情報発信をすると、「人は都合が良い情報しか拾わない」というバイアスに気付き、資本主義で流通するアドバイザリーと教育の危険にも気付く。
ここに気づき始めると、大体、
- テレビ
- 書籍
が怖くなり始める。
それから、自分のチェリーピッキングについても考えるようになる。
そのうち、「好き」「嫌い」「やりたい」「やりたくない」も疑い始める。
SNS社会で、
「いいね」
みたいなものを量産したり、その勘所を得た人は、良くも悪くも世界のその点での恐ろしさに気づき始める。
ある投稿と、ある投稿の圧倒的な人気の差を気付き始める。
一方で、広く拡散したことと、深く刺さることが別であることにも気付き始める。
定量的な多寡とは別の次元でものを見始める。
そういった
「奥底」
を眺めるようになると、価値観が変わるようになる。
その全ての過程に意味があるとしたら、
やはり踊らされるフェーズは必要なのだ。
あと、批判を食らってる対象には、実はカウンターパートがいる、という視点。わかりやすい批判対象・現象にはカウンターパートがいる。それが「そうなった結果」としての対応先がある。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。