長い髪と曲線美。
いつだって女性の魅力は男を虜にする。
「でも、そこまでにすべきだよな」って俺と友人はうなづきあった。
男には自分の世界がある。
例えるなら、空を駆ける一筋の流れ星。
常識に反するかもしれないけれど、彼はこう言った。
「大丈夫な奴とそうじゃない奴の見極めは簡単。プライベート、特に女が優先に来てるかどうか。しかもそれは、女遊びに溺れてるとかじゃなくて、むしろ女遊びに溺れてる奴は大丈夫。ヤバいのは・・・・・」
最後まで聴くまでもなく、オチがわかった。
言いたいことはわかるぜ。
俺はこう言った。
「本気で恋愛してしまうと、なんというか、全てが狂う。根本から何か歪んでしまう。」
すると、彼も同じことを感じていると言った。
世界で、「愛せよ」と「愛さない」の綱引きが行われているとしたら、愛さない理由の一つは多分、そこにある。
きっと、全ての人間は鳥籠の鳥なんだと思う。
鳥籠が何重にも連なっている。
ある程度、何か限られた領域で安住してしまっているから、そこで愛を育もうという発想になるのだと思う。
でも、鳥籠を外して行ったら?
言い方を変えよう。
土台や基盤が変わったら?動いたら?変化したら?
この前、面白いものを見たんだ。
「アゲマン」を育てる、みたいなコミュニティ。
思わず、笑ってしまった。
一生懸命、旦那を上げてく女になろうとしている人たちが集まっている。そこの教祖は男。弁を聴くと、すぐにセンサーが反応した。
「こいつは嘘をついている。」
勇気を振り絞って、本当のことを言おう。
きっと、この発言によって、周りから女がゴッソリいなくなるかもしれない。まぁ、でもいいや。それを恐れずやって来たのが西園寺スタイル。高校生の頃から女を敵に回して来たから。
でも、その率直なスタンスによって、俺は男に惚れられて来た。
俺は一番、女よりも男にモテる。
90%の人間が俺を嫌ったとしても、10%は俺に心酔する。
だって、本当のことを言うから。
では、言ってしまおう。
「全ての女は、本質的にサゲマンである。」
・・・・だから、アゲマンになる訓練などは無意味に等しい。
男が本当の意味で「アガる」のは、不特定多数の女を取っ替え引っ替えしたいと心底願った時だ。だから、アゲマンは無理だ。アゲマンになろうとした時点で、そのパートナーシップは事実上崩壊する。男を上げようと思えば、究極的にはその男から離れるしか無いから。
芸人の嫁は、それを理解し、受け止めてしまっている。
だから、出会った時が全てだ。そこから男が飛躍することは無いだろう。自分の力で飛躍させることは無理だ。出会って男を捕まえてしまった時点で、男がそれより悪くなることはあっても、良くなることはまず無い。
その相手と、交際なり、結婚なりしてしまった時点で、アゲマンどころかサゲマンになってしまう。結果的に男が上がったのなら、サゲマンという荷物を引きずりながらも上がったその男の元々の努力、才能、ポテンシャルである。
その溢れたバイタリティは必ず浮気に結びつくだろう。
アガッた後に、男は礼儀作法として、内助の功についてだったり、その女性の存在について感謝の弁を述べるかもしれないが、これを勘違いしてはいけない。
少し勘が良い女は、どうにか惹きつける質の男を高めようとして、あるいは今パートナーになっている男をアゲようと研究して、「峰不二子」とかに憧れる。駆け引きなんかを学ぼうとする。
でも、あれも無理だ。
原理的に無理。
そもそも、一人の女にコミットすることで男がアガることはまず無い。ありえない。絶対にない。
女に尽くすことはできても、男が女を理由としてアガることがあるとしたら、1つしかない。
不特定多数の美女、だ。
あの女を抱きたい。
ヤリタイ。
孕ませてやりたい。
そんな本能の中枢から湧き上がってくるゲスな欲望でしか、自分を劇的に変化させるほどの動力源を得ることはできない。もしくは、純粋に仕事が好き・熱中している、虜になっている部分が大なり小なりあるかどうかだ。強烈な人生目的と動機を意識できるかどうか、または仕事に対してコミットしているかどうかだ。
純粋な心で生きていたけれど、恋愛とお金の現実を知り、フラッとお金に興味を持ったひ弱な男がこんなことを言う。
「パートナーを幸せにしたい」
「彼女を喜ばせて上げたい」
「もっといい暮らしをさせてやりたい」
でも、これらの願望はまず叶わない。
手元にある幸せを大きくしたい、という程度の弱い動力では現実を変えられない。でも、世間ではそこに対するニーズが膨らんでいるから、甘言が飛び交っている。
パートナーに対する身の振る舞いを変える。態度を変える。優しくする。休日の過ごし方を変える。家のことを手伝う。役割分担を変える。この程度のことはできるであろう。
しかし、ベンチャー企業の社員たちのように、起業家に群がる人たちのように、同じ船に乗ってどんどん高まっていくというストーリーを歩むことはほとんど不可能である。
女はオトコをアゲられないのだ。
不特定多数や「女的なもの」を示す概念としての「女」はアガる理由になっても、特定個人の「女」がアガる理由にはならない。つまり、Womanはアゲルことができても、A womanはアゲルことはできない。
それがなぜかは冷静に考えればわかるはず。
不特定多数概念としての女はオトコをアゲるが、一人の女としてアゲることは不可能だ。もしアゲるとしたら、「同じ男」として共に戦わねばならない。同じ戦士にならねばならない。しかし、多くの女性が望むところはソレでは無い。それが成立する頃には男女の熱は冷めているだろう。男女関係として共にありながら、男を女としてアゲていって素敵な家庭を構築するストーリーを夢見ている女は多いのだ。しかし、それは幻想である。
嘘だと思ったら、男と別れてみれば良い。
10年後、男はもっといい男になっている。アガッている。
しかし、パートナーシップを続けている限り、男は今から10年後も変わらないだろう。
そして、男も男で、自分に無条件の愛情のベクトルを向ける女がどこかにいると思っている人間がいるがそんなものは存在しない。それは「ママ」だけだ。
男が結婚をすることを躊躇する理由が女はわかっていない。
理由は1つ。
ロマンが潰えるからだ。
そのロマンの中には、まだフラつきたい、遊びたいという気持ちが含まれており、それを「自称大人の男」や「自称大人の女」が牽制する。しかし、本質的にそのロマンとは、冒険を意味する。旅をし、飛躍し、人生と世界を劇的に変えるような壮大なロマンだ。
必死に求婚をする男を見てみれば良い。
結婚生活の幸福感を必死にPRする連中を見てみれば良い。
共通点として人生が行き詰まっている。天井が見えている。飛躍が終わっている。落ち目、衰退に入っている。劇的な変化が起こらない体制にシフトしている。アレヤコレヤ、聞こえの良い言葉を紡いでいても、心の奥底にあるのは、「俺、このまま一人で死んでいくのかな・・・」「毎日が辛いや・・・」「今の仕事に対する張り合いが欲しい・・・」「風俗代節約したいな・・・」「ご飯作って欲しいな・・・」「寂しい」というようなものばかりである。
時代は変化するが、「男と女」という普遍的なものについて、先人たちが作り上げてきた知恵や概念、言葉を軽んじてはいけない。
- ゴールイン
- 身を固める
- 落ち着く
- 年貢の納め時
- 人生の墓場
なぜこんな言葉が使われてきたのか?
私はそこに「幸せが無い」とは言っていない。幸せはあるかもしれない。
ただし、ロマンは無いのだ。
本質的に結婚の制度も、概念も、次世代への継承のためにあると言って良いだろう。
バトンを渡す行為だ。
ただし、残念なことに昔と違って、企業という経営体においてバトンが渡される行為が次なる飛躍につながっていたとしても、家庭という経営体においてバトンを渡す行為からリターンを得る期待はできない。
すなわち、往々にして余計に苦しい状況に突入することを意味する。
よって、パートナーシップの概念は二極化している。
富裕な人間たちの暇つぶしか、底辺な人間たちの身の寄せ合いか。
幸せの意味を定義することは難しいが、まず間違いなく、この経済世界でのロマンや成功は根っこの基盤を作る。「お金」「幸せ」「社会」などの意味がよくわからない人間は、過去に社会主義国・共産主義国がどういう歴史を辿ったのかであったり、ポルポトとかについて調べてみれば良い。
独裁と合議のどっちが良いか?とかそういう話では無い。リークアンユーのように独裁で成功した事例もある。
本質的には「without マネー」なのか否かなのである。
この世界でアガろうと思えば、リスクテイクが要求される。その道のりは茨の道のりである。もちろん、人間やろうと思えば、どんな苦境でもやっていける。ただし、その覚悟は、現代男女のほとんどには無い。特に、安住した普通の世界をしたいと思っている人間にとっては、リスクテイカーと同じ船に乗るなんて言語道断と思っている。
一度も革命を起こしたことがない国、護送船団方式でやってきた国、たまたま大国のおかげで過去の栄華があった国、地理的幸運に恵まれて世界のシビアな現実を見ることなく極東でとぼけてられていた国なら尚更だ。
日本の女の専業主婦思想は、グローバルスタンダードでは「アホじゃないの?」と思われていることも付記しておこう。
「病気なの?」
「障害持ちなの?」
と思われる。
10億稼いでいようと、30億稼いでいようと、それをさせる側も、したがる側も本質的に「生き方」について、熟慮が足りていないと思う。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。