ボルツマンが分子の存在を信じたそもそもの理由は、そう考えなければ、時間が一方向に流れる事が説明できなかったからである。コーヒーとミルクをまぜたらミルクコーヒーになるが、放っておいたミルクコーヒーがコーヒーとミルクに分離する事はない。この不可逆性が「時の矢」である。コーヒーもミルクも分子から構成されている事を私達は知っている〔図B〕。カップ全体に2Nの位置があるとする。このそれぞれにコーヒーかミルクの分子(それぞれN個ある)を置いていく。カップの片側にN個のコーヒー(黒)分子がかたまって、反対側にN個のミルク(白)分子がかたまっている状態の種類は、だいたい(N!)×(N!)になる。(N!)は片側のN個の位置にN個のコーヒーもしくはミルク分子だけを置く置き方の種類の数。これに比べて、両者がでたらめにまざった置き方の数(2N!程度)の方が必ず大きいのである。たとえばNがたった10個でも(2N!)と(N!)×(N!)の比は1.8×105:1。Nが大きくなればなるほど両者の比率は大きくなる。だから最初にコーヒーとミルクが分離した状態から出発すると、両者がまじった様々な状態の一つへと簡単に移行するが、再び分離した状態へともどってくる事は“ほとんど”あり得ない。これがボルツマンによる「時の矢」の確率論的な説明の概略である。熱力学がもつ不可逆性と古典力学の可逆性をつなぐために、天文学的な確率を持ち出して、宇宙が始まって以来、一度もおこりえないような確率の現象は実際におこらないと主張するのである。表現を変えるなら、分子の数が天文学的でなければ「時の矢」はときどき逆転することになる。
https://otonanokagaku.net/issue/origin/vol2/index07.html
なるほどねぇ・・・・
「秩序がある状態」と「秩序がない状態」なら、秩序がない状態の方がパターンが多いというか、普通・恒常的。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。