談ですが、とんねるずの石橋貴明氏のように、実家が貧乏のところから成功したスターというのは、元々貧乏の前に「実家が成功していた」というケースが多く、それゆえに「本当なら俺らはもっと上なのに・・・」という悔しい思いが成功に向かって作用しているように思います。とんねるずの石橋貴明の実家は元々経営をしていて非常に裕福だったのですが、事業に失敗してある段階から一転して貧乏になったそうです。

孫正義の家計も、血筋としては祖国の名門でありながら、日本に来て惨めな思いをして、さらに孫少年が中学くらいには経済的に盛り返して・・・というように非常に起伏があるストーリーです。

「貧乏から這い上がった」というストーリーが世の中にある一方で、多くの貧乏家庭出自の人々が成功できないのは、生まれた瞬間からDNAや血筋に自信が持てない、「何やっても無駄だ」という無力感があるからだと思います。貧乏出身でありながら成功している人たちは、「意味ある貧乏(挑戦の結果としての貧乏)」から出てきているケースが多く、また、その挑戦する姿勢は成功も生むので、成功と失敗、リスクとリターンの関係が自然と体に身に付いているのでしょう。

 

 

日本一になれ、と父親から刷り込まれただけあって、

小学生時点から既に、がむしゃらに勉強をしていたと言います。

 

また、小学生時代は、

虹を捕まえる

と意味不明な思いつきから、虹に向かってがむしゃらに歩き続けて、結局捕まえられず、疲弊していじけたというこれまた天然?的なエピソードがあります。非常にまっすぐで、没頭したら周りが見えなくなるような気質があったのでしょう。

 

父親は、パチンコ屋やレストランを経営していましたが、孫少年に

何かいいアイデアはないか?

と常日頃尋ねていたと言います。

 

父親は、孫少年を「お前は天才だ」と発奮させましたが、1番褒めたのは「誰も思い付かないようなアイデア」を思いついた時でした。そして、父親は孫少年が思いついたアイデアをどんどん事業に取り入れていたそうです。孫少年はこの頃から、自分のアイデアが父親に取り入れられて実行されていくのを見て、

「何がうまくいき、何がうまくいかないか」

というのを少年ながら見ていたとされています。

 

言わずもがな、父親が商売をやっていた、これは孫少年に与えた影響は大きいでしょう。父親が公務員であれば、あのような天才は生まれていなかったとされます。やはり、親の影響は大きい、育った環境は大きいのです。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

人の人生は環境が作ってしまう。親や友達、親戚、交際相手の影響を受けてしまう。なりたい自分になるために、相応の環境を敷いているだろうか?

 

孫正義の父親もすごい人で、

苦境から、違法スレスレ(というか違法)ではあるが商売を成功させ、

裕福になってしまいます。

 

パチンコが下火になった時も、釣り堀を掘って、

赤鯉を釣ったら1万円

などの奇抜なアイデアで乗り切ったと言います。

 

子供には、

俺は今は生活のため、目先の銭金の商売をしているけれど、本当はこんなことしたくない、これは男子の本懐ではない、いいか、お前が大人になったら目先の銭金に人生を費やすんじゃないぞ、お前なら必ずできるからな

と言い聞かせていたようです。

 

 

また、いつも鏡の前で笑顔の練習をし、

商売人には笑顔が大事だからな

と言っていたそう。

 

 

孫正義も、「ニコッ」と笑うその笑顔で、後にシャープのお偉いさんをメロメロにさせて億円級の取引を成立させますが、この父親の凄さの影響というのはかなり大きいようです。

 

僕が今でも尊敬するのはオヤジですね。オヤジは全くのゼロからというよりマイナスからのスタートだった。色々な困難がある中で、それを乗り越える情念と執念ね。そして常に自分の頭でアイデアを生み出していくんですよ。

ー孫正義

 

 

日本人は公務員賛美主義です。公務員になれ、とうるさい親も、特に地方には多いし、この手の親は子供が商売をすると言ったら怪訝な顔をする人も少なくありません。孫少年は自然と、父親から商売の帝王学を学んでいたと言えるでしょう。

一方、養豚業を営む祖母は、豚の餌にするため、近所から残飯をもらって回っていたと言います。

 

 

小学校3年生の頃は学校の先生になりたいと思った時期もあったそうですが、

国籍の問題でなれない

ということを父親に言われて、帰化するように頼み込んだり、周囲からいじめられたりしたという稀有な経験も積んでいます。

 

 

 

3:喧嘩ではなく、交渉。類稀なるビジネスセンスの萌芽。

 

通常、出自が悲惨だったり、コンプレックスがあったり、人と揉めたりすると暴力的な手段に走る人は少なくありません。

日本で犯罪者になった人、指名手配犯になっている人の出自を調べていくと、元々裕福だった・エリートだったのに、どこかの段階で挫折して、そこから反社会的・反抗的になり暴走しているケースがあります。

 

しかし、そうじゃない人もいます。

 

孫正義には、幼少の頃から類稀なる「交渉センス」がありました。

例えば、中学時代。どこの中学生も、血気盛んなヤンキー少年、悪少年というのはいますが、孫正義の中学時代にも「この学区とこの学区で対立」というものがあったそうです。縄張り争いからの暴力への発展。

その際、孫少年は、

 

待て!お前らの大将は誰だ!サッカーでケリをつけよう!

 

と交渉し、サッカーをし、お互いに実力を認め合って仲良くなったり、あるいは中学時代にあまりにも食事が美味しくなかったため、校長に対して直談判しに行ったら怒られるどころか

あいつ、面白いやつだな

と思われたり、というエピソードに事欠かず、「対立」をうまいこと「融和」に収めながら、自分の守るべきところは守る、通すべきことは通す、相手に要求を飲ませる、あるいは自分が譲歩するということをうまくやっています。

特に、ホリエモンとの差をつけたのはその点に依るところが大きいと考えられます。

 

 

 

 

  1. 若くして成功した
  2. 急速に台頭する新興産業の勢力だった
  3. 既存勢力を買収しようとした
  4. 資本市場を使ってメイクマネーしまくった

これらの点で、ホリエモンと孫氏は似ていますが、一方は叩かれ・潰されてしまい、一方はそうじゃなかったというのは、

喧嘩にもっていくか、融和に持っていくか

というあたりのセンス、主張の通し方や譲歩の仕方に差があると言えます。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

孫正義は、中学、高校の学校の先生が、「話をまとめるのがうまかった」「人気者だった」と証言しています。安本性から取ったのでしょうが、「やっさん」と呼ばれて親しまれていたそうです。

人と人との交渉において、特に対立シーン、ぶつかるシーンにおいて、その交渉をうまくまとめられるか?すぐ喧嘩して利益を取り損ねていないか?

 

よく揶揄されるように、孫正義の起業というストーリーというのは、初期は発明でメイクマネーをしたりするものの、基本的には

何も作っていない

事業家ではなく投資家、虚業家ではないか?

と揶揄されるように投資センス・未来予測の才覚、交渉力に依る成長が大きく、交渉の経験値が違います。ずば抜けた交渉能力で駆け上がってきた部分があるのです。

 

どうも、技術屋、技術にこだわりがあるタイプは、その思い入れゆえに「喧嘩腰」になってしまうところがあるようです。若き日に孫正義と並び若き天才と称賛され、火花を散らしたアスキーの創業者である西和彦も少々喧嘩癖があり、これによって途中で失敗した節があります。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

ビジネスは喧嘩好きには向いていない!

喧嘩好きは弁護士になろう!

 

ホリエモンの場合、元々プログラマーであり、技術屋で、「何かを作る」という作業をしていたのが、時代の追い風でどんどん成長し、やがてITコングロマリット化し、メディア露出、買収劇に展開していくのですが、著名になった時点で孫正義とは交渉能力の差、その経験値の差がかなり開いていたと思われます。

ホリエモンの若年期にはスポーツ経験も、海外経験もありません。いじめられた経験もあまり無いようです。

 

特に、歳上に気に入られる能力

は天地の差があったようです。

孫正義はホリエモンより結構歳上なのですが、ホリエモンと比較的同世代だとサイバーエージェントの藤田社長がいますが、彼はホリエモンを「スリップストリーミング走法のように利用してきた」という話をどこかでしていました。

NO TELEPHONE

に代表されるように、人々が言えない、やれないことをやってくれる稀有な存在、既得権益や厄介な問題に舌鋒鋭く切り込んでくれる存在で、叩かれても痛くないキャラクターが浸透しているため、将来総理大臣になることもあり得る、みたいな話をしています。

 

それぞれの個性なので、それぞれで良いのですが、「社会に根を張る大企業」になるためには、やはり日本社会ではどうしても、あまり角が立ちすぎると難しいところがあるようです。

 

孫正義の人生を振り返ると、

こういう、人との交渉の場面で、

なんかあいつ面白いやつだな

と思われるエピソードは彼の人生で頻発します。

 

人と揉めても、収め方がうまいのです。

グロービスのトップ(創業者)にTwitterで

政商

と言われたことについて孫正義が抗議しているシーンですが、ここに彼の交渉能力の高さがあらわれています。相手に対して自分の思っていることを比較的柔らかい口調で激しく主張し、相手の発言を撤回させ、相手が呑んでくれたらニコッと笑顔で握手、抱擁するというのは、日本の大人ではなかなか見られないタイプです。

 

言うべきことはいう、

主張することは主張する、

しかし仲良く丸く収める。このセンスが抜群なのです。

 

簡単に言うと、器がでかい、というやつです。

 

よく知られた話ですが、孫正義がシャープに対して発明を売った際、シャープのお偉いさんに気に入られたり、後の起業の場面で手を貸してもらったりするシーンがあるのですが、

可愛かったから

と証言があるように、数々のオヤジ殺しエピソードが頻出します。彼は根本的に人に愛される、気に入られる性格をしているのだと思います。

 

 

 

4:孫正義は誰に憧れたのか?

 

孫正義は、

  1. 織田信長
  2. 坂本龍馬

を大変リスペクトしていることで有名です。

また、15歳歳の離れた弟、ホリエモンの同級生、ガンホーオンラインエンタテイメント(パズドラの会社)を創業した孫泰三に対して、

日本三大偉人は聖徳太子、織田信長、坂本龍馬である

と日頃から説法していたそうです。

そして、この三大偉人の共通点は、新しいテクノロジーを導入し、イノベーションを促進した、という点だそうです。

 

孫正義の歴史好きは中学2年から。

この頃から、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長などの戦国武将の本を読み漁るようになったと言いますが、特に織田信長がお気に入り。

伝統主義の破壊、合理主義の追及の性格が気に入ったようです。

 

また、織田信長は、

  1. テクノロジー
  2. ファイナンス

をおさえたという点で偉大と考えているそうです。

鉄砲の導入はよく知られていますが、問題は火薬。当時の日本ではほとんど火薬は産出しないため輸入頼り。よって港をおさえることが重要でした。信長の進軍・進路を辿っていくと、港を重点的におさえていったこともわかります。千利休を筆頭とする茶の人間は武器商人という顔も持っており、故に信長は彼らと密接な関係を築いたとされます。こういった信長の戦略的は発想に孫正義は惚れていたのでは無いかと考えられます。

 

「人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり」 ー織田信長
「露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢」 ー豊臣秀吉

彼らの言葉に触れ、人生は短く、儚いものだという感覚は中学生にして彼の脳内に刷り込まれていたと考えられます。

一方、40代で死んだ信長、60代で死んだ秀吉と比べて、70代まで生きて出世も遅かった家康は、

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」

という言葉を残しています。孫正義は、江戸の270年は一切経済成長していなかったと評している点であまり徳川家を評価しているように思えません。

孫さんにとって大きいのは、やはりリョーマ、信長でしょう。



織田信長に関しては、戦国武将の中で初めて「天下統一・天下布武」というビジョンを掲げた人物として知られており、当時の戦国武将の多くは地元を守ることだったり目先の戦いに目を奪われる中、信長には明確な目的意識がありました。拠点も名古屋、清洲、小牧、岐阜、安土と転々と移しました。また、自分の寿命も計算していたと考えられ、京を目指すにあたり、構ってる暇がない連中とはさっさと同盟を組んだりしましたし、特に信長と家康の関係は注目に値するもので、信長は家康に東サイドを任せて京に邁進したことが知られています。

孫正義は一度、ソフトバンク社内で織田信長がいかにして領土を拡大したか、そのペースを調べさせたことがあり、ある時期から信長の領土が急拡大していることに注目。その頃から信長が天下布武というスローガンを掲げ始めたことに着目し、彼は「やはりビジョン、ビジョンが無いと人間は、本人は一生懸命山を登っているつもりでも同じところをぐるぐるとまわってしまい、それだと狭い円から抜け出せない、ビジョンがあれば一目散に高みを目指せる、最終的に大きな山を登れる」と言ったとされます。

現在の孫正義は「投資家化してしまっている」「事業家じゃなくなっている」などと感じている人も多いようですが、おそらく、孫社長は生き急いでいる部分があるのでは無いでしょうか。彼は、自らのツイートでも、人に話をした内容であっても、「焦り」というか思っているところに届いていない感覚を持っているようで、人生自ら立てた50ヵ年計画に照らしても本当は引退している年齢です。

 

孫正義より少し歳下ですが、楽天を創業した三木谷さん、この楽天の名前の由来は「楽市楽座」だそうですから、ここにも織田信長の影響を見て取ることができますね。

 

そして、孫正義は中学校3年生の時、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」にかなりハマります。

合本 竜馬がゆく(一)~(八)【文春e-Books】

 

今、日本で坂本龍馬がこれだけ有名なのは司馬遼太郎の影響によるもの、という意見があるぐらいこの本は名著であり、某転職サイトが年収1000万円以上の会員に対して実施した、「読んだ本が良いリスト」にも入っています。

もちろん、私も読みました。非常に素晴らしい本で、

一度きりの人生、何かやらなくては!

という気にさせます。

 

ちなみに、この選書リスト、私はほとんど10代の時に読んでおり、20代前半では聖書、三国志等を除けばほとんどコンプリートしていました。この観点から言った時、「一度きりの人生、何かやってやるぞ!」という気にさせるという意味では司馬遼太郎の本はダントツかもしれません。

  1. 7つの習慣―成功には原則があった! スティーブン・R.コヴィー

  2. マネジメント ピーター・F.ドラッカー

  3. 人を動かす デール・カーネギー

  4. ビジョナリー・カンパニー― 時代を超える生存の原則 ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I.・ポラス

  5. 孫子(孫子の兵法) 孫武(『孫子の兵法』著者は守屋洋)

  6. 論語 孔子

  7. 坂の上の雲 司馬遼太郎

  8. コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント フィリップ・コトラー、ケビン・レーン ケラー

  9. ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か エリヤフ・ゴールドラット

  10. 竜馬がゆく 司馬遼太郎

  11. 競争の戦略 マイケル・E・ポーター

  12. プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか ピーター・F. ドラッカー

  13. 三国志 陳寿

  14. 金持ち父さん貧乏父さん ロバート・キヨサキ

  15. 考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則 バーバラ・ミント

  16. 聖書

  17. 道は開ける デール・カーネギー

  18. もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海

  19. 企業参謀 大前研一

  20. 生き方―人間として一番大切なこと 稲盛和夫

 

 

孫正義は、高校進学を控えた頃、坂本龍馬の生き方に触れたのです。胸を打たれたのです。

何かしたい!!

そう思ったのも無理はありません。

 

意外と知られていませんが、これは後に経営者になった後に尊敬するようになったのだと思いますが、孫正義はアメリカのロックフェラーを尊敬しています。ロックフェラーといえば、石油ビジネスの黎明期に石油の加工業や流通を抑えていったその先行投資の手腕によりアメリカ史上最高の富豪になった人物です。現在の孫正義の動き方というのはまさに情報革命時代におけるロックフェラーのような動きをしているのだと解釈できます。

最近の動画では、「情報革命時代のロスチャイルドを目指す」と発言しています。


(現代資本主義を作ったロックフェラー・ロスチャイルドについては、「スペシャリティキャリアシリーズ インベスター」を参照)

逆に、彼は尊敬しない経営者、良く無いと考える戦国武将もいるようですが、それらはどうも時代の流れに抗った人たちです。時代を読み間違えて、抗うと滅びる、という教訓も武田勝頼より得ている様子があります。孫正義は、斜陽産業に人生を賭けるのは経営者として失敗だと考えている節が父親とのやりとりから伺えます。

 

 

孫正義がなりたい職業については、すでに触れた先生も含めて、

  1. 先生
  2. 画家
  3. 政治家
  4. 事業家

のいずれかが候補に上がっていたそうです。そして、そのどれもがクリエイティブまたは比較的自由な仕事です。どこかの映像で見たのですが、画家に関しては「食ってはいけない」と忠告されたため候補から外したそうです。

結局、最終的には政治家か事業家に絞ります。政治に関しては、織田信長や坂本龍馬に興味を持っていただけあってかなり惹かれていたはずですが、当時の世相とは違って今の時代に政治家になったとしても、ダイナミックは動きはない、固定化されていると考えたようです。

そこで、彼は事業家を選びます。

この選択の経緯を考えても、彼は「時代を読む目があった」のは間違いありません。実際、戦国武将や歴史上の偉人に憧れたところで、現代の政治家になってもダイナミックな動きはなかなか難しかったでしょう。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

その時代において、自分が今後生きる100年において、世の中はどう動くのか、その中でそれぞれの職業はどんな働きを持つのか、考えてみよう

 

また、孫正義が中学校3年生になる頃、父親はパチンコがうまくいき、出店数をかなり増やしていました。実家もかなり裕福になっていました。この成功した父親の影響は大きかったようです。

 

 

サッカー部を引退した孫正義は、勉強に集中し、見事久留米大学附設高校に入学。

一時は東大経済学部を出て事業をやろうと考えていたようですが、高校1年の夏休みに参加した英語研修ツアーで人生が変わってしまいます。

 

高校時代の孫正義について(※日本の高校には1年もいないが)

担任は、「怖いくらいに大人びていた」と証言している。あるとき、孫正義がやってきて、「塾の経営をしたいと思っています。先生、私が経営する塾で働いてくれませんか」と持ちかけたという。その際、「先生、今はいくらもらっていますか」などと問いかけて言葉を濁しているところ、「今より出しますよ」と畳み掛けてくる調子だったという。

 

 

 

5:孫正義とアメリカ

サンフランシスコ空港に降り立った孫正義は目を疑います。空港のスケール、ビル、道路、自動車、ショッピングセンター、スーパーの買い物カゴ、とにかく何もかもがでかいわけです。

そもそも、

佐賀→福岡

という世界しか体験したことがないのに、首都東京をすっ飛ばしてサンフランシスコに行ってしまったわけですから、その衝撃たるや、です。

グランドキャニオンやヨセミテ国立公園を見て目が点。

英語研修の舞台はカリフォルニア大学バークレー校。学生達の自由な振る舞いに目を奪われる。キャンパスにはめちゃくちゃな人間が溢れかえるが、一方でノーベル賞を受賞している学者も多いと聞く。1ヶ月の滞在で、完全に心を奪われてしまった。

孫正義は帰国して二学期が始まるなり、即、退学届を出す。先生や友達に止められます。また、その頃、父親が病院で入院しており、孫正義は「海外に行く!」と言うと親戚中から

親不孝!

と叩かれたそうですが、それでも行くと、意志を通したそうです。

「病院の先生に聞いたら親父は死にはしない、これから何十年先のことも考えたら家族のためにも何か大きな事を成す必要がある」と。父親からは、最初からいなかった子供(4人兄弟だが3人兄弟)として考えると言われ、母親は泣き崩れたという。

 

ちなみにこの決断・行動は、孫正義自身は自分の中で、坂本龍馬の「脱藩」と重ねていたことは言うまでもありません。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

お父さん、お母さんに反対されたからといって、自分のやりたいことを曲げていないか?進路をお父さん・お母さんに委ねていないか?

 

 

それと、孫正義は日本マクドナルドのトップだった藤田田が書いたベストセラーに感銘を受けて、会社に電話をかけてしつこく交渉して、実際に会い、「アメリカに行くが何を勉強すれば良いか」と尋ねて「これからはコンピュータだ」と言われたという有名な話があります。

会社に電話すると当然、本人ではなくてアシスタントに繋がるわけですが、

私は仕事の邪魔をしない、私がいる間藤田社長は何をやっても良い、私はただ藤田田社長の見たいだけ、3分だけで良い

などと交渉をし、結局、15分だけマンツーマンで会話する機会を得ます。何度も何度も電話したため電話代が高くなり、「飛行機のチケット代の方が安くなりそうだから」といって直接上京したのは有名な話です。藤田田の教えにより、

情報革命に人生を捧げよう

という孫正義の道筋が決まっていくのです。これは渡米後、ポピュラーエレクトロニクスという雑誌にマイクロチップが乗っていた衝撃と重なる形で彼の進路を決めていきます。2歳年上のビルゲイツ・スティーブ・ジョブズもまた、比較的同じ時期にポピュラーエレクトロニクスの情報に触れて衝撃を受けていた世代です。

 

 

孫正義は渡米後、カリフォルニア州のオークランドの英語学校でまず半年間徹底的に英語の勉強をしました。日本人がいて、日本人同士でグループを作っている連中がいたそうですが、絶対に入らず、徹底的に英語を使ったと言います。そしてサンフランシスコ郊外のハイスクールに入学。教科書に一通り目を通すと内容がわかってしまい、レベルが低かったので、校長にすぐ「進級させてくれ」と直談判。あまりの迫力に好調も許可。しかし、孫はやがて、まだ17歳なのに、

大学に入れさせてくれ

と交渉し始めます。しかし、流石にそれは通らない。ただ、校長に、「高校卒業認定される試験がある」と教えられて、孫正義はこれを受ける事を考えます。1日2科目ずつ、3日間行われる計6科目の試験。1科目でも落ちれば1年待たねばならない。全科目に合格しなければならない。

 

高校卒業検定試験の当日、

これは落ちたな・・・・

と孫正義は愕然とします。問題用紙は50ページ、しかも全部英語。英語で読解し問題を解くのは困難。そこで試験官を呼び、

僕は外国人で、英語を読んで内容を掴むのに時間がかかってしまう、わからない単語がある、でも単語さえわかれば内容は理解できるかもしれない、単語の意味がわかるように辞書を使わせてほしい、そして辞書を使うから時間がかかるため試験時間を延長してほしい

と交渉を始めます。

 

普通、まず、そんな交渉は通らない、と考えるでしょう。

 

実際、試験官は断ります。そんな前例はない、と。

 

しかし、ここからがすごいところです。

日本で高校を卒業した日本人は、もう一度高校を受けろと言われずに大学に入学することができる点を指摘。日本の高校卒業は、アメリカの高校卒業に匹敵すると、国際間で取り決めがなされているからであり、大事なのは英語力ではなく、「高校卒業程度の学識があるかどうか」という点で、孫正義は日本で高校を終えていないからこの試験を受けるが、とはいえ日本にいても高校は卒業できる。内容は理解している。問題は英語である。内容を確認するための試験であるのに、英語で引っ掛かるのはおかしい。だから辞書を使わせてくれても良い。それが駄目だというのなら納得できるように説明してほしい。

こういった趣旨で交渉に入るのです。実にロジカルです。

 

試験官は言葉に詰まります。そこで孫正義は、

州の教育委員会に今すぐ電話してくれ、あなたの説明では納得いかない!

とゴリ押し。このルールを作ったのは教育委員会であり、あなたはそのルールが正しく運用されているかを監視する人で、あなたと話をしていても仕方がない、州の教育委員会に電話してくれ!

とくらいつきます。

 

試験官はしぶしぶ、職員室へ。

そして、戻ってきて、

 

やっぱりNOだ

 

と答えます。

すると孫正義は

どうやって説明したんです?僕が言った通りに説明しましたか?

と問い詰める。そしてぶつぶつと喋りだすと、

僕と同じくらいの情熱を持って話しましたか!

と問い詰め、もう一度行こう、僕が説明する、と異常な気迫でなんと教育委員長と直接電話を始めます。許してくれないならば、何時間でも粘るという勢いで電話を続け、とうとう、教育委員長が折れてしまいます。

延長時間については、

ある程度

という許可が出され、明確に決まった時間ではなかったことに孫正義は目をつけます。ここを徹底的に利用します。

 

そして、試験時間が終わりみんなが帰って、2時間経っても粘ります。試験官は時計をチラチラ見て、プレッシャーをかけますが、孫は

何をやってるんですが!あなたは教師じゃないですか!学生がこんなに一生懸命にやっているのに!気が散って仕方がない!僕が終わるまで貴方は帰ってはいけないんです!

と一喝。

試験官は、若干、孫を恐れ始めていたのではないかと想像します。

結局、本来、午後3時に終わった試験を午後11時まで引き伸ばします。二倍の時間を使ったのです。お腹が空き、喉が渇き、ヘロヘロですがやり切ります。試験官も相当疲れ切っていたそうです。二日目の試験も午後11まで、3日目は0時まで伸ばしたと言います。

 

想像できますか?教育委員会会長まで電話を繋ぎ、粘って粘って交渉し、そして通常の試験時間の二倍をかけて飯も食わず飲み物も飲まずに徹底的に粘るという試験を・・・・(しかも海外)

 

異常ですね。

 

2週間後、合格通知が届き、孫は飛び上がります。

 

しかし、自分でも

よく受かったな・・・・

と驚いたそうです。

 

彼は、執念で道をひらいたのです。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

合理的なロジックを立てて、情熱をセットにして、人に訴えて交渉し道を開こうとしたことがあるだろうか?しつこく粘り、諦めずに物事に向かったことがあるだろうか?一度断られた、うまくいかなかったからと言って諦めていないだろうか?

 

日本なら日本史ですが、アメリカならアメリカ史な訳で、わからない分野もたくさんあり、問われる領域の深さも深い。

 

執念、交渉力、アイデアが開いたサードドアでした。もちろん、日本では「東大に行けるコースに乗っていた」という元々の地頭の良さがあること(それを作るためにかなり勉強していた人間であること)を忘れてはいけません。

日本トップレベルの勉強力がありながら、リスクテイクの意志も、情熱も、執念もあったのです。

 

こうして、孫正義はハイスクールを退学。試験で得た卒業資格で、一度ホーリーネームズカレッジを経由し、UCバークレー経済学部三年次編入します。1977年のことです。孫正義ハタチの頃です。高校1年生の頃に衝撃を受けて憧れたキャンパスにようやく辿り着いたのです。

 

大学では勉強の鬼になったと言います。特にホーリーネームズカレッジの時はそうだったのでしょう。片手に本を持ち、片手にフォークを持ってご飯を食べながら本を読んでいたそうです。それぐらい勉強をした。

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

「大学は遊ぶところ」だろうか?

死ぬほど勉強しているだろうか?

 

俺より勉強したやつはいるか?絶対いない

ー孫正義

 

 

しかし、頭は次のステップを考えていました。

大学を卒業して就職する気などサラサラない。学生のうちに軍資金を作り、さらに会社を動かしていくためのノウハウも得なければならない。

 

 

 

6:孫正義と起業

 

学生時代、誰もが

「お金が欲しい」

と思い、アルバイトをしたことがあるでしょう。

 

孫正義も一瞬、

ハンバーガー屋でアルバイトをしようか・・・(末端から経営やシステムの勉強ができるし)

と思ったそうですが、すぐにその案は捨てました。アルバイトは確かに勉強になるが、時間効率が悪い、と考えたそうです。さらに、勉強ばかりしている孫にはバイトしている時間などありません。

 

ここがまさに、凡人と彼の違いでしょう。普通ならそこでアルバイトをしてしまうところです。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

孫正義は自らの意思で父親からの仕送りを絶ったそうですが、一方でそれまでは父親から月20万円の仕送りをもらっていたとされ、この点からも彼の実家の裕福さが伺えるでしょう。アメリカに行くことができたのは実家の財力によるところも大きいのです。

 

孫正義はこの時期、

1日5分の仕事をして月に100万円以上稼げる仕事ないかな?

と友人に尋ねて、

アホかお前

と返されてしまいます。

ここまでは、割と、世間の高校生や大学生、凡人の大人と変わらない発想でしょう。

 

しかし、ここからが違うのです。

そこで彼は思いつきます。発明で稼ごうと思ったのです。それまで孫正義は具体的な発明のような事したことありませんでした。しかしチャレンジしてみる価値あると思ったのです。発明品を商品化していくためには試作機を作り、特許出願し、どこかの会社に売り込み、そして契約を交わす必要があります。これらの経験は起業力を身につける上でも貴重なものとなる。だからやろうと思ったのです。時間の使い方として、良い経験だと思った。

そこで早速書店で特許関連の本を大量に買い込む。一方で1日に1つ発明することを己に課しました。これは脳のトレーニングになったと思います。2つや3つの発明を考え出して商品化するのはあまりにも当たり外れが大きすぎると考えた孫正義は、それよりも数限りない候補の中から選び抜き、絞り込んだものを商品化していくべきだと考えました。

 

孫さんの発想の根底には、量が質に転化するというものがある

ー三木雄信
のちに孫の右腕となった男

 

やがて、発想のパターンにマンネリを感じた孫は、

そうだ!発明のプロセスを発明すれば良いのだ!

と思い至ります。

彼は、発明のパターンは、

  1. 問題解決思考
  2. 水平思考
  3. 組み合わせ思考

の3つしかないと分類し、3に注目して、英語の単語の暗記のために使うカードを持ってきて、これに目についたものを書き込んで、シャッフルしてアイデアを出すようになります。やがてこれをコンピュータにプログラミングして自動でやるようにしました。その際、それぞれのアイデアに対して、自分の習熟度はどうかとか、コストはどうかといった指標を付加して、それぞれを組み合わせて、ランキング形式にするなど、発明のプロセスを発明。こうして無数のアイデアを出していきます。

 

その中で、儲かりそうなアイデアはいくらでも出ましたが、

もっと志が高いことがしたい

と思い、儲かる「だけ」のアイデアは切り捨てていきます。儲かるだけではなく、そこに大きなビジョン、展開、新しい時代を捉える要素があるか。

実は、あの孫正義も「便座カバー」などのアイデア商品で起業しようかと一瞬思ったタイミングもあったそうです。しかし、そういうものは切り捨てた。

 

そして、絞ったのが音声機付き電子翻訳機です。

早速優秀な人材が多くいるバークレー校において大学の教授や研究者の名前を連ねた職員名簿を手に入れ、片っ端から電話をかけてきました。その際プログラミングについて1番有能な先生は誰か、スピーチシンセサイザーの権威は誰か、ということを聞きながらたどっていくと共通の名前が出てきます。こうして人を絞り込んでいき優秀な人材を口説いていったのです。もちろんタダでとは言わずプロジェクトですから報酬を支払うという契約を結びます。一方で資金がない孫正義は現在資金がないことを説明し、出来高払いの成功報酬、つまり試作機ができてどこかの会社に売り込んできて契約してもらったお金を払うということを約束しました。ここでも交渉上手を発揮します。こうして孫正義はNASAの宇宙衛星アポロに最初にマイクロコンピューターを搭載したときのハードウェア設計者や人工衛星のコンピュータの組み立て技術者、バークレーラボの原子力科学研究所のソフトウェア設計者と交渉し全員を協力させることに成功したのです。

バークレー校の宇宙物理学教授フォレスト・モーザー(ワンチップコンピュータによるスピーチシンセサイザーの世界初の実用化に成功した人物)を引き込めたことは特に大きかったようです。

 

  1. アイデア
  2. 交渉力
  3. 時代を読む目、未来を見据える目
  4. リーダーシップ

が素晴らしいことがわかります。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

ビジョンがあり、アイデアがあれば、自分に技術がなくても、技術がある人たちに声をかけて、交渉し、束ねてプロジェクトを組成し儲けることができる。技術がある人たちはそれなりの報酬や、ロマンを提示されれば乗ってくれることは多い。

ナンパもビジネスもそうだが、

・アイデア
・ビジョン
・行動力
・リーダーシップ
・交渉力

によって新しい道が開かれていく。自分の力で切り開いていくことができない場合、目の前にあるありあわせのもので満足する人生しか待っていない。

言うまでもなく、孫正義は同じ大学にいた女性に一目惚れして口説き落として自分の嫁さんにしてしまうわけだが、結婚式の際も、結婚の保証人がいないということでその辺のセキュリティの人間に頼み込んで実現してしまったりしている。

 

みなさん、このなかで、電子辞書を使ったことのある人は手を挙げてください。ほぼ全員ですね。その1台目のマシーンを最初に発明したのは誰だか知っていますか? 私なんですね。

それまで世の中に電子辞書というものは存在していなかった。さきほどのマイクロチチップの写真に感動して、即行動をおこして、このマイクロコンピュータを使ったら何ができるかということを考えた。

マイクロコンピュータを使って、LEDのディスプレイをつけて、フルキーボードをつけて、アプリケーションとしては辞書の翻訳をつけた。19歳のときに、最初の電子辞書を発明し、特許も出願しました。

試作機も作って、通っていた大学の教授と助教授を6人くらい雇いました。学生の僕が、自分の大学の教授に対して「僕のもとで働いてみませんか?」と誘って、プロジェクトチームを起こした。そして試作機を作ってその特許を取りました。教授たちには時給でお金を払いました。

最終的に余ったお金が1億7000万円。もうひとつ、コンピューターゲームのプロジェクトもやって、そちらも1億5000万円くらいでした。1年半で3億2000万円ほど稼いだ。それが、ソフトバンクの創業の資本金になったわけですね。

40年前の3億円っていうのは当時のお金ではなかなかのものですよ。ですから、僕は本当は、自分でモノを発明し、開発し、生産し、世に売っていくような人生を歩むこともできたんです。

当時思ったのは、自分の脳細胞の価値や範囲には限界があるんだと。

自分よりももっと賢い、自分よりも素晴らしいアイデアを持った人はたくさんいるはず。だから、自分のアイデアや作品1つに頼るよりも、世の中の多くの知恵のある人々、開発できる人々、彼らの力を全部集めて、その開発したプログラミングやデータなりを何千万人の人々に共有してもらう。

そういったプラットフォームを作ったほうが、自分の知恵がボトルネックになるよりは良いじゃないかと思った。そういうプラットフォームを作ろうということで、「ソフトのバンク」、ソフトバンクを起こしたわけなんです。まぁ、そういう自慢話はどうでも良いんですけど。でもちょっとだけ自慢したかった。せっかくたまにしか喋らないので、みなさんに自慢してみましたけども。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56034?page=3

 

孫正義にはアイデア力は十分あります。

スティーブ・ジョブズのようにイノベーティブな発明をやろうと思えば実際のところはできるのでしょう。

ただし発明の過程で、いろいろアイディアを出すこととそれを事業化する事は違うことに気づいており、彼の発言から見て「自分の発想でアイディアを発明するよりも、様々な世界のアイディアを束ねるプラットフォームになった方がより大きなことができる、世の中にインパクトを与えられる」という発想で現在の投資家のようなポジションをとっていることがわかります。彼には十分、発明能力はあるがあえてそういったクリエイティブな事はやっていないといったほうがいいでしょう。

 

孫正義は、バークレー校滞在中に奥さんも見つけて結婚しています。ちなみの奥さんは美人です。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

お金が欲しい、と思ったら、「アルバイトしよう」で終わらせていないか?

 

 

孫は、音声機付き電子翻訳機が出来るまでの間、まずはモーザー教授がライセンスを取っていた音声合成のスピーチシステムを売る独占権を得ようとしました。そして、モーザー教授がライセンス契約をしていた会社と交渉、販売権を獲得。

こうして、孫正義の始めてのビジネスが始動します。まだ、アメリカで大学生だった頃の話です。

 

UCバークレーという環境、世界トップクラスの人材が集まる環境というのも大きかったでしょうし、モーザー教授の名前の力も大きかったのでしょうが、孫は日本の各メーカーに手紙を送って好感触を得ます。

孫はすぐさま日本に帰って、

はじめての商談

で日本のメーカー10社と話を取りまとめてきます。

しかし、ここで思わぬ落とし穴が。孫に販売権を与えたモーザー教授とライセンス契約をした会社が、その盛況をぶりを知るやイチャモンをつけてきます。まさかそれほど金になるとは思っていなかったのです。これが、孫のビジネスの初めての挫折です。交渉は揉めに揉め、結局これは頓挫してしまいます。

結局、スピーチシンセサイザーの販売からは手を引きます。

 

音声機付き電子翻訳機の試作機ができると、孫は前もって手紙を出しておいたソニー、松下などの数十社のうち返事が返ってきたシャープ、キャノン、東芝、カシオに狙いを定めますが、孫は特にシャープかカシオのどちらかに的を絞りました。なぜなら、技術があるだけではなく、小さく軽く安くリリースできる力がある企業でないとこのアイデアは売れないだろうと思っていたからです。

そして、本命のシャープを口説き落とすためには、望みが薄い企業から回ろうと決めます。練習も兼ねてです。案の定、相手にされませんでしたが、最後の本命のシャープに乗り込む。

 

シャープでは当時の担当部長と5〜6名の部下に試作機を見せ、

「おもしろいけど・・駄目ですな、実用化という意味では程遠い」

と言われてしまいます。

「発想としては面白いけれど、契約できるほどでもないですね」

と言われてしまうが、孫には時間がない、あと1週間でアメリカに戻らなければならない。そこで、孫は交渉する相手を変える戦法に出ます。あの担当部長と話をしていたのでは駄目だと判断したのです。上の人と交渉しよう、と考えます。

そこで、彼はシャープから出て、近くの公衆電話ボックスに入り、弁理士協会に電話をかけて、コンピュータ関連の特許に強い弁理士さんを紹介してもらいます。何人かの弁理士を紹介してもらうと、電話をかけまくり、「シャープに強い弁理士を紹介してくれないか」とダイヤルを回し続ける。何人目かの弁理士から元シャープの電卓事業部の特許担当をしてもらった弁理士を紹介してもらい、その弁理士に会いに出かけ、

シャープの誰と交渉すれば話が決まるか

ということを聞き出し、専務で中央研究所所長の佐々木正と、なら技術本部長の浅田篤(後の副社長)がキーマンであることを突き止め、その人に自分と会ってくれるよう言ってくれないか頼み込む。そして、佐々木氏はこれに応じてくれた。

孫は、この事実を提げ、先ほどの担当部長に電話を入れてこれを報告、相手は度肝を抜かれる。実は、担当部長はこの話を面白いと思っていて、浅田氏にも報告しており、結局、孫は

・佐々木正
・浅田篤

というシャープの二大巨頭を交渉の場に引き摺り出すことに成功するのです。そして、その場で試作機を見た浅田氏は、

これはなかなか面白いかもしれませんねぇ

と笑みを浮かべたという。

後日、佐々木氏にも会って試作機を見せることができた。佐々木氏はモノが面白いと思ったのもあったが、孫青年を見て「伸びるかもしれない」と直感したそうです。また、もし契約した場合の契約金の使い道はどうするかという話について、孫がプロジェクトメンバーに分ける、会社の収益にするという話を言ったことについて、その若さで会社をやっていることに驚いたといいます。

こうして、孫正義は初回の契約金2000万円を手に入れて意気揚々とアメリカに引き上げ、プロジェクトメンバーに成功報酬料を支払うことができた。その後、プロジェクトメンバーはさらに試作機を進化させるが、この一連の発明で孫正義は1億6千万円を手に入れることに成功する。まだ大学生の頃です。

 

また、孫はアメリカと日本を行き来することが多くなるが、日本ではインベーダーゲームが熱狂的ブームを起こしており、これを見ながら先を読んでいました。このブームは一時的で必ず下火になる。そしてソフトに人気が無くなれば、機械丸ごと値が落ちる。

閃きます。

ブームが去った時、ただ同然の価格で買い漁って、アメリカに送り、一儲けしよう!!

実際読み通り、人気は去ります。孫は早速、製造会社に出向き、在庫を買いたいと交渉。その価格を一台5万円と提示し、「アホか!」と一蹴されてしまいます。それもそのはず、元々一台100万円だったのです。しかし、孫はこう畳み込みます。

嫌なら良い。ただしこのまま倉庫に保管しておくと、倉庫代がかかる。倉庫に置いておけば売れるのか?またブームが来ると思っているのか?今なら5万円になるが、時間が経てば経つほど売れなくなる

というロジックです。さらにこの交渉の過程で、手形を切れるかと言われて、「手形は切らない主義だから。3ヶ月後にちゃんと現金で支払います」と言い、相手は呆れて、しまいには笑い出してしまったと言います。

 

アメリカにインベーダーゲームの機械は送ったは良いが、今度は置く場所がない。置いてくれる場所がない。そこでまたまた孫が交渉に出ます。レストランに出かけて、客に扮して食事を済ませるとそこの店長に、

面白いものがある。インベーダーゲームを置いてくれないか

と頼みます。当然、相手は不信感を抱くようになります。しかし、孫はこれを先回りして、「あなたはただで置ける。売上の半分はあなたに置きましょう。ここは学生の町だから学生がやってくるかもしれない。あなたにリスクはない。僕がリスクを背負う。三日置いて邪魔だと思うなら、引き上げます。とりあえず置いてみてほしい」と頼み込みます。

こういった交渉を各地で粘り強く続けます。実際、孫が睨んだ通り、ゲームを置いた店では客が増えます。また、ゲームの収入も店主に入るようになります。

 

このやり方で、孫はなんと、半年で1億円を超える利益を上げたのです。

繰り返しますが、これも在学中に成したことです。

 

当時の2億というのは、今の2億より価値が高いです。

 

平均的サラリーマンが一生かけて稼ぐような額を孫正義は大学を卒業する前にたった2年ほどで稼いだ

計算になります。

 

 

凡人の一生、孫正義の2年

 

 

99%の日本人が、孫正義の大学生時代のレベルに及ばないまま人生を終えてしまいます。

 

大学生時代の孫さんの勢いは止まりません。

さらに、大学近くにある大きいゲームセンターを2000万円で買収(人生初のM&A)。ゲームセンターの機種別の売り上げをグラフ化し、人気のない機種を減らして、人気のある機種を増やしていきました。

従業員も入れ替え、働きのわりに給料が高い、柄が悪い、そういう人間を辞めさせて学生アルバイトを雇い入れ、彼らの給料は安くする代わりにゲームで無料で遊ばせたのです。

こうして、買収したゲームセンターの売上を1ヶ月で三倍にすることに成長。

 

天才というほかないでしょう・・・・・・・。

 

 

 

7:孫正義、帰国

 

1980年、孫正義はカリフォルニア大学バークレー校を卒業すると同時に日本に帰りました。アメリカに作っていた会社は、副社長に任せました。

日本に帰ってきた頃から、安本ではなく「孫正義」という本名を名乗り始めます。親や親族は、通名ではなく本名で勝負することを反対したそうですが、孫正義は言うことを聞かなかったそうです。多民族国家のアメリカで過ごしたことにより、自分の血筋に対するコンプレックスは無くなっていました。

 

学生にして、25名の社員(全員大人)を雇っていた学生時代の孫正義ですが、稼いだ億単位の金は会社に突っ込んでいたため、日本に帰ってきたときはお金がなく、新しい事業を始めるにあたって銀行から金を借りたそうです。営業活動など一切行わず、 朝の9時から夜中の2時まで事務所にこもり、様々な資料に目を通して、長期的な戦略を練っていたそうで、売上が会社に全く入ってこないことを心配したソフトバンク従業員は、会社が潰れるのではないかと不安になったそうです。

 

あの有名な、

豆腐屋のように1兆、2兆と売上を数えるビジネスを起こす!

とみかん箱の上に立って宣言して、社員が呆れて逃げたという有名なあの逸話はこの頃の話です。この逸話は、テレビなどでも紹介されていますが、実はそのみかん箱の上に立って宣言した話の前に既に、軽々億単位の金を稼ぐような経験をしていたというわけですね。日本を代表するメーカーとの交渉経験も既に持っていた、東大をはるかに卒業する大学を出ていた、そこの人材を束ねたリーダーシップの経験も持っていた、まさに自信の塊だったわけです。その自信を支える根拠もあったわけですね。

(実はその逸話の前に既に成功していたのです。成功していた事業をアメリカに置いてそのまま帰ってきたのです。お金も会社に置いてきました。渡米する際、親に大学を卒業したら帰ってくると約束をしたのもあったそうです)

 

 

福岡・博多の雑餉隈で立ち上げますが、初期の1000万円は九州の銀行から借りたそうです。

 

23歳の青年は、

  • 若くてもできる
  • 儲かる
  • ユニークである
  • 日本一になれる
  • 構造的に業界が伸びていく
  • 資本がなくても良い
  • 将来の企業グループの中核になる
  • 自分自身やりがいを感じる
  • ユニークである
  • 人を幸せにできる
  • 世界中に拡大できる
  • 進化を味方にできる

などの条件を書き込み、25箇条を満たす事業として、コンピュータの機械、光ファイバー、病院チェーンなど40ほどのアイデアが浮かんでは消えたそうです。一生を賭ける事業ですから、そのための精査は徹底する。実は、初期の社員(2人の従業員)は、この調査のために雇われていたのです。

手っ取り早く小さい業種から始めれば、確率論で言えば10年後・20年後に必ず頭打ちが来るということを見越して、スケーラビリティのある事業・業種を選ぼうとしていました。一度土俵を選んだら、これから何十年もそこで戦わねばならないからです。

すごいのは、この調査が徹底していて、なんと1年かけたそうです。40もの事業アイデア1つ1つに対しての資料を膨大に集め、スタートから10年のビジネスプランを作り、予想損益計算書、予想バランスシート、予想資金繰り表、予想人員計画、マーケティングプラン、競合分析、市場規模の大きさ、徹底的に調べたと言います。

あんなに大騒ぎしてアメリカに行って、帰ってきたら浪人みたいになって、奥さんのお腹に子供がいるというのに何考えているんだろうね

と親戚から揶揄されることもあったそう。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

短期のメイクマネー、瞬間的な稼ぎのチャンスは勢いよく飛び込み、一生を賭けるような長期戦の仕事や長期の人生計画はしっかりと練る

 

コンピュータのハード会社、ソフト制作会社、貿易会社、病院のチェーン、情報関係の出版社・・・・さまざまな候補が上がりましたが、コンピュータ業界が1番良いと孫正義は判断しました。マイクロプロセッサーが与える革命的影響は、まずパーソナルコンピュータに始まり、あらゆる生活用品、電話にも自動車にもテレビにも取り入れられるに違いないと確信したのです。

さらに、個人のレベルで使われているコンピュータもやがてネットワーク化されて、デジタル情報革命が起こる。その時にデジタル情報革命に対応できるようなインフラを取れれば大きなところを握れる。そうして大きなところを押さえれば良い。まずは個人レベルで使われているパソコンに最も必要なソフトウェアの流通から始めよう。全国にパソコンソフトの会社はできてきて、小売りもあるのに、仲介する本格的な卸売業者はいないからチャンスだ。

こうやって、ソフトバンクはソフトウェアの卸売業者としてスタートを切りました。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

地球規模のロマン、めちゃくちゃな情熱もありながら、足元もきちんと見つめることができる孫正義。彼はロマンを現実化した。あなたのロマンは現実化しているだろうか?していないとしたら、孫正義とは何が違ったのだろうか?考えてみよう。

 

その頃、孫正義はシャープの佐々木氏にアドバイスを受けて、「上京すべき」と判断し、拠点を東京に移します。東京の方が、ベンチャーが育ちやすい生態系がある、関連し合うシステムがあるからです。こうして、孫正義は1981年の夏に東京に進出しました。24歳の頃です。

 

 

8:24歳、1000万円を初っ端からブッコム

 

東京は縁もゆかりもない土地でしたが、16歳で渡米した孫にとってそんなことで精神的に辛くなることなどは一切なく、東京・麹町に日本ソフトバンクを設立。オフィスは非営利団体・日本総合研究所の一部門である経営総合研究所が持つビルの2階の一角を借りたものでした。

 

冷静な計算と大胆な勝負が孫さんのすごいところですが、東京に移って、早速会社の資本金1000万円を全部使ってしまいます。

 

800万円は広告宣伝費です。

すなわち、エレクトロニクスショーという業界展示会に、800万円を投じてブースを構えたのです。業界に名乗りを上げるためでした。周りから見ると無謀に見えるかもしれませんが、小さく中途半端に投じて効果がない方がお金をドブに捨てるのと同じことだと考えた孫正義は、大きく出ることを選びました。展示会に、松下、ソニーの出展規模と変わらないブースを立ち上げたばかりの会社が設けたのです。

そして、ソフトウェア制作会社をあちこち回り、口説きました。その際の戦略も見事なもので、「ノーリスクで展示会費用を請け負うから、あなたたちのソフトをうちのブースで並べて出してみないか」という形でプラットフォーム的な振る舞いをしたのです。たくさんのソフトをまとめて出せば人が集まるし、人が集まれば当然注目されやすい。お互いにwin-winであると。

しかし、この800万円は失敗の終わります。結局、中抜きにあってしまったのです。800万円は業界への顔見せだけで終わってしまいました。中間マージンは取れなかったのです。

 

こうして名乗りを挙げた孫正義は、のちにソフトウェアメーカーハドソンと、小売の上新電機とそれぞれ独占契約を結んで、流通業としてスタートを切ります。エレクトロニクスショーでの旗揚げが効いて、1ヶ月後、大阪にあった当時日本第2位の家電販売会社である上新電機から連絡が入るのです。そして、大阪に来て欲しいと頼まれますが、取引に発展しそうな気配がしたため喜んだものの、その時の孫正義は資金を尽かしており、1万円ですら惜しい、という状態でした。

そこで、

日程が詰まっていて忙しい

という理由で断ります。ところが、たまたま上新電機の社長が東京に行く用事があり、これで会うことになります。あまりの若さと、閑散としたオフィスに驚いたそうです。

 

しかし、ここでも得意の交渉上手を発揮します。

 

ただ1つ僕には誰にも負けないものがあります。このパソコン流通に関して僕は全身全霊、命まで捧げる覚悟でいるということです。その情熱だけは誰にも負けない。今は何もないから本当にひよこです。確かに上新電機さんの仕入れ担当の人が自分でソフトメーカーに直接問い合わせて仕入れれば、僕が仕入れたものを買うよりも安いでしょう。僕よりも上手に交渉できるでしょう。僕よりも知識を持っているでしょう。だけど考えてみてください。その仕入れ担当の人は、テレビも、ステレオも、冷蔵庫も、あらゆるものを仕入れなければならない。あらゆるものに情熱を傾け、すべて交渉する。でもこれから確実にパソコンの革命的な波が押し寄せてきます。その時に、ソフトは今あるような数ではなく、何千、何万、何十万と揃うようになる。ソフトメーカーは松下やソニーのような大手ではありません。学生上がりのマニアのような人が作って、どこかわからない。それを検討しながら、専門的な知識を得て、眼力を養わなければならない。それだけで、専業としてやっていかなければならないほど大変になります。仕入れ過ぎたら、不良在庫になる。確実な情報持っていなかったら、日本中のソフト集めるなんて事は大変です

 

素晴らしい説得ロジックです。

 

あなたがもし日本一のパソコンショップをやりたいと心から思っているのであれば、日本一情報を持って徹底的にやる男とやらなければ販売店で日本一を達成するのは大変難しいことではないでしょうか。ソフトを調べる前に、日本一調べ抜く男は誰なのか、その男を見抜くことの方が、一製品の知識を得るよりも重要なんじゃないでしょうか。もしかすると、あなたの目の前にその情熱エネルギーを持った男がいるかもしれない。でもその男、つまり僕自身には本当に情熱以外には何もない。だけど社長、あなたは創業の時、日本で2番3番を争うような状況じゃなかったでしょう。海のものとも山のものともわからない状況で始められたかと思います。あなたなら僕の志をわかってもらえるかもしれない。もしそういうことにかけてみようという気になるならあなたが日本一のソフト販売店になるように、立ち上げを応援します。日本中にあるソフトを一同に集めて、全てが揃っている日本一の店を作りましょう。だから独占的に品物を供給する権利をください。外からは一切入れない。そのかわり自分も徹底的にやります。やらせていただいたら他のいろんなアイディアを出します

孫正義は独占契約を要求します。

 

その後、孫正義はソフトウェアメーカーのハドソンとも独占契約を結ぶために交渉に出るわけですが、手形を切るように言われ、それをポリシーに反するから断るとはねつけた孫は、手付金として3000万円を要求されます。

その当時の孫にとって3000万円は飛び上がるような大金でした。資金難だったからです。

孫は、日本一のソフトウェアメーカーであるハドソンと契約するため、その要求を呑みます。

 

資本金1000万円に過ぎない会社がいきなり800万円の資金を展示会に使った上に、今度は3000万円!いったいどういうことだ!暴走だ!

という意見が共同出資者で事務所を間借りさせてもらっている経営総合研究所の人間により孫さんにぶつけられたこともあったそうですが、日本一のソフトメーカーの独占販売権が取れれば、これらが取引しているところは全てソフトバンクの取引先になる上、こんなチャンスは2度と巡ってこないと踏んでいた孫さんはアクセルを踏みます。

共同出資者は、

じゃあうちが持っている君の会社の株を買い取れ、そうすれば自由にできる

と要求しなんと額面での三倍の買取を要求。

 

孫正義はなんと、ハドソンへの手付金3000万円に加えて、共同出資者が手を引くための株価の額面三倍の買取額1500万円、合計4500万円が必要になったのです。

流石の孫正義も怯みそうになりますが、グッと堪えて、

ここが勝負だ!!

と腹を括ります。

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

人生には必ず、勝負どころが訪れる。勝負どころには、覚悟、決断、リスクテイクが求められる。パッとしない人生には決定的に決断が欠けている。勝負した回数と密度で人生の出来上がりは決まる。

 

 

 

孫正義はどこに向かったか?

銀行に向かいました。

その時のことを本人の口から語っている映像があります。

 

彼は、

24歳で1億をプライムレートで借りる

というさらなる偉業をやってのけます。月商200万円当時、銀行の支店長に、「1億借りたい、プライムレートで」と言うと、相手は「はぁ?」みたいな顔をしたそうですが、そこでも粘り強く交渉して実現させてしまいます。

その当時のコツを、孫さんは「本当のことを言う。ごまかしは短期でしか通用しない」と言っています。孫さんは正直に、アメリカから帰ってきたから日本での契約書のこともわからない、伝票のこともわからない、とにかく何もわからない。そして一生の方針として人に保証を頼むこともできない。それでももし自分の情熱と事業の内容を聞いて少しでも良いなと思ってくれたなら1つだけ条件があり、それが1番安い金利、プライムレートでしか借りない、という畳み掛け方。笑

これが成功したのは、既に孫がシャープのお偉いさんと顔見知りでが顔が効いたのが大きかったようです。佐々木さんは、必要なら保証人になってあげても良い、自分の家を担保に入れても良い、と銀行サイドに話をしていて、それを孫さんは知らなかったそうですが、20代前半にして既に重鎮たちから

面白い男だ

と思われていたわけです。

 

銀行の支店長は、コンピュータに関する朧げな知識を持っていましたが、アメリカを知っている孫の見事な体系的な話に引き込まれていきます。しかも融資する側である支店長が聞きたいツボを見事に押さえていたトーク。話一つ一つに説得力があり、素直な話し方にも好感がもてたそうです。

 

もちろん、トークだけではありません。

上新電機と話が進んでいること、ハドソンと契約しようとしていること、こういう理由でお金が欲しいという話は銀行サイドに響くものでした。

 

世の中の人が、「あいつに頑張ってもらわんと俺らも困るのよ」というテーマを選べば追い風が吹く

自分が命捨てても良いという決意ができたら、恥も外聞もない、断られてめげることもない、疲れるということもない

ー孫正義

 

孫正義が言っている通り、孫の働きかけの後、銀行内部で話し合いがなされましたが、ある行員がパソコンブームについて詳しく、「業種の将来性は明るい」という話をしたことからどんどん行内の話は傾いていきます。

支店長も、担保なし保証人なしの条件で立ち上がったばかりの企業に1億円の融資なんてよく許可が出たな、と驚いたそうです。

実はこれはシャープの佐々木氏の力が大きく、シャープの佐々木氏が支店長だけでなく頭取にも電話をかけて孫のことを頼んでいたのです。

大学生時代の孫正義の行動が、佐々木正という大物との信用を築き、可愛がられ、孫正義の知らないところで働きかけ、運を呼び寄せていた。時代の追い風もありました。

佐々木氏は、

どうして孫正義のためにそれほどしたのか?

という問いに対して、後に

可愛かったから

と答えたという逸話があります。

孫正義には可愛がられる力もあったわけです。

 

 

9:ハドソンと上新電機をおさえたソフトバンク、怒涛の快進撃

 

上新電機のパソコン部門の売り上げは以前の3倍に跳ね上がります。孫も初めて大きな取引先を確実に手に入れました。孫正義は勢いに乗ったのです。その後も西武百貨店、第一家電といった小売店に飛び込んで行きました。そして交渉。

 

パソコンの販売店を本格的にやりたいなら日本一のソフトが必要でしょう!うちにはハドソンの販売権があります!さらにこれだけの品揃えがあります!

もうこのセールストークは無敵でした。大抵の小売店はその場で契約を決めてくれたのです。さらに、

ソフトバンクに頼めばソフトは揃えてくれる

という噂が広がり、何よりハドソンをおさえている日本ソフトバンクが卸売は1番だという評判が確立されていきます。自社も取引先もガンガン儲かり、孫が思っていた以上の効果で雪だるま式に大きくなる。事務所もわずか6ヶ月後には90坪、以前の二倍のオフィスに移転。

孫正義の見込み、勝負はまさに勝ちに決まりました。幸運ももちろんあるでしょう。

実は、上新電機やハドソンから資本を入れてあげようか、というオファーもあったようですがあえてそれを断っていたのです。中立を保つためには他社の資本を入れてはいけない。資本主義の仕組みをよくわかった上で、大きなリスクをとって、上手に勝負をしたのが効いていました。

 

日本ソフトバンクが軌道に乗ってまもなく、コンピュータ雑誌に日本ソフトバンクの広告を載せようとした孫正義。名乗りを上げたまでは良いが、事業をもっと広げるためには広告宣伝が必須だと感じました。そこで、アスキーなどを代表とするパソコン専門雑誌に広告を出そうとしたのです。

しかし、これを断わられてしまいます。今月、来月は広告がいっぱい、という理由で。その次、その次・・・と予約を確認しようとするがどうもできない。普通の広告料以上を支払っても良いと言ったがそれでもダメ。孫正義はおかしいと感じていましたが、どこに頼んでもダメだったので、確信しました。

ソフトバンクをライバル視していたのです。

当時の雑誌を出している会社は、小規模ながらメーカー販売を手掛けていたのです。そのため、日本ソフトバンクが競合相手に移った。それほど、ソフトバンクの勢いは凄かったのです。

孫正義は、出版に広告を出すという経路が無い。塞がれてしまっている。

 

堀江貴文が最年少上場記録を塗り替えるまで最年少記録保持者であった西和彦が上場する前、20代後半ごろに孫正義とバチバチファイトしていたのはこの流れですね。西和彦の方が、「神童」と呼ばれて孫よりも先に行っていた時代のことです。

(今となっては、若年層は西和彦のことをほとんど知らないでしょう)

 

そこで、出版事業の立ち上げを画策します。

 

ここで面白いのは、孫正義は戦略を切り替えたことです。すなわち、ソフトの卸売りという事業にはライバルがいなかったために、一気に攻め込めば良かったわけですが、今回はすでに先行している強力なライバルがいるわけです。ある意味では弱者の戦いです。そこで、孫正義は絞り込みで勝負をすることにしました。出版に関しては力がなく、総合誌として打って出るには体力がない。そのため、機種を限定し、選択と集中を実行します。

 

創刊から2ヶ月後、売れ残った8割返品の山に25歳の誕生日を控えた孫正義は肝を冷やします。1ヶ月の赤字はおよそ2000万円。日本ソフトバンクの1ヶ月の売り上げを全て食い尽くしてしまうほどでした。

孫正義は、読者アンケートを読み、その通りに改善し、雑誌を発売して半年経った頃、勝負に出ます。テレビCMを打つことにしたのです。出版事業部の黒字化を狙っての大勝負です。たかだか一冊500円でしかない雑誌のCMに1億円をかけるため電通の担当者と話をする孫正義。見ている人がうんざりするほどのCMを流そうと決意します。電通の担当者も驚いたそうです。1億円の枠が売れるのは嬉しいが、雑誌のCMを打つのですら珍しいのに、読者対象が狭く、大赤字を出している機種別雑誌に1億円のCMというのは狂っているように見えたのです。

孫正義は月を調整し、担当者と交渉して、6000万円まで値切ります。さらに、自分が出版している雑誌で取り扱っているパソコンのメーカーに出かけて、「オタクのパソコンを宣伝しているからCM料を半分出して欲しい」と掛け合います。こうして、3000万円をNECに出してもらうことにも成功するのです。

さらに、孫は、CMを出すから、宣伝効果が高いから、ぜひうちの雑誌に広告を出さないかとあちこちのソフトメーカーやハードメーカーに電話を入れて、必死に頼み込み、広告収入がこれまで月150万円しかなかったのが10倍の1500万円になります。さらには出版取次大手のトーハンや日販にも足を運んで担当者に頼み込みます。

 

こうして、一気に勝負に出ます。1983年2月、テレビCMがひっきりなしに流されて、10万部の雑誌は三日で売り切れます。売り部数、広告収入も一気に増えて、あれほどソフトバンクの利益を食い潰していた事業が一気に黒字化したのです。まさに一発逆転。月の広告収入は2000万円〜3000万円に跳ね上がります。

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

ピンチのたびに大胆にリスクを取って復活する孫正義。ピンチ・逆境の時、勇気を持って勝負に出ることができているだろうか?

 

孫正義が28歳になる頃までには、8誌で年間600万部にまで成長し、コンピュータ分野での雑誌発行で日本一、出版分野だけでも年商25億円になります。

 

孫正義の人生は波瀾万丈で、25歳ころ、病気(慢性のB型肝炎)にかかり、余命5年と宣告されます。この頃、病院に入院していて、本を乱読していた頃に生み出したのがソフトバンクアカデミアでも講義したことで話題の「孫の二乗の兵法」なるものです。

 

入院中に、西和彦率いるマイクロソフトが、富士通、NEC、日立を始め家電メーカー大手14社を従えて、統一規格構想をぶち上げます。「27歳の作る天才・西和彦」「25歳の売る神童・孫正義」と呼ばれていた時代の話です。すなわち、これまではパソコンのプログラミング言語の規格がバラバラだったのです。

言語を統一すれば、各社が出しているハードで誰もが色々なソフト制作会社が開発したソフトを使うことができる。パソコン業界の発展にもつながる。しかし、孫正義はそれを西のマイクロソフトだけが規格統一で独善的に支配権を握ることは許せないと考えました。

 

 

 

 

10:26〜27歳で10億円の借金

 

退院し、仕事に復帰。

将来必ずコンテンツの時代が来る。その中でもデータベースが鍵を握る。今から種を蒔いておくべきだ。

孫正義はそう考えましたが。ソフトバンクの経営会議で役員たちは猛反対。事業領域とは違うという理由でした。そこで、孫は自分のリスクでやってみようと考えます。そして、うまくいかなかったら自分で赤字をかぶる、うまくいったらソフトバンクに買ってもらう。こうして、資本金1億円を当時てデータネットを設立。

昼間は日本ソフトバンクでの仕事をこなし、夜はデータネットの仕事をする孫正義。雑誌も創刊。コンピュータでデータベースを作り上げ、情報提供は雑誌をはじめとするペーパーメディアで行うと考えた。しかし、すぐに1億もの赤字。広告宣伝に力を入れても上向かない。3ヶ月経っても変わらない。半年経っても好転しない。半年で6億もの赤字を出し、残務処理に4億円を費やした。合計、なんと10億円の借財を被ってしまったのです。

 

この時、孫正義は珍しく、家に帰って妻に弱音を吐きます。

10億円もの借金を背負ってしまったよ・・・・。

 

一難去ってまた一難。

普通だったら、これで「人生終了」というところですが、孫正義はこの時、頭をフル回転させて考えます。

 

何か、10億円の借金を返済する方法は無いか・・・・

 

そして原点を思い出し、10億円稼ぐ発明をすることを決意します。どんなところにその発明を持ち込めば10億円を稼げるだろうかと考え、小さな業界の小さな会社相手の発明では10億円は到底無理だと悟った孫正義は。大きな業界で大きな企業を相手にできるようなものを考え出そうと決めました。

結論から言うと、孫正義は10億円の発明に成功してしまいます。

電電公社が民営化される流れの中、電電公社が独占していた電話サービスに民間企業が参入できるようになっていました。そんな中、新電電に目をつけます。営業マンが足を使って「NTTよりも電話料金が安くなる」という触れ込みで顧客を集めていたが、安い料金の回線を使うためには相手先の電話番号の前にさらに4桁の数字を舞わなくてはならなかったり、新電電を使うよりNTTを使った方が安い地域もあったため、顧客はこの2つの煩わしさを抱えることになります。これがボトルネックとなって入会者は伸びないのでは無いかと孫正義は予測。

 

これまでの電話番号の前に4桁を回さなくても、これまで通りダイヤルすれば自動的に新電電会社のうち最も安い回線を見つけ出して接続する。そんな機能を持った電話に取り付けることのできるアダプターさえあれば問題は解決する。

孫正義はそう考えたのでした。

実際、特許を出願し、アダプターを完成させ、シャープに発明品を持っていった大学生時代の時と同じように、この発明を新電電まで持っていって、最終的にはお金にかえたのです。

10億円どころか、トータルで20億円儲かってしまったと言います。

 

28歳〜29頃には出版事業部が赤字に転落してこれと奮闘していたりします。ヤフー、ボーダフォン、アームなど、まだまだネタの尽きない物語が30代以降に待っているわけです。

 

 

 

孫正義、怒涛の20代はいかがでしたでしょうか?

 

恐るべきことに、以上の話は全て孫正義20代の話です。

30代以降、孫正義はM&Aの連続のゲームに進出します。その辺りは比較的有名でしょう。というよりも、20代の段階ですでに日本人の99%の人生を凌駕してしまっているのですから、30代以降の人生を追いかけると遠すぎて意味不明な感じになってしまう人が多いと思いますから、あえて20代に絞ってみました。

 

一般にソフトバンクはケータイの会社と思われていますが、それは、ソフトバンクが後にボーダフォンを買収した流れの先にあります。また、孫正義のビジネスはずっとtoBだったので、toCで大規模にマーケティングを仕掛けて、シェアをとったビジネスがケータイビジネスだったため、一般にソフトバンク=ケータイの会社と思われているのです。そして、ソフトバンクとau・ドコモを比べて嫌な経験を持っている人、「実質0円」という客引き方法や、詐欺的な営業ロジックと揶揄されがちな複雑な料金体系、このイメージが孫さんに被せられてネガティブに捉えている人もいると思います。

 

最近、最も批判が大きいのは、彼があちこちに投資をしていることでしょう。でも、これも、「一つのテクノロジーに依存する組織は永続しない」という考えのもと、「大事なのはいかにテクノロジーを見つける仕組みを整えるかだ」という発想のもとで、情報革命時代のプラットフォーム、投資家・資本家ポジションを狙っていると知ったらガラリと景色が変わるでしょう。

マイクロソフトも、インテルも、シングルブランドで立ち行かなくなっている。30年なら良いが、300年となると、「企業群」を構築することが大事だと彼は考えているのです。視座が違うのです。

 

 

迷った時ほど遠くを見ろ

ー孫正義

 

1999年段階で2300年までのソフトバンクの売り上げ目標を立てたり、300年帝国を作るために歴史上の国家を調べたり、彼は本気です。

 

2009年の段階で、

  1. 30年後のコンピュータチップの性能はどうなっているか
  2. それによってどんなソリューションが可能になっているか
  3. 30年後に人々のライフスタイルはどう変わっているか
  4. 企業を取り巻く競争環境はどうか

などを部下に調べさせたりしているのです。

 

特に叩かれがちなのが13兆円の借金。日本ダントツ一位です。日本の金融業界におけるお得意様中のお得意様と言われています。

https://toyokeizai.net/articles/-/394494?page=2

13兆円というのは東京都の年間予算に相当します。東京都の予算はスウェーデン並みですから、すなわち、「ソフトバンク」という1企業の借金がスウェーデン国家の国家予算並みということで相当なスケールです。まさに大勝負をしているわけです。

 

ちなみに、孫正義がアラブの王族からビジョンファンドで金を引っ張ってきた時に約束したリターンが8%などと言われていますから、こういった数字も自分の中で基準を作る上で役に立つかもしれません。

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★ 

リターン8%以上を約束する変な金融投資をしていないだろうか?

https://jp.reuters.com/article/breakingviews-softbank-fund-idJPKBN2CU07G

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-05-13/QT0S4GDWLU6A01

 

 

孫正義の名言ツイート集はこちら

 

 

 

 

 

 

★孫正義とアナタの人生を比べてみよう★

孫正義と言えば、

20代:名乗りを上げる
30代:軍資金を貯める
40代:ひと勝負かける
50代:事業を完成させる
60代:次世代に継承する

の人生50ヵ年計画が有名です。

私(西園寺)はこれに影響を受けて、

10代は刹那的に生きる、20代は負ける=学ぶ(経験値を積む)、30代は勝つ、40代は人を育てる、50代は完成させる、60代は継承する、というスローガンを掲げてみたことがあります。また、

「50代はどう考えても若い女性と恋に落ちたりナンパしてセックスするのが困難、しかし性欲は持続する」

ということや、10代の時に経済的に成功し金の力にモノを言わせて美女の腰に手を回しながら闊歩する世の社長の姿を見て、50代は日常的にキャバクラやソープを楽しめる財力が必須と計算(10歳下、20歳下の女性と結婚しても50代になると相手は相応に老いている)し、逆算して、40代までには成功していないといけないと10代の頃に計算しました。後からわかったことですが、50代というのは統計上99%は新規結婚が無理な年齢であり女性で言えば35歳に該当します(年収3000万円以上の男性や、Fカップ以上のスタイル抜群美女・相応に高所得・家事もできて性格も良い、みたいなのは1%以下です)。45歳というのは早期退職が始まり、世の中の犯罪者を見てもわかるように人生が詰んだと悟る時期で人によっては自暴自棄になります。15〜16歳の頃に「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだ私は、10代にして、「40代でラットレースから脱出、ファイナンシャルフリーを獲得する」を目標にしました。そして、20代は特定の企業で出世コースに乗り(その後転職を重ねても良いが)、30代では経営に近いポジションで経験と資金を貯めつつ、満を辞して40歳前後で起業しもがいて40代中にはファイナンシャルフリーの資本家になろうと考えていました。

日本人役員報酬額最高だった、「ゴールドマンサックス元副社長→ゆうちょトップ→ソフトバンクCSO」で最近退職した佐護勝紀氏は現在無職(資本家、53歳)になっていますが、現代資本主義社会で行き着く先は無職、セミリタイヤ、リタイヤです。


アナタはどうですか?

 

 

 

 

 

===


マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男


saionji general trading & business development




800px-LineartPresRev


お仕事は、無職ですが人より課税されています。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。