結局、「向いてる仕事が1番」であり、向いてたら何でも良い。 〜20代で気づいたこの世の真理〜

 

結局、向いてる仕事が1番である。

 

日本は資本主義社会なのだから、資本家側に回らないといつまでもお金持ちになれない。

労働者では限界がある。

サラリーマンはやめた方が良い。

こういうのは最もだ。

しかしながら、そう思って、それが現実化できないと論外だ。

 

つまり、一般的なべき論があっても、それが自分に合わないなら意味がない。

自分にできないなら意味がない。

 

ここで、

自己改造

という選択肢があるが、

この自己改造ができない人たちには傾向があって、

 

  1. 女々しい男
  2. そもそも自分を変える必要がないと思ってる(実は自分好き、ナルシシスト、目指す野望がない)
  3. もう若くない
  4. 自分の成長進化に限界を感じている、やる気がない

といったケースだ。

 

となると、自己を変えないとなれば、向かう先を変えるしかないのだ。

自分に合ってるものをやれば良いのだ。

 

 

 

世の中で色々なことが言われるが、

結局、然るべき器というのがあるのだ。

 

自分の収まるべき場所というのがあるのだ。

 

それを探すのだ。

これが20代のミッションとも言える。

 

 

10代というのは、おおむね、志を持つ時期だろう。

20代というのは、おおむね、現実を知る時期だろう。

そして、30代ともなれば、結果・実績に追われることになるのだ。

 

・・・ということで、自分が向いている道を選べば良いのだ。

 

 

 

そしてこの向いているというのは、

自分が決めることではないのだ。

 

他人が決めることだ。

社会が決めることだ。

 

よって、導かれるように、自分の立ち位置が決まる。

いわゆる、なるようになるのである。

 

 

それを好きと思うか、楽しいと思うか、面白いと思うかは、

自分の内面の問題だ。

心持ちの問題でもある。

 

 

だからこそ、「自分探し」という言葉は誤解を生む。
探すのは「自分」ではなく、「自分に合う場所」だからだ。

自分をいくら分析しても、社会との接点を見つけなければ意味がない。
結局のところ、評価は外部から下される。

向いているかどうかは、自分が思うよりも、他人がどう扱うかで決まるのだ。
就職活動や起業の成功が典型だろう。

「自分はこれをやりたい」という主観だけでは通用せず、
「周囲が求めている」「市場が欲している」こととの一致がなければ生き残れない。

だから、運命論的に聞こえるかもしれないが、
自分の位置は、社会との相互作用の中で自動的に定まっていく。

もちろん、そこで「不満」や「違和感」を抱くことはある。

だが、それはチャンスでもある。

違和感こそが、自分が本当に望むものを照らし出すシグナルだからだ。

向いている場所を探す旅は、
実は「社会との対話」であり、
同時に「自分の心持ち」を鍛える修行でもある。

 

 

幸か不幸か、

マッチョなビジネス書・自己啓発書に疲れたら、

やはり宗教的な世界観に回帰するだろう。

 

それはある種、宗教が、真理を捉えている部分があるからだ。

 

つまり人生には、どうしても、予定調和的・運命論的なところがある。

 

 

ああもうだめだ、頑張れない、やる気が出ない

というのも、

その人の「器」なのである。

 

その人がそれを決めているから・・・といって、

それをその人が簡単に変えられない。

 

変わりたいけど変われない人もいるのだ。

 

やはりそれは運命なのだ。

 

 

【宗教が流行るのは訳がある】宗教的予定調和説って素晴らしいな。「末路は神のみぞ知る」であり、努力しようが、しなかろうが、救済する奴・しない奴は神がもう決めてるって奴。

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。