
動機解明というのは犯罪文脈でよく出てくる言葉だが、まぁ、犯罪者が犯罪を起こす理由というのは、男に関して言えば、ほとんど
- 金
- 女
だという。
実際、成功方向についてのプラスのモチベーションも、大体これ(金・女)だ、という人は多いではないか。
かといって、じゃあ、
「金のため」「女のため」
で動けるような、現代資本主義の権化みたいな人間、アニマルパワーに溢れた人間はむしろ少ない。このタイプは、今の世界にすごくマッチ・フィットするし、ガリガリ稼いでいたり、凄まじいバイタリティで生きていたりするから、基本、生きることに困っていない。




多くの人は、実際は、偏狭なフェチシズムとか、特定のピンポイントな趣味対象とか、何らかの文脈・シチュエーションに固執して生きていたりするのではないだろうか。
それこそ、学生時代に田舎からある街に出てきて、
この街で暮らしたい
みたいなモチベーションを燃やして生きてきた人だっている。
案外、この「好きな街に住む」というのは建設的な欲望。好きな街に住むと、生活が趣味になる。
街に対する思いが本物なら、確実に、人生は動くだろう。
東京への思いが本物の人間は、ちゃんと上京する。
あるいは定期的な東京来訪のために、働きまくって、お金を作る。
お金がない
これは、完全に嘘である。
ないのはやる気なのだ。
動機なのだ。
ないのはお金じゃない。
やる気、情熱、希望、夢、執着、偏愛、趣味、そういうものがない。




ビートたけしが大学(明治大学理工系)をやめて、浅草の劇場に魅せられて弟子入りした・・・・みたいなサクセスストーリーの端緒となったような物語がある人もいれば、ない人もいる。
取り憑かれて、人生の方向性を決めてしまう熱病は、メディアを媒介してやってくることも多い。それはゲームかもしれないし、お笑い番組かもしれないし、本かもしれない。
いいことを教えよう。
人生は、成るようになる。
はっきりいうと、何に取り憑かれたのか、何で動いているのか、誘因されたのか。どんなモチベーションで動いていて、どんなデザイアが自分をつきあげているのか。それで決まる。欲望が小さければ小さくまとまり、大きければ大きくなる。
いや、強欲であればいい、とかそういう話ではない。
「お前の本物の動機、本心、本音」でお前の人生は動いているという話なのだ。




例えば・・・まぁ、
特にやりたくもないが、ベンキョウをやらされている
みたいなのが、将来、学者になるのはしんどいだろう。
多分、大学に入っても、大学は就職予備校となり、次は就活となる。就活もまた、特にやる気はないが、やるだろう。
企業も企業で、
「気の進まないことをやってきた奴・やり抜いた奴」
は評価することになる。
実際に何をやってきて、できたのか、その実績評価は重い。
なんか嫌なことを耐えて頑張ってこれた
という実績は重たく評価され、それはその先の人生でもマイルドに続いていく。その後の人生が、「なんか嫌だ」とか思っていても、実際はできてしまう。できてしまうなら、やっぱり続いていく。
できてるとか、やってるとかは、重たいのだ。
ああだったらいいな、
こうだったらいいな、
俺はこうだ、
こうなる、
とかより、
「できてる」「やってる」は重たい。
あと、本当にやりたいことはもうやってるよね、論もある。
だから、「やりたいことがわからない」という人は、実際、ないんだろう。それか、もうやってることに気づいていないとか。
もちろん探せば何か変わるかもしれない。




俺から言わせれば、結局、なんやかんやみんな、
自分が大好きで、
自分の今の現状に居座りたくて、
自分の出自やDNAを結局守ろうとする。
両親、先祖が好き。
自分の運命を呪ってない。
犯罪者なんて最たるもので、鬱憤を外に向けるから、ああなる。
自分の不遇や不満を嘆きつつも、結局自分を守ってしまう。
本気で「どうにかしたい」と思うならば、苦痛や困難と対峙する過程で、いい意味でいい汗がかける。自分が壊れたり否定されていく過程が、苦しいけど気持ちいい、みたいなデトックス感覚がある。
ボコボコにされるけど、苦いけど、辛いけど、でもおいしい、みたいな。
それを単に「M」みたいな安い言葉で片付けたくはないね。
そういう性癖とかの話じゃない。
本当の動機。本当の気持ち。
本当は何を望んでいるんだ?みたいなところ。




私の場合は、「必死に探そうとした」というのは大きかったと思う。特に10代の頃は、必死に探そうとした。
それでなにか、ドンピシャな活動があったわけじゃないが、衝撃を受ける出会いや、方向を決定づけられるような出会い、濃い出会いはところどころにあった。必死に探し回っていたから。本当に。
それは、実際のところ、
そう思い込みたかった
というところもあるかもしれない。
まるで不器用な恋愛のように、自分の理想像を何か便利な対象を利用して投影したり、膨らませたのかもしれない。その媒介、触媒にしたのかもしれない。わからない。
ただ、イメージとしては、
「彼女を作る」
みたいな過程と似ていたかもしれない。
彼女というのは、理想の理想ではないものだ。だが、ちゃんと好きになれる対象であり、熱を持てる対象であり、関係が深まっていったり、自ずと愛着が生まれるものでもある。相手から嬉しいフィードバックも、悲しいフィードバックもある。
そうだな。
恋に近いかもしれない。
仕事とか、進路とか、そういうのを探すのは、恋を探すのと似ているかもしれない。
動けば出会いがあるとは保証されない。
ただ、動かないと何もない。男の場合は。
もちろん、外から降ってくる場合もある。だが、それは、本人の素質と、後はラッキーによる。




今思えばの話になるのだが、
恋愛にしろ、仕事・進路にしろ、
「外から降ってくるラッキーチャンスで、しかも魅力的な案件」
は拒絶せず、むしろ握りしめて話さない方が良いかもしれない。
多分、人生に1回くらいしかないと思う。
私にも、恋愛ラッキーチャンスがあって、自分のこれまでの相場から逸脱した、自分的には「格上」と思える相手が、向こうからやってきたことがあって、当時は「からかわれているのか?」「罠か?」と疑心暗鬼になったり、相対的に自信を持てなかったり、億劫になったりしたことがあった。気乗りしないというか、まぁ、色々あって、自分から逃げてしまった。
基本的には、恋愛も、仕事も、追いかけるのが基本だ。
追いかけて、探し回ってるうちに、何か縁と巡り合う。
その縁についてだが、私は50:50理論を提唱している。
例えば、75点以上で結ばれるとした場合、自分が50で満点の情熱を持っていても、相手側が0なら、合計で75に届かないので成立しない。
一方、お互いが40を持っていたら合計80で成立する。
おおむね、世の中はこれで成り立っている。
そして若いうちはこれがわからない。自分が50の情熱をぶつけたらなんとかなると思ってしまったりする。こうして叶わない恋に苦しんだり、届かない理想でもがいたりする。割とよくある。私にもあった。
これの反動で、「自分は0、相手が50で来る」みたいなシチュエーションによく陥るようになり、過去、散々追いかけた苦しい思い出があるから、相手が50のフルスイングできてくれることに嬉しくなってしまうが、「嬉しいは嬉しいものの、自分の気持ちは冷めている」みたいな構図に陥り、でもその相対的な余裕が、過去のトラウマから心地よくなって、絶対的に追いかけられる側でいたい、みたいな謎の病気を発症することがある。
でも、それも通りすぎると、
自分30、相手40とか、
自分25、相手50みたいな、
そういう成立ができるようになる。そのバランスの心地よさ、落とし所を見つける。
理想でもないが、ひねくれ諦めでもない、みたいな。
ま、それ、妥協って呼ぶのかもしれないけど。




とはいえ、人生は1変数ではなくて、多変数最適化の過程。
一本の綱引きじゃない。
A要素は妥協したけど、B要素は理想通りで、Cは及第点、Dは落第点・・・みたいなあらゆる要素の束で人生が出来上がっていたりする。
人生をトータルして、
「できるだけ、自分の人生を、自分が気持ち良いところまで持っていけるか」
というのは、その人が過去にどれだけ格闘してきたかに依存する。
もがいて、追いかけてきたかどうか。
挑戦を恐れる、リスクを取らない人がいるが、「現状を変えたい」「今いる場所から遠くに行きたい」「大きく変えたい」のであれば、何もしないはナシだ。大人しくしていてどうにかなることはない。待っていても仕方がない。なので、動く必要が出てくる。
大体、大きく人生が変わるってのは、不安量に比例している。なんか、「やべーことしてるな俺」みたいな感覚が強いほど、人生は大きく動く。変わっていく。
エアコンの効いた部屋で心地よく過ごすとかそういう部類じゃなくて、綱渡りをするような、清水の舞台から飛び込みをするような、そんな感覚。背骨がミシミシ音を立ててるような。後ろ髪を引かれるような。まるで家族や親戚を泣かせるような。暗中模索で暗い洞窟を一人歩くような。とにかくそんな感じ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。


